豊かさとは何か?、迫られるパラダイムの転換

2013年07月07日 00:10

昨日の長谷川さんの記事の「ギリシャ社会が、将来に対する展望を持てず、方向性を失い、目標を失っている」という言葉は非常に重く感じられた。なぜなら、これは、これから世界の大部分の人が感じるだろうことだからである。

ここでは豊かさとは何か、そして、その豊かさに、今後、どのようなことが起きるのか考えたい。 


豊かさの実感は拡大感にある

我々の現在の生活は、江戸時代の大名の生活より遥かに便利で豊かなものであることは論を待たない。それでも、多くの人たちは、景気が悪いといい、政府に何とかしろと迫る。これは、なぜだろうか。

これは過去と現在の映画を比較すれば一目瞭然だ。

「オズの魔法使い」を見てみよう。この映画で描かれているのは1930年代末のアメリカで、現在より遥かに不便な生活である。しかし、それでも、今の世界と比べると眩しいばかりに華やいで見える。少し時代が下って1950年代の映画「マイフェアレディ」を見ても、現在の映画より遥かに華やいでいる。全てが豊かで希望に満ち溢れている。

ところが、最近の映画はどうかというと、上に挙げたような映画とはまるで異なっており、最近の「グッモーエビアン」となると、フリーマーケットで買い物する母子家庭の母娘と居候の男といった設定になり、食事は100円均一の缶詰が主菜という具合だ。希望を探して暗中模索をする家族の心の動きが心に響く。 空想を働かせ、夢を追うべき、ヒーローものでも似たような傾向がある。 例えば、「ゼブラーマン」は異色の作品だ。そこで描かれるヒーロー像というのが、等身大を通り越して何ともしょぼい。見ていていたたまれなくなるほどなのだ。

映画に世相が如実に反映しているのである。

この差異はどこから来るのか。それは、我々は過去の人たちに比べ、圧倒的に豊かなのに、その豊かさはもう拡大しないと直観しているし、下手をすると、豊かさは失われると恐怖しているのに対して、1930年代末、1950年代の人たちは、これから確実に豊かになれるという直観があり、努力をすれば、豊かさはいくらでも与えられるという確信に満ちていたということだろう。

このように、豊かさとして実感されるのは、豊かさの拡大速度であって、その水準ではないのだ。     

エントロピーの増大

それではなぜ、将来に対する明るい展望が開けないのだろうか?

それは、今後、物質的豊かさが拡大するという展望が存在しないからで、その根本的原因は、エントロピーの増大に求められる。  

熱力学の第二法則は、閉鎖系に於けるエントロピーの増大を主張する。これは分かり易く言えば、「形あるものは壊れる」、「放っておけば、乱雑さは増大する」ということである。

例えば、鉱物資源は、質の良いものから採掘されるから、次第に質は低下する。石油も掘れば噴き出すようなイージーオイルの時代は、とうに過ぎ去り、深海の海底からさらに数キロ掘り進んで原油に辿りつくといった具合だ。だから、石油にしろ、銅などの金属にしろ、その価格はウナギ昇りだ。経済成長してもエネルギーコストの上昇で実質賃金は低下する。だから我々は、これ以上豊かになれなくなった。 世界の物質的な豊かさの総量が、もう大きくならなくなってきているということだ。

正確には地球は閉鎖系ではないから、太陽光エネルギーのような、外部からのエネルギー(つまりストックではなくフロー)を使えば原理的には豊かさは拡大可能なのだが、これは密度が薄すぎて、実際には困難なのだ。 

エントロピーの増大は、物理的なものだから、エジプトのように革命で政権転覆をしても全く解決しない。 誰か悪い奴がいて、富を独り占めしているために、皆が貧しい訳ではない。

これには反論もあるだろう。 実際、先進国では、貧富の差は拡大しており、上位1%の人たちが富を独占しているように見える。だから連中から富を民衆の手に取り戻せば問題は解決しそうに見えるだろう。だが、これは恐らく見かけだけのものだ。確かに平均の100倍の収入を得ている人たちはいるだろう。だが、彼らは一般の人たちの100倍のエネルギーを使い、100倍の食糧を消費しているわけではない。だから、彼らから金融資産という「富」を奪って皆に配っても、それは殆どなくなってしまう。皆のお腹は一杯にはならない。キリストの「パンの奇跡」とは逆のことが起きるのだ。 

同じように、金融緩和によりアメリカも日本も株価は上がっているけれど、それは、あくまで見かけだけのものと考えた方がいい。世界に存在する豊かさの総量に比較してお金という見かけの交換価値を増やしても豊かにはなれない、それだけのことなのだ。 

今、参院選で、自民党は、アベノミクスで景気回復を実現すると主張しているが、これは当然のことながら実現しない。日本経済の実力は精々年率1%程度の実質成長ができるかどうか、といったところなのだ。これ以上を求めても意味はない。 

田原総一郎氏は、「各党は参院選までにアベノミクスの対案を出せるように努力すべきだ」と言うが、見当外れも甚だしい。

日本経済の成長をこれ以上目に見えて加速する方法は全く存在しないからだ。 構造改革を行っても生産年齢人口の減少もあり、成長は加速することはないだろう。

もう物質的な豊かさの向上を求める時代は、完全に終わったと言ってよい。

精神的な豊かさを求めよう

物質的な豊かさは、今後は減り続けるだろう。そのことを気にしている限り、我々は不幸のどん底にいるような気分になってしまうかも知れない。

実際、下に示すように、人口爆発は原油の生産拡大に支えられた。それが今、ほぼピークに達し今後は減少に転じようとしているわけである:
 
A-brief-history-oi-humans

The really, really big pictureから転載)

我々は、人口減少時代への突入という歴史的転換点にいるわけで、これから持続可能な人口へと粛々と人口を減らしてゆくことになるわけだ。

恐らく2100年に人類が存続しているとするならば、彼らは高度な文明を持ちながら、物質的には限界に近い生活を強いられていることだろう。しかし、彼らはそれを当たり前のこととして受け入れ、高度な精神生活を営んでいると考えたい。

我々も、そういった遠い将来を目指して、精神生活の部分を拡大してゆくべきなのだろう。 幸い、日本には、松尾芭蕉、小林一茶といったお手本がいる。 日本人がそういった先人に学び、豊かな精神生活を営むことを願ってやまない。

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