公教育の役割は子どもの才能や個性を発見し伸ばすことではない --- 楠木 秀憲

2013年06月16日 06:32

皆さんはTEDをご存じでしょうか。

TEDとは「Technology Entertainment Design」の略で、一言で言うと色んな人が色んなアイデアを発表する講演会です。有名どころでは元アメリカ大統領のビル・クリントンやマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ、あるいは一般人でも北朝鮮から逃げてきた女性や「大人は子どもにもっと学ぶべきだ」と主張する子どもが発表を行うなど、政治家や研究者、ビジネスマン、アーティストなど様々なバックグランドを持った人が自分の研究内容やアイデアについて講演を行なっています。

そんな中でも1600万回以上という最も高い視聴回数を誇っているのがこの動画。Ken Robinsonの「Schools Kill Creativity.(学校教育は創造性を殺してしまっている)」です。


大学のプレゼンテーションの授業で題材としてこの動画を取り扱ったのですが、教育について非常に考えさせられるものであり、それと同時にTEDの存在意義についても考えさせられたので、そのことについて少しここで考えてみたいと思います。

彼の主張はタイトルの通りで、「既存の学校教育(公教育)が、子どもが本来持っているはずの創造性を殺してしまっている」というものです。現在の学校教育が取り扱っている「学力」は人間が持っている様々な才能あるいは可能性のほんの一部分であり、学校教育はそこを重視するあまり、それ以外の可能性を殺してしまっているのです。彼はこのことを様々な例を取り上げて説明しています。

例えばジリアン・リンという少女は、小学生の時、先生に学習障害があると言われました。集中力が無くいつもそわそわしていて、学校の授業に向いていないのです。

今ではADHD(注意欠陥・多動性障害)という名前がつけられていますが、その当時はそういう「病気」は存在しなかったそうです。そこでジリアンの母親は彼女を連れ医者に相談しに行き、彼女の学校での行いなどについて話し合ったそうです。

すると医者は、ジリアンに「君にお母さんの話をいろいろ聞いて、お母さんと少し話がしたいんだ。少しここで待ってて」と言って、母親と共に部屋を出ます。その際、部屋に置いてあったラジオのスイッチを入れて。

そして、彼女が一人ぼっちの状態で何をするのかを部屋の外で見守っていると、彼女はラジオの音楽に合わせて元気に踊り始めたのです。そこで医者は彼女に言いました。「お母さん、ジリアンは病気なんかじゃありません。ダンサーですよ。ダンススクールに通わせてあげなさい」。その後、ジリアンはダンスの振付師になり、ミュージカルの傑作「キャッツ」や「オペラ座の怪人」の振付師として世界的に活躍するようになったのです。

この例が何を示しているかというと、彼が言うように人の才能は多様であり、学力しか扱わない学校教育はその他の才能を発掘することができずにいるということです。

このことは、人類が石炭という特定の資源だけを掘り起こして生活していた時代に似ています。しかし現在、人類は石油や天然ガス、太陽光発電といった多様な資源を活用しさらなる発展を遂げています。

同様に、もし我々が人類の持っている他の才能を上手に発掘し、教育によって育て上げることができたなら、世の中はもっと素晴らしくなるはずであるというのが彼のアイデアです。そしてそのためには、学校教育が数学や人文学だけでなくそれと同等に芸術を大切な科目として扱うこと、また教育が個々の生徒の才能や状況にあわせて個別化されなければいけない、と彼は主張します。

非の打ち所のない、非常に真っ当な意見に聞こえます。しかし、本当にそうでしょうか?

僕は何でも批判的に考えてしまうクセがあるのでそれがここでも発動しているのですが、やはり彼のアイデアを手放しに「素晴らしい」ということはできません。本当に、学校教育が、創造性を育む必要があるのでしょうか? ……と言うと誤解を招きそうなので正確に言うなら、公教育が、数学や人文学といった学問と同等に芸術に力を入れるべきでしょうか?

まずは、公教育の役割を再確認したいと思います。

インドの著名な教育者ジッドゥ・クリシュナムルティは、「教育の唯一の目的は、その人が心からやりたいことを見つける手助けすることである」と言いました。そのための場所として、小学校や中学校といった政府が提供する公教育と、家庭や習い事などの個別に任された私教育が存在します。

そして私が思うに、公教育の役割とは、子どもが社会で生きていくための最低限の常識と能力を与えることだ、と考えています。そして実際にその子がどんな才能を持っているかを発掘し、どの才能を育てるかを決めるのは、私教育の役割なのです。

必ずしも、誰にダンスの才能があって誰にバイオリンの才能があるかを教師が探る必要はないのです。それは子どもと親が決めるべきことであって、教師はただそれを否定することなく社会で生きる術を教えていれば良いのです。

学校教育が子どもの創造性を殺している。そして、学校教育が子どもの創造性を殺すべきではない。この点には賛成です。

しかし、創造性というのは非常に不確かなものです。それはダンスかもしれないし、バイオリンかもしれないし、絵描きかもしれないし、書道かもしれないし、もっとニッチな分野でしか生きないものかもしれない。公教育の「子どもが社会で生きていくための最低限の常識と能力を与える」という役割のもと、限られた時間と限られた教師という資源を、数学や国語と同等にこれらの芸術に対して割り振るというのは不可能に思えます。

現実的な話として、学校教育は子どもたちに生きる術を与えています。それは単に受験や就職活動といったシステム的な問題だけでなく、実際に子どもたちが大人になった時に生きる手段として使える知識としての数学や語学や歴史や科学です。

残念ながら人は生きるためにお金を得なくてはならず、お金を生む仕事のほとんどはこういった学校教育が教える知識によって支えられているのではないでしょうか。だからこそ、IT関係の仕事が増えている昨今においては、学校教育でプログラミングを教える必要性が議論されているのです。学校教育は常に、子どもが生きるための現実的な術を教えることにフォーカスしているのです。

ここで誤解してほしくないのは、私は今の学校教育が素晴らしいものだ、と言っているわけではありません。画一的で一方的な授業、正解と不正解しか教えないスタイル、教師の質の低下、いじめや暴力問題など、様々な問題があります。

ただ、現在の学校教育に問題があることと、そこに芸術を取り込むべきかというのは全く別の話なのです。創造性を育むことで全てが解決されるわけではないのです。

プレゼンテーターのKen Robinsonは芸術分野の教育者であり、彼が個人的に芸術を重視するのは構いませんが、それは公教育の目的にはそぐわないのです。ダンスの才能に気付いたなら部活動かダンススクールに通わせればいいんです。ただし、その子にダンスの才能があるとわかったところで、学校でダンスのクラスを開講するわけにはいきません。その先は、私教育に任されるべき分野なのです。

楠木 秀憲(くすのき ひでのり)
京都大学経済学部

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