数学の世界とその魅力

2013年06月22日 23:23

多くの人たちにとって、数学はどちらかというと苦手な科目ではないだろうか。実際、最近の米シカゴ大学の研究によると一部の人たちには、数学が本当に肉体的痛みを感じさせるのだという。恐らく、数学が嫌いな人は、数学は無味乾燥で、理解不能なものであり、何でこんなことを勉強しなくてはならないのか? と疑問に思っていることだろう。

だが、本当にそうだろうか?  


私は数学の教育と研究を生業にしているが、数学を研究するのは生活のためという意識は全くない。何のために研究しているのか、というと単純に興味深いからである。数学の研究は、自分で研究していても、あるいは他人の研究を勉強しても、「へえー」とか「ほー」と驚いたり、感心したりすることが多い。逆に、そういうものでないと、評価されない。 

例えば、

任意の正の整数は、4つ以下の整数の平方の和で表される(ラグランジェの四平方定理)

とか、

任意の正の整数nに対して、nと2nの間には必ず素数がある(チェビシェフの定理)

といった定理は、古典的かつ初等的なものだが、十分不思議で神秘的なものだ。

子供の頃、庭の敷石を引っ繰り返して、その下に大きなアリの巣を発見した驚きは今も忘れられないが、数学の発見の驚きは、それに相通じるものがある。 「へえー、こんな風になってたんだ!」という驚き、それが数学の研究の醍醐味だと思う。

H・G・ウェルズの小説「白壁の緑の扉」は、少年の頃、緑の扉の向こう側にある美しい幸福の庭園に迷い込んでしまった男が、その緑の扉を度々目撃するものの、その扉をくぐるチャンスを生かせず、その一方、どんどん出世するが、最後には、緑の扉をくぐった挙句、地下鉄工事の穴に転落して死んでしまうという話で、その最後は

       われわれは、この世を常識で見ている。
       板囲いは板囲い、穴は穴だとしか思わない。
       われわれの白昼の基準で考えれば、
       彼は安全な場所から闇へ、危険の中へ、
       死へと転落して行ったのだ。

       だが、彼はそう考えただろうか?  

H・G・ウェルズ「白壁の緑の扉」  J・Lボルヘス編/序 小野寺健訳 国書刊行会

という文章で終わる。

数学者の日常というのは、この「緑の扉」探しである。 殆どの日々は、扉は見つからない。緑の扉を見つけたと思っても、その扉は偽物で、扉を開けたら、詰まらない世界が、という繰り返しだが、稀に、緑の扉を開いたら、今まで見たこともない驚きの世界が広がっていて、しばしその場に座り込む、といった幸福な瞬間が訪れる。これは何物にも代えがたいものだ。

結局のところ、数学の目的というのは、他の学問と同じように、自然界や世の中を動かしている仕組みを、一皮めくって見るということであるが、高度に抽象化されているために非常に自由で広大な空間になっており、次々と新しい世界が現れるのだ。

例えば、通常の感覚では、3次元までしか知覚できないが、数学の世界ではn次元の空間がごく普通に表れるし、無限次元の空間というのも、ごく普通に扱う。  

もっと身近なところでは、複素数の世界まで考えると、オイラーの公式で指数関数と三角関数が結ばれることを理解すれば、今見ている世界の外側に複素数の世界が広がっていることを実感できるだろう。「この世の常識」で世界を見るのではなく、「あの世の常識」で世界を見れば、世界は全く別物に変わるのだ。 

数学を学ぶことで、自分の世界を広げてみては如何だろうか。 

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