現代の天動説 - 『アベノミクスのゆくえ』

池田 信夫

アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える (光文社新書)アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える (光文社新書) [新書]
著者:片岡 剛士
出版:光文社
★☆☆☆☆


にわかに出てきたアベノミクス本は、アマゾンで検索すると154冊、タイトルに「アベノミクス」と銘打った本だけでも45冊もある。そのほとんどは昔の本の手直しや、にかわづくりの「語りおろし」だが、本書は2年前の講演を元にしたというから、かなりていねいに書かれており、データもそろっていて便利だ。

しかし著者が「長期停滞の原因は日銀の金融政策だ」という結論を最初に決めて、他の要因を消していくという論法で書かれているため、途中から論理が混乱してくる。たとえば最近、話題になっている賃下げとの関係については、賃下げがデフレの原因であることを認める一方で、その賃下げの原因はデフレだという循環論法になっている。

デフレで賃下げが起こることは、通常の経済理論ではありえない。名目賃金に下方硬直性がある場合、デフレによって実質賃金が上がるというのがケインズ以来の常識で、浜田宏一氏などは「リフレで実質賃金が下がることは望ましい」と明言している。ところが著者はこのへんを曖昧にして「リフレで賃金は上がる」などというものだから、話がますます混乱してくる。

では賃下げの原因は何だろうか? 労働需給が悪化して失業が増え、労働の超過供給によってその価格(賃金)が下がったことだ。欧米では賃金に下方硬直性があるが、日本では正社員の雇用を守るために非正社員を増やして平均賃金を下げたため、それによってコストが下がって物価が下がる、という普通の経済メカニズムが働いたのだ。

これは次の図を見ればわかる。1990年代の最初から失業率が上がり始め、失業率が急増した98年から名目賃金が下がり始め、その翌年から物価が下がり始め、失業率が横ばいになる。このように名目賃金が下がり続けたことが、日本だけデフレになる一方、失業率があまり上がらなかった原因である。その因果関係は、時系列データを見れば明らかだ。

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賃金と物価(1990年=100)と失業率(右軸)出所:厚労省・総務省

ところが著者はこの時系列データを隠し、失業率と賃金の相関(図表1-9)だけを示して「デフレが失業と賃下げの原因だ」という。もっと傑作なのは、「ゼロ金利ではマネタリーベースを増やしてもマネーストックは増えない」という「日銀理論」を否定するために、両者の相関を示している(図表3-12)のだが、なんとそのグラフは1996年で終わっているのだ!

まぁ正直といえば正直である。「日銀が世界の中心だ」という結論から始まって、天動説を支持するデータだけを集め、惑星の軌道など都合の悪いデータを隠すと、こうなるのだろう。その意味で本書は、なかなか貴重な「現代の天動説」のデータ集である。