株価と結婚した安倍内閣

藤沢 数希

安倍内閣の高支持率が続いている。最近の世論調査では、軒並み70%前後の極めて高い支持率となっている。これは絶頂期だった頃の小泉内閣以来の記録的な水準だ。なぜ安倍内閣がこれほどの支持を得ているのか? その理由は明確だ。株価である。昨年の衆院選前には、再び自民党に政権が交代し、安倍内閣になることが予想されていた。安倍氏は、極めてアグレッシブな量的緩和を実施するということを約束していたので、それ以来、急激に円安が進んだ。実際に、黒田新体制になった日銀が、「異次元の金融緩和」を発表して、予想は現実のものになった。いや予想をはるかに上回る日銀の政策転換である。円安が進むと、基軸通貨のドルで見る日本の株価が割安になるので、円で見る名目の株価は上昇する。当然だが、円安は輸出企業の業績を改善するので、企業業績そのものへの波及効果もある。こうして株価はますます上昇する。


さらに筆者の予想以上だったのが、株価が上がることによる、消費者心理の改善など、実体経済に対して思いの他いい影響があったということだ。伝統的なファイナンス理論からいえば、金融商品の価格は、その金融商品の将来キャッシュフローをディスカウント・レートで割り引いたものの総和であり、ファンダメンタルズを反映したものである。よって、ファンダメンタルズ→価格であり、価格がファンダメンタルズに影響することはない。しかし、世界的なヘッジファンド・マネジャーであるジョージ・ソロスは、むしろ価格がファンダメンタルズに影響を及ぼし、ファンダメンタルズが価格にさらに影響するという、双方向に作用し合う再帰性(reflexivity)理論を自身の相場観の拠り所にしている。これはジョージ・ソロスの言葉だというと、何か高尚な概念のように聞こえるが、相場をやっている人なら誰でも直感的に知っていることだ。伝統的なファイナンス理論に取り入れられていないのは、このようなファンダメンタルズ⇔価格の相互作用は、数式で上手く表現できないので、理論的な整合性を数式で表現することで成り立つ経済学の論文としてはかっこ悪いし、教科書的に座りも悪い、というだけの理由だ。

実は、量的緩和が円安や株価高を引き起こす具体的なトランスミッション・メカニズムはないのだけれど、過去の経験的に、量的緩和は為替や資産価格には効く、あるいは効くと信じられている。そして、実際にアベノミクスは為替にも株価にも強烈に効いた。円安が最初は輸出企業へ、それから株高による消費者心理の改善などを背景に、他の企業へも波及しはじめた。実際に、日本人の個人資産は未だに預貯金に偏っていると言われているが、それでもやはり多くの日本人が投資信託などを保有しているのだ。これらの投資信託は民主党政権だった時の、日経平均8000円、ドル円75円の時代には、大きな含み損を抱えていた。金融機関から届く、多額の含み損を抱えた自分の投資信託の運用報告書を見て、多くの国民がうんざりしていた。それが安倍政権になってから、瞬く間に価格が上昇した。2倍以上になった投資信託もめずらしくない。つい最近まで何十万円のマイナスだった自分の投資信託が、気がついたら100万円も200万円も含み益を抱えていた。この心理的効果は強烈である。思わず財布のヒモも緩むというものだ。こうしてデパートの高級品売場には活気が戻り、飲食店は繁盛しはじめた。株を持っていなかった国民にも恩恵が回りはじめた。これが安倍政権の高い支持率の理由である。

そして、自民党議員たちは、株価が自分たちの生命線だと気づきはじめた。最近の選挙は、利益団体の固定票だけでは当選できなくなっている。選挙に勝つには、利益団体に所属せず、選挙運動にも関わらず、なんとなくの雰囲気で投票するサイレント・マジョリティに好かれなければいけない。そのためには高い株価を維持することが最重要課題となった。自民党議員は、選挙に落ちればタダの人である。議員でいる限りは、諸経費の支給を合わせれば年収4000万円にもなり、数々の利益団体が先生、先生と媚びへつらってくる。それが、選挙に落ちれば一夜にして無職となり、今まで自分を支持して集まっていた人たちは蜘蛛の子を散らすように去っていくのだ。議員たちはその恐怖と日々戦いながら、まとまった票を入れてくれそうな人たちの結婚式やら葬式やらに毎晩駆けずり回っているのだ。そんな彼らが、高い株価で支持を得た。そして、自らの地位を安泰とするには、今の株価を維持し、さらにできることなら上げ続けないといけないことがわかった。高い株価が、高い支持率を引き起こしたのだが、今度は、高い支持率を維持するために、株価を上げなければいけないのだ。こうして安倍内閣は、ある意味で、株価に隷従しはじめた。あるいは、自民党議員たちは、株価と結婚したのかもしれない。

株価は、将来の期待を織り込んで形成される。アベノミクスの3本の矢は、「大胆な金融緩和」、「機動的な財政政策」、そして「成長戦略」である。最初の2本は、歴史的な円安と株高を実現した。その結果、安倍内閣は参院選の前に極めて高い国民の支持を得ることとなった。現在の株価は、さらに3本目の矢を織り込んでいる。6月に発表されるという、アベノミクスの成長戦略である。株価の期待を裏切る、残念な成長戦略が発表されれば、株価は暴落するだろう。内閣支持率とともに、だ。

これは今回の成長戦略の中でそれほど重要な部分ではないのだが、株価形成のメカニズムを理解するためにいい例なので紹介すると、橋下大阪市長などがカジノ解禁を主張しており、猪瀬東京都知事や安倍首相なども前向きなために、今回の成長戦略のリゾート開発特区などで、日本もシンガポール政府と同様に、一部の特区でカジノを解禁するのではないかとの憶測が広がった。今週の株式市場の大きな下落の後でも、カジノ関連銘柄とされる日本金銭機械は年初来で株価がほぼ2倍になり、セガサミーは株価が年初来で7割も上昇している。これでカジノ解禁が成長戦略に盛り込まれないと、こうした株は暴落することになる。現在、カジノだけでなく、医療や農業など、その他の様々な分野でも、アベノミクスの成長戦略で恩恵を得そうな企業の株が高騰しているのだ。つまり、平凡な成長戦略では、株価は下落するし、良くて現状維持になる。黒田日銀総裁が、市場参加者の予想をはるかに上回る異次元の金融緩和を発表し、株式市場は暴騰して、為替は大きく円安に動いた。成長戦略でも、こうした市場の期待を上振れするものが求められており、想定通りだと、期待を過剰に織り込んでいる株価はおそらく下落してしまうのだ。想定を下回れば、株価は一気に暴落することになる。そして、株価が落ちれば自分たちの支持率が落ちることも、自民党議員はよく理解している。

このように政府と中央銀行が、常に株式市場の期待を上回ることを求めれる結果、何が起こるかは歴史が証明している。バブルの生成と崩壊である。2008年の金融危機は、欧米の政府も中央銀行も、ある意味で、マクロ経済政策を上手くやりすぎた結果なのである。良くも悪くも、安倍内閣は株価と結婚した。どんな結婚でも最初のうちは楽しいものだ。そして、離婚は結婚よりもはるかに困難である。筆者は、この新しい夫婦を、しばらくは見守ることにしたい。