「常識論」って何や? --- ヨハネス 山城

アゴラ

暑いなあ。5月でこれだけ暑いんやから、12月はもっと暑いやろなぁ……昔懐かし、坂田利夫師匠のボケや。ワシも、このネタで温暖化論者をさんざん笑いものにしたもんや。それにしても暑い……8月15日、12月8日、暑くなるやろなぁ。暑いだけやのうて、暑苦しい。誰がて? 日本可愛さの余り、非常識なことをグチャグチャ言うやつ。

例の侵略の話。「他国の領土に軍隊を進めて、武力を行使したらそれは侵略」……これ以上、わかりやすい定義はないでしょ。と書いたら、「学術的に決まってない」に始まって、「国際法を勉強せい」てな声まで聞こえてくる。


まず、学術的な議論。上の「常識論としての定義」以外にも、いわゆる経済侵略はどうかとか、義勇軍はとか、犯罪とどこが違うのとか、いくらでも扱うテーマがある。おまけに、戦略ミサイルやら、無人機によるテロリスト狩りやら、新しい問題が次々に出てくるから、定義なんぞ永遠にできんやろ。相手にしてられへんがな。

国際法? ……法律の用語ちゅうのは、日常語と全然意味が違う場合がある。たとえば、「善意の」というの言葉は、「事情を知らない」という意味で使われるけど、日常、この意味で使ってるやつ、見たことないで。

ましてや、翻訳やら各国の思惑までからんでヤヤこしいわりに、肝心のところで無視される国際法。アゴラに記事書くのに、いちいちこんなもん参照してられんがな。

それとも、このワシに国際弁護士になれとでもおっしゃるんか? 「社長! ただいま、ロスから戻りました。例の訴訟、ワシの法廷ギャグが滑ったせいで、ぼろ負け。すっからかんのカンカラカン。来週までに相手方の口座に、賠償金20億ほど振り込んでおいてください。そうそう、20億、円やなくてドルで」。誰が雇うかいな。

定義があれば証明もある。常識論で大事なのは、証明のほうやろ。今回の話で言えば、従軍慰安婦の強制性と軍の責任問題。「長崎の女性を『誘拐に類する』方法で慰安婦にしたこと」を社会問題視し対策を命じた、当時の軍高官の文書を見て、朝鮮人慰安婦のことをどう判断するかということや。

法律論で言うなら、この文書はかなり弱い状況証拠でしかない。日本であったことが朝鮮であったと、直ちには言えんがな。そやけど、常識論は違う。

わざわざ軍の高官が署名捺印つきの公文書まで出すのやから、よほどの大問題になっておるんやろ。本国日本でも悪辣業者がおったんやから、警察力の弱い植民地におらんかったはずがない。こう考えるのがワシの常識や。

軍の責任はさらに明確や。騙されて連れてこられた女性が混じっている可能性に気がついた段階で、徹底的にチェックしたフシが全くない。札付きの業者を二つ三つ、見せしめ的に追放するだけでも、全然違う結果になっていたやろ。そやけど、何もしてない。例の公文書でも、対応は採用人の人選だけ。人権より体面、まぁ軍の常識でんな。

そやけど、別の考えがあってもええ。神国大日本帝国がそのようなことを、するはずがないという常識。朝鮮人は貧乏で好色だから、高給を出せば慰安婦ぐらい簡単に集まったはずやという常識。こういうお方とは、議論にはならへん。アホかいな、と思ってみているよりない。向こうも同じやろ。養老センセの言葉で言えば、間に「バカの壁」がある。

こういう場合、相手の立ち位置がわかったら、あえて決着をつけようとせんのが、大人の知恵や。できれば、「もしかしたら、相手の常識からも学ぶ事あるんとちゃうか」という、気持ちの余裕があればさらにええ。つまりアゴラを読めちゅうことや。

ただし、ある団体や個人が、どちらの見解をどう採用するのが得か、ということになると、これまた別の判断があり得る。あまり自分の常識との間に距離のあるやつと付き合うのは、ある意味で物騒やし、少なくとも良い気持ちのもんやないやろ。国と国との関係となると、ここいらへんが、非常に大事になってくる。

さて、ワシが一番暑苦しいと思うやつは、常識の違うやつやない。非常識なやつや。バカの壁の上で踊っているやつ、と言ってもええな。

たとえば「強制性を示す証拠はない」をわーわーわーわー繰り返すやつ。分かったから、しばし静かにせえ。同じ内容の発言でも、一回言うのと繰り返すのとでは、相手の心証が、全く変わってくるで。

「強制性を<以下同文>」を、しつこく言い立てると、「証拠があるなら出してみんかい。はは、さてはねつ造やな」というニュアンスになる。自分なりの常識論と状況証拠をもとに「おれは強制性はなかったと思う」と言い出すのより、卑怯さでは数段上やろ。

こういうのホンマに、かなわんと思う。政府が反省を示してるときにやられた日にゃ、国益がワヤになるし、第一、見ていて暑苦しい。せめて冬まで黙っててくれんかのう。

ヨハネス 山城
通りがかりのサイエンティスト