気候変動と認知的不協和

2013年07月14日 09:01

気候変動の問題は、なかなか議論が進まないが、これは人間には時間的、空間的に遠いものは認識できないという知性の限界と自分にとって不都合な予測を無意識に排除するという性質によるものと考えられる。


認識されない危機

人間は時間的、空間的に遠いことは、なかなか危機として認識できない。

カリフォルニアの水資源危機で、カリフォルニアのセントラルバレーの農業が危機に瀕していることを報告したが、これは、次のビデオを見れば、危機を実感できるだろう。

水不足で栽培が出来なくなったアーモンドの木をブルドーザーで次々に倒さざるを得ない農場主の気持ちは、察して余りある。しかし、こうした危機が進行する一方、近くのロサンゼルスなどの大都市住民の多くは無関心だ。

「都市住民は食糧がどこから来るのか知らないんだ!」

という、このビデオに登場する農場主の嘆息は、問題の本質を表している。 

下の図のように昨年に続いて、今年もアメリカの中西部は酷い旱魃に見舞われている。

drmon2013-7-9

しかし、日本ではそれを実感することは難しい。 日本でも、現在利根川水系のダムの貯水率は94年の渇水時の水準を下回っており、深刻な状況だ。しかし、多くの人は、断水でも始まらないと危機は分からないし、夏が過ぎれば忘れてしまうだろう。

解決が困難な水資源の問題

地球に存在する水の量はおよそ14億㎞3あるが、淡水は2・5%しかなく、淡水の多くは南極、北極に氷として存在し、その他はO・8%。さらに、そのO・8%のほとんどが地下水で、河川、湖沼などの水量はわずか0・01%に過ぎない。このように水資源は限られている。

都市住民は水資源の問題を簡単に考えがちだが、水は重く運搬が困難であり、しかも必要量も膨大だ。

水資源の大部分は農業生産に使われるが、小麦1トンを生産するのに2000トン、米1トンを生産するのに3000トン以上の水が必要とされる。牛丼1杯を作るのに2トンの水が必要な計算だ。このように生活用水や飲料水としてだけでなく、間接的に我々は膨大な量の水を使って生活しているが、それを意識することはない。

現在の技術では1トンの水を海水淡水化で作るとすると、3Kwh以上の電力が必要で、これを劇的に効率化するのは困難だ。 飲料水を作るのならともかく、農業用水を海水淡水化で賄うというのは、全くの絵空事といってよい。

このように水資源の問題については将来を含め、人間の出来ることは非常に限られており、一旦、気候変動により恒常的な水資源の不足が生じれば、解決は極めて困難だ。

正確な予測が難しい危険は、存在しないわけではない

正確な予測ができないからといって危機が存在しないわけではない

例えば、長期金利が急騰して、日本の財政が行き詰まる確率がどのくらいあるのか?、また、起こるとしたら何時起きるのか?といった問いに正確に答えるのは極めて困難である。 そもそも確率は、どういった尺度(正確には確率測度)で計測するのかによって変わってくるので、一つの目安でしかない。 

しかし、長期的視点から財政破綻問題を眺めると、「このままの状態を放置した場合に、財政破綻することは確実である」ということは直ちに了解される。だから、消費税増税が議論されるわけである。

地球温暖化問題についても同じで、山城さんの記事のように、正確な予測が難しいことを捉えて、予測を批判することは簡単なことだが、財政破綻問題と同じく、現在の世界が持続可能なものではなく、このままの状態を放置すればやがて破綻することは、多くの証拠から全く明らかなことだ。 実際に気候変動は起きており、一旦、被害が深刻化してしまえば、事態の改善は不可能に近い。 

本当の敵は我々の心の中にある

温暖化の原因については、IPCCの第四次評価報告書(これはサマリー)にあるように、二酸化炭素などの温室効果ガスの増加によるもの、とする意見が主流である。

勿論、異論はあるかも知れないが、今のところ他に有力な原因は見つかっていない。従って、現在のところ、温暖化の原因は温室効果ガスの増加であるという仮定の下で、分析や予測を行っていくしかない。なぜなら、上に述べたように、実際に温暖化の被害が深刻化した場合に、我々の取り得る手段は極めて限られるからである。あくまで予防原則の下に行動する以外に選択肢はないのである。

それでもなお温暖化懐疑論が根強い理由は、今の豊かな生活を犠牲にしたくないという理由が大きい。

今日、存在する温暖化懐疑論は、予測の不確実性を捉えて批判するものが多いが、予測の不確実性が大きいということは、裏を返せば、予測より大きな温暖化が起きる可能性もあるということであり、予測の不確実性を捉えても批判にはならない。「分からないから、対策をとらなくてよいのでは」という意見は、「もしかしたら温暖化など起きないんじゃないか」という根拠のない期待によるもので、人間には、自分にとって不都合な可能性を無意識に排除する性質があるということだ(認知的不協和の解消)

だから「温暖化対策なんかやったって大して効果はないのだから、何もしなくてよい」とか、「IPCCの温暖化の悪影響の予測といったって、実際にその時になってみないと、どうなるか分からないじゃないか」などと物事が好い方向に転ぶことを無意識に仮定してしまうのである。

また「化石燃料の燃焼による二酸化炭素排出が温暖化の原因と決まったわけじゃない」というのも、無意識に自分たちが化石燃料を使うことを正当化し、化石燃料の使用の規制が自分たちの生活を圧迫することを避けているのである。

しかし、そうも言っていられなくなってきた。最近、今年の秋にも米中が、温暖化対策で行動計画を策定するというニュースがあったが、これは、二年連続の大旱魃に悩むアメリカや北京郊外まで砂漠が迫り、全国的な地下水位の低下など恒常的な水不足に悩む中国にとって、温暖化問題は、まさに今の問題になりつつあることを示している。石油資源の減耗と気候変動が、シリア、エジプトの政変を引き起こしたが、持続可能性の問題は、先進国にも決断を迫りつつあるものと考えてよいだろう。

(注)「エコノミスト誌が報じた温暖化の「停滞」」にあるように最近温暖化の進行が遅くなっているが、これについては、Reconciling anthropogenic climate change with observed temperature 1998-2008にあるように、中国のエアロゾル排出の影響によるものという論文がある。またエアロゾルの影響の気候モデルへの取り込みも始まっている(The global warming conundrum,greenhouse gases vs aerosols)。

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