感情を捨て、冷静な議論をしよう

2013年07月01日 09:00

私の専門は数学である。数学の世界では、感情の入り込む余地がないので、感情を排して冷静な判断をすることは得意だ。しかし、その反面、はっきりものを言いすぎるかもしれない。  

しかし、我々は、今こそ感情を排した議論をすべきではないだろうか。
   


物議を醸した巻頭言

私は、自らのはっきりした物言いで物議を醸したことがある。

10年以上前のことになるが、私は、ある数学関係の雑誌の巻頭言を頼まれて「人類と自然淘汰」という題名の文章を書いたことがある。その内容は、「人類には天敵がいないので自然淘汰に晒されておらず、遺伝的に弱くなる心配がある。このままでは危ないのではないか」というものだった。つまり、医学の進歩で、乳幼児の死亡率は低く、人間の場合、生まれた子供は、余程のことがない限り、成人するが、これは生物学的に異常なことであり、弊害が生じるのではないか。このことについて真剣に考えるべきではないか、と書いたのである。

私としては問題提起のつもりで書いたのだが、文章を送ったところ、直ぐに「先生、これはタブーではないでしょうか?」という編集者からの反応があった。 結局、表現を散々マイルドにして載せてもらったが、ちょっと物議を醸した。

この問題について、生物学者に何度となく尋ねたことがあるが、「そういうことは考えない方がいい」、「それは考えてはいけないんです」、「それはタブーでしょう」といった反応しか得られていない。 結局、この問題を「真剣に」考えると、結局、「出来の悪い人間を間引く」、「定期的に病原体をばら撒いて、生存率を下げる」、「街中にライオンを放して、逃げ遅れた人には死んでもらう」といった人道に反する考えに陥り易く、危険だというのである。

実際、同僚と議論したとき出てきた解決方法は、「成人するまでは医者に掛かることを禁止したらどうだろう」とか、「無人島に一年間、子供を放置して、生き残った子供だけ育てる」といった非現実的なものだった。

この巻頭言の最後に、「人類が21世紀中、存続するためには、急激に人口を減らさなくてはならないことが証明された場合、果たして我々は人口削減を実行できるだろうか?」と書いたが、私は、感情が邪魔して、コンセンサスが得られそうにもない問題を公然と議論することの難しさを見落としていた。 

感情を捨て論理的に考えよう

確かに、このように公然と議論できない問題は数多いが、危機が顕在化してからでは、どうにもならない問題は数多くある。喫緊の課題である、日本の財政再建問題もそうであるし、もっとグローバルな大問題では、気候変動の問題や、エネルギー問題もそうである。

これらの問題は、容易な解決が不可能であり、しかも、その解決のためには、我々の生活をかなり犠牲にしなくてはならない可能性が高い。 そのため、これらの問題は、長い間、事実上放置されてきた。 

エネルギー問題一つとっても、現在、原油価格は1バレル100ドル程度になっており、問題は既に顕在化しており、エネルギーコストが、経済成長を蝕んでいる。ピークオイルも切実な問題になりつつある。エネルギーコストを下げる方法は全く見つかっていない。OECDの予測では2020年には、原油価格は1バレル200ドルになるという。   

こうした容易に解決できない問題に直面したとき、多くの人たちがとる行動は、その問題を忘れる、つまりなかったことにすることである。 

だから、シェール革命がその実態以上にもてはやされるわけであるし、「インフレにすれば好景気になり、増税しなくても財政再建ができる」といった嘘話を書いた本が売れるのである。気候変動についていえば、「温暖化の原因は宇宙線かも知れない」、「温暖化の原因は太陽活動の変化だ」という説が出れば、大した検証もせずに、信じてしまう。極端な例では、「2℃の気温の上昇で、起きる悪影響の予測も、あくまで予測に過ぎない」といった予測の意義そのものを否定する議論を展開する人までいる。 IPCCの報告書は

「世界平均気温が1990年‐2000年水準より最大2度上回る変化は、現在の主要な脆弱性を一層悪化させ、また、多くの低緯度諸国における食料安全保障の低下など、その他の脆弱性ももたらすだろう」。

と述べているにも関わらずだ。 問題が深刻化してから行動しろとでもいうのだろうか? 最近Australia Climate Comittiissionが「化石燃料の残存埋蔵量の80%は地下に残すべきだ」との報告をまとめているが、こういった提言を聞いても、「被害が起きるかもしれないという可能性だけの話」として、葬り去ることを続けていては、事態は悪化するだけだろう。 今見えない危機や、確実に予測できない危機は存在しない、というのでは到来する危機は防げない。 それどころか、今起きていることも見ないことにしている人も多いだろう。

人間は感情に流されやすい。 正確な議論をするには、一旦、感情を完全に捨て去り、自分にとってどんな不都合な事実でも虚心坦懐に受け入れることが必要だ。

例えば、日本経済の先行きを、客観的に見れば、世界人口70億を現在の日本人並みに豊かにするだけの資源は地球上に存在しない(中国人が現在の日本人並みの生活水準を得るために、既に地球が3つ必要である)のだから、これから先、日本人の生活水準は下がることはあっても、上がることはないだろう。つまり、有限の資源を成長を続ける新興国と先進国が奪い合っているのだから先進国の生活水準は今後低下せざるを得ないのである。

こういった動かしようのない事実を前にしても 安倍首相は「美しい国、日本、日本を取り戻す」と抽象的で意味のないスローガンを叫んでいる。 真に、訴えるべきは、危機的な財政を立て直し、物質的な豊かさをある程度犠牲にしても、持続可能な社会を構築することであって、かつての成長を取り戻すことではないだろう。

インフレで見かけの成長を嵩上げしても解決になるわけがない。 お金というヴァーチャルなものを捨象して、物質代謝だけを観察すれば、限界は明らかだ。我々の物質的豊かさは、エネルギー供給×エネルギー効率 で決定されるからだ。 

政治家は、グレートリセット、既得権益の打破、道州制、地方分権というが、物質代謝という物理的側面だけ取り出してみれば、大した意味はない。単なる経済資源の平行移動で、成長は加速しないだろう。 民主党が行った事業仕分けを見ても分かるように、何兆円もの無駄が存在するといった幻想は捨て去るべきだ。

財政再建は試金石

私は人類の存続に関わるエネルギー問題や、気候変動の問題は、何よりも優先すべきだと思うし、既に解決可能な時期を逃しつつあるように思えてならない。おそらくピークオイルを過ぎた2025年には、世界の姿は一変しているだろう。

しかし、こういった大問題を解決できるかどうかは、喫緊の課題である日本の財政再建問題の行方を見れば分かるだろう。つまり、今を犠牲にして、将来を救うことを真剣に議論することができるか、我々は試されているのだ。 

何時までもこういった大問題の先送りを続ければ、「法定制限年齢を70歳にしよう(70歳を超えては生きられない)」といったことを「真剣に」議論する日が来ないとも限らない。つまり非人道的な解決方法しかなくなる可能性が確実にあると、私には思えるのだ。今こそ、我々は、感情を捨て、いかに自分にとって不都合な事実でも受け入れる勇気を持つべきだろう。

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