エリートはその人生を他者に捧げよ

田村 耕太郎

少し前の話だが、東大五月祭で講演する機会をいただいた。タイトルは「決断の技法」。「休学を考える」というテーマのシンポジウムの締めの講演であった。楽しいイベントもりだくさんの学園祭の中で、けっこうシリアスなテーマなので、人が集まるか心配したが、会場には300名を超える東大をはじめとする意識の高い若者が集まっていた。一言で言えば、私は「東大生よ。君らの若さで恐れるリスクはないから思うまま生きよ」と思い切り彼らの背中を押した。


私の出番の前の、休学経験ある登壇者と会場のやり取りを聞いていて、天下の東大生でも休学をリスクと考える人が結構いる様子。まずそれに驚いた。会場には東大を目指す浪人生も来ていて、「僕は浪人しているのでもう休学はできません。休学をしないで立派になった人を知りませんか?」と質問していた。

主催者が私を見つけ「田村さんは休学されていませんよね。田村さんがいい例です。田村さん休学どう考えますか?」と振ってきた。私は「休学がリスク」なんて考えたこともなかったので答えに窮したが、「君らの時代には平均寿命が100歳を超える。1年くらいなんてことはないよ!」と真顔でこたえたが、会場は一瞬驚き、笑いが起こり、拍手をいただいた。

そして私の登壇。世界情勢の話は最後にしようかと思っていたが、若い東大生ともあろうものが、休学や浪人くらいのことで悩むくらい世界を知らない様子なので、私が最近見てきた世界の事例から話を始めた。

大学に来て4年もいることがリスク?
「皆さんの中には東大に入って4年で卒業するというレールから外れるのをリスクと考える人がいるようだ。だから土曜の夕方に、ほかに楽しい催しものがたくさんある五月祭の中で、わざわざこのシンポジウムに来られている。確かに、自分が大学生だったら休学は大ごとかもしれない。でも色んな経験を積ませてもらった立場から言うと、「休学がなんじゃ?」という感じだ。皆さんとの同世代で同じくらい優秀なアメリカ人の中には、“大学に来ること自体がリスク”と考える人たちが出てきている。皆さんと同じような、優秀なリーダー候補の中で、中高生くらいで起業して大学に来ない人が増えているのだ。“22年間も実社会に出ない方がこれからの時代にはリスクだ”と思う人が出てきているのだ」

「日本の若者の中では最も情報収集力があり、考える力があるとされる皆さんでも日本の中だけにいるから、世界の若者から見るとナイーブなことで悩んでいる。まずは世界を見てきて何を悩むべきが考えた方がいい。」

東大の中でもいまだに「4年間で卒業して就活して安定した組織に入る」ことが規定のレールみたいに思っている学生がいること自体ショッキングだった。私は「君らが社会に出るこれからの時代に、どんな大きな組織のトップだって君らに40年間の長期雇用を約束できる人はいない。君らが考える安定なんて誰も保証してくれない。国だって君らに十分な年金を払えるかわからないのが事実だ。君らだけでなく僕らの世代もこれから長くなる人生で、どこかの組織に頼って生きていこうというのは無理。死ぬまで自分で稼いでいかねばならない。」と訴えかけた。学生たちもうなづきはじめる。

これからはグローバル化、高齢化、テクノロジーの進化、気候変動等未曾有の大変化がわれわれの人生を襲ってくる。高齢化は東京にいると実感しにくい。日本人ばかりで成り立ち、日本語の壁に守られた情報鎖国日本にいるとグローバル化という大変化がうっすらとしか感じられない。我が国の硬直した雇用法制が、テクノロジーの進化が働き方や仕事そのものに及ぼす影響を割り引かせている。だからこそその変化を肌で感じるために、やがて日本も避けられないであろう変化がすでに起こっている海外に出てほしいと訴えた。

変化が実感できない国で惑う東大生
私は、これからの変化を実感してもらうために、具体的に日本経済が今後の30年でいかに世界シェアでみれば小さくなっていくか、反対に日本を除くアジアの経済がどれだけ大きくなっていくか、このままいけば消費税はどこまで上がる可能性があるのか等について具体的な数字を挙げて彼らに伝えた。当たり前だが、過去の延長に未来はなく、レールから踏み外れることがリスクではなく、過去のレールに乗っかることがリスクであるのだ。
「リスクを取らないことがリスクである」というのは日本でも言われて久しいが、日本一優秀とされる人々の前でいまさらこういう考えを披露せねばならないことがなんだか少し残念であった。頭がいい学生たちなので、何となくわかっているが、具体的に実感できないと一歩踏み出せないのだろう。これは東大生をはじめとする学生の責任ではない。教員や親たちが学生たちのためにこれからの未来を真剣に考え抜いていない証拠だと思う。学生はむしろ被害者だ。

しかしながら、大学生にもなれば自分で決断していかねばならない。そのきっかけになるべく、アメリカの学部生が入学後まず読まされるのがイマニュエル・カントの「啓蒙のすすめ」である。この中では「指示待ちの子供」から脱却して「自分で決断する大人」になる必要性が説かれている。まさにこの主旨を東大生たちに説いた。

「決断の技法」とのタイトルの講演でもあるので、世界情勢の後は、決断の仕方について語った。決断力をあげるにはとにかく実践しかない。ニュースを見て評論家のように他人の決断の失敗をあげつらうのではなく、“自分ならどうする”と自分に常に問うのがいい。先日お邪魔したハーバードビジネススクールでも、「うちは経営管理の技術を教える学校ではない。それは本を読めば誰でもわかる。ここは決断の訓練の場。あなたならどうするという究極の決断の場を二年間で500回以上ケースを通じて学生に与える。場数をこなして自分なりの決断の原則を作り上げてもらう。なぜなら、誰にとっても正しい決断はこの世に存在しない。自分でやる決断は後悔しないよう自分で決めるしかない」といっていた。その通りだと思う。後悔しない決断をするための自分なりの決断の原則を作るしかないのだ。

決断力上げるには場数しかない!
その参考とすべく多くの先人たちの決断とそれにかかわる苦悩が書かれている世界の古典を読むこともすすめておいた。決断を先送りすることの弊害もタイムコスト意識を持つことで実感できることも伝えた。決断先送りの直近の事例として、シリアへの介入を決断できなかったオバマ政権を挙げておいた。アメリカはこれからその優柔不断さに対するツケを払うことになるだろう。危機が深刻化するまで介入しないという日本的な姿勢はイラクやアフガンで厭戦気分の残る国民受けはいいだろう。だが、早期に強力に介入しておけばシリアをここまで破綻させることはなかったのではないか?

最後に懇親会で私は一番伝えたかったメッセージを熱く語った。「君らは子供時代から同じようなレベルで集まっているから自分の価値と役割がよくわからないのだと思う。君らは皆、何万人に一人の存在なんだ。君らにはその能力や努力や家庭環境と引き換えに義務がある。君らは君らの意識は別として、エリートでありリーダーなのだ。決して楽な道は行くな。自分さえよければいい人生はあきらめてほしい。君らがリスクを恐れ、自分たちのことばかり考え、行動を起こさなかったから、君らとは違う何万人の人が困ることになる。君らの役割はその何万人かのために人生を捧げてほしい。だとしたら小さいことを今から気にしないでほしい。大いに苦労して厳しい人生を自分で切り開いてほしい」

こういう厳しめの話は受けないと思った。ところがどうだろう。大きな拍手と熱い表情が私のこの主張を迎えてくれた。上から目線の妙なエリート意識ではなく、社会のためにその才能を捧げる覚悟である真のエリート意識に共感してくれたのだ。一人ひとり懇談してみると今日来てくれていた多くの学生がすでに留学決定だったり、留学を視野に入れている。「人のために人生を捧げよとの言葉僕の背中を押してくれました!アメリカで頑張ってきます!」とわざわざ告げに来た学生もいた。

日本の若者は全然捨てたもんじゃない!出会いに感謝