アベノミクスという物語の終わり

池田 信夫

朝日新聞の原真人氏が、けさのコラムで「アベノミクスの本質は、人々をその気にさせようという心理学だ」と書いているので、ここ一両日の出来事を心理学的に考察してみよう。


彼もいうように、アベノミクスなるものは経済政策としてはほとんど中身がない。その目玉である量的緩和も、日銀が10年以上やってきかなかった。普通は10年以上も飲んだ薬がきかなかったら別の薬にしようと考えるが、リフレ派は「1錠でだめなら10錠のめばきく」と考え、その副作用は考えない。

多くの経済学者がこういう非論理的な政策に懸念を示してきたが、たまたま安倍氏がリフレ政策を提唱し始めたのと同時に株価が上がったため、あたかもその政策に効果があったような錯覚をもたらした。実際には安倍氏は何もしておらず、日銀総裁は彼の嫌悪する白川氏だったが、8割も上昇した株価のうち6割は白川時代に起こったのだ。

株価上昇の原因は、昨年夏から外為市場で始まっていた円安に加えて、安倍氏が「輪転機をぐるぐる」回して国民にカネを配れば景気が回復する、という(根拠のない)心理的効果だった。しかし人々はこれを「アベノミクスに効果があった」という因果関係と解釈し、安倍政権の支持率は70%を超えた。

カーネマンは、このようなバイアスを因果関係の自動探索と呼んでいる。人間はランダムな現象を記憶するのが苦手なので、バラバラの出来事を物語にして記憶する習性がある。1192というランダムな数字を覚えるより、「いい国つくろう鎌倉幕府」という物語を覚えるほうが容易なのだ。これは人間が連想によって記憶を保持しているためで、陰謀論に人気があるのもこのためだ。

そして株式市場では、誰もがそう信じると株価が上がり、株価が上がるとさらに多くの人が信じるpositive feedbackが起こる。同時に中央銀行が過剰流動性をもたらすとバブルが起き、それを事後的に正当化する「理論」が出てくる。80年代のバブルでは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という強力な物語があり、5年ぐらいはそれを人々が信じた。

しかし今回は、リフレという貧弱な物語しかなかったので、バブルは半年しかもたなかった。黒田総裁のとなえた「日銀が国債を買えばもっと金融は緩和できる」という理論は、逆に金利が上昇したことで反証されてしまった。大暴落した株価はきょうも続落で、長期金利も0.9%台に上がってきた。相場は宗教と同じで、中身が嘘でもみんなが信じれば上がるし、みんなが信じなくなれば終わる。

黒田氏の愛読するポパーもいうように、科学の理論はつねに暫定的な仮説であり、それが事実によって反証されることで進歩してきた。反証を例外として無視するのではなく、理論に間違いがあるのではないかと再検討する懐疑が、科学の発展する原動力だったのだ。聡明な黒田氏が、ポパーの進化的認識論に従って反証を謙虚に受け止め、愚かな金融政策を改めることを期待したい。