人はつまらないことに熱心になる−乙武氏問題

2013年05月22日 12:28

有名人の起こした騒動

img_963596_65243302_0社会問題を考えるとき、一見するとつまらないことに人は熱心になることが頻繁にある。(写真はドイツの切手、ハーメルンの笛吹き男)

四肢がないという先天性の障がいを乗り越え、懸命に生きる乙武洋匡氏。彼が銀座のレストランで入店拒否をされ、その店名をツイッターで示して非難した。レストランのツイッターとブログは炎上。これをめぐって人々が熱心にネット上で議論をしている。


乙武氏のてん末の説明文。そして現地をルポしたブロガーの記事

乙武氏、レストランの双方に問題はあるようだ。私は双方に「大変でしたね。反省して次につなげてくださいね」という感想しか持たない。それよりも一介の記者、社会の観察者として私が興味深かったのは人々の反応だ。

「人民」検察官の糺弾の怖さ

この問題でレストラン店主を過激に糺弾する人々が多数いた。(ツイッターまとめ「店主へのリプライ」)。

レストラン店主はバイクが趣味だそうだが、「バイクが二度とできないぐらい体が不自由になるといいですね」とか、「乙武さん、今度は事前に連絡して団体でいってみましょう」とかの発言があった。「人民」検察官とも言える、これらの人々にとって「障がい者にやさしい社会」とは「むかつく人のいない社会」なのだろう。

ただし罵詈雑言を浴びせた人も、普段は善良な人々であろう。煽動(乙武氏はその意図がないと弁解するかもしれないが)で、一瞬だけ「ダークサイド」に引き込まれたものであると信じたい。

一部の人による熱いネット上の議論はこの原稿を書いている22日午前でも続いている。一見したところ議論は、町づくりでのバリアフリーのあり方とか、障がいを持つ人との向き合い方とか、重要な問題まで深まっていないし、実際の社会変革を起こそうという人も現れない。

社会混乱を起こす煽動の手法

この騒ぎには、私がこれまで向き合ってきた社会問題で混乱が生じたものと、共通するものがある。直近ではエネルギー問題だ。社会にとっての重要さが、騒擾の大きさに結びつくとは限らない。私の見た騒ぎには、以下のような特徴があった。

1・有名人が問題に関わる。(今回の場合、乙武氏)
2・論点が単純である。(レストランが障がい者の入店を拒否した)
3・その論点は、3分程度で把握できるほど簡単なものである。(誰も現場をみていない)
4・そして善と悪が戦い、「あなたは善に入りましょう」と煽動される状況で一部の人は動かされやすい。(店主が悪い)
5・「善」グループの同調者が、自分が当事者にならない無責任な立場で行動できる。「お気楽」に主張できる。(騒いだ人の大半は、当事者に会ったことはない)
6・人々が熱くなる一瞬を狙う。(ツイッターは素早く発信できる)

これは最近の一部の反原発運動にあてはまる。「自然エネルギーですべてがまかなえる」といった飯田哲也氏や、「福島で人は住めない」といった上杉隆氏といったトリックスターが使った論法だ。そして何も産まない主張するだけの反原発デモでも、同種の煽動が見られた。

飯田哲也氏の敗北に思う–典型的市民運動の限界
「福島で人は住めない」–放射能デマ騒ぎの悲しい結末
原発ゼロ」叫ぶだけでは変わらない–対立から対話・実行へ、流れを変えよう

記事で紹介した混乱と、乙武氏の騒動の共通点を誰もが感じるだろう。騒擾を煽動したトリックスターたちは、上のような状況をつくろうという行動を意識的にした。そして一連の騒擾は、現時点でよい社会変革を産んだとは言い難い。ただの混乱しか作り出していない。

つまらないことに人は関心を向けがち

また別の点でも、他の社会問題での議論と共通するものがある。「パーキンソンの凡俗法則」という小話がある。「社会はつまらない物事に対して、不釣り合いなほど重点を置く」ということだ。経営の風刺書で書かれた話で、原子力発電所と自転車置き場の例えがある。(以下Wikipedia より引用・編集)この法則は、ぴったりこの騒動にあてはまる。

原子炉の建設計画は、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。このため審議は「着々と」進む。ところがそこでミスが出る。

一方で、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材をアルミ製にするかアスベスト製にするかトタン製にするかなどの些細な話題の議論が中心となり、そもそも自転車置き場を作ること自体が良いアイデアなのかといった本質的な議論は起こらない。自転車置き場については誰もが理解している、もしくは理解していると考えているため、関係者の誰もが自分のアイデアを加えることによって自分の存在を誇示したがり、終わりのない議論が生じる。会議の議題がコーヒーの購入といったより身近なものになった場合は、その議論はさらに白熱し、時間を最も無駄に消費する。ミスが起こってもたいして問題にはならない。

私たちの社会は、こうした無駄な議論と混乱に流れがちだ。この法則のように、乙武氏問題は、熱くなっている人には恐縮だが、「騒ぎはばからしい」そして「怖い」と私は思う。しかし熱く語る人々におかしみを感じつつも、私は笑えない。なぜなら私も巻き込まれかねないし、そして普遍的に社会にも、個人にも、私自身にも起こると思われるためだ。

小さな問題に社会の関心を状況次第では意図して一部の人が集めることができる。乙武氏しかり、原発・エネルギー問題のトリックスターたちしかり。乙武氏がトリックスターたちと一緒であるとは思わない。けれども、こうした善意に溢れた素晴らしい方が、ある程度の影響を一部の人に及ぼせることを今回の騒動で確認できた。これだけ情報が自由に流通する現代の日本においても、笛で人々をコントロールしたというおとぎ話「ハーメルンの笛吹き男」が登場する恐ろしい可能性があるわけだ。

本当に大切なことは忘れてしまう

この問題から、私は自戒を込めた教訓を引き出したい。

社会問題は騒ぎの大きさと、重要さ、必要性、解決策がずれることがある。そして煽動によって問題の本質がゆがめられることがある。人々の熱狂を横目で観察し、「ちょっとまてよ」と冷静に自分の頭で考えることを、常に心がけたい。社会の流れに惑わされず、そして巻き込まれず、何が自分と社会に必要かを冷静に考え続けたいものだ。

乙武氏の入店拒否騒動は、当事者以外はすぐに忘れるだろう。しかしこの騒動の中から、誰かが障がいを持つ方々が暮らしやすい社会をつくることを考え、行動してくれればと願う。

こんなことを考えていると、第二次世界大戦という狂気の時代に執筆を続けたフランスの作家サン=テグジュペリ(1900-44)の『星の王子さま』の一節を思い出したので、最後に記そう。

「本当に大切なことは目には見えないのだよ」

石井孝明 経済・環境ジャーナリスト
ツイッター:@ishiitakaaki

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