放射能問題、「トンデモ話」を見破れ!--山本太郎「議員」の主張を例に

2013年07月29日 03:48

「われわれは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされている」
旧約聖書イザヤ書

「暗闇を呪うよりも、ろうそくに火をつける方がよい」
格言

テロリストの不気味な蠢動

c680d8f091dc4ed6bcc6f03ba7cb0e16山本太郎氏の参議院選挙当選への懸念を私はコラムで述べた。残念ながら懸念は顕在化している。彼を支援したテロリスト集団の中核派が、選挙と政治活動を結びつけている。「7・26反原発金曜行動 山本太郎さんの参院選勝利受け情勢が一変」山本氏は説明責任があるはずだ。(写真は中核派サイト)


これまで私は山本氏の言動を詳細に見ていなかった。当選前に山本氏は、原発事故に苦しむ福島と東日本に対して「汚染」、「住めない」、「終了」、「健康被害」、「俺は放射能ではげた」などの罵倒とデマを繰り返した。

これは福島県の同胞に、そして東日本に住む私たちに大変無礼な言動であり、軽蔑と怒りの対象でしかなかった。仕方なくインタビューをテレビで見ると、内容が滅茶苦茶であった。細かい話で、読者の興味を引かないかもしれず、恐縮だが、問題を指摘してみる。

流通している食品は放射性廃棄物なのか?

山本氏は「食品の安全基準は現在1キログラム当たり100ベクレルだが、これは低レベル放射性廃棄物である」とテレビインタビューで叫んだ。(耳で聞いたので、表現は微妙にずれているかもしれない。)これは間違いだ。

「低レベル放射性廃棄物」とは、原子力発電の運用や解体で出る放射線線量の低い廃棄物で、法律上名付けられた名称だ。「100ベクレル・キログラム」の規定は、処理基準に出てくるもので、この水準までの放射線量であるなら通常のゴミと同様に処分と再利用することを認めている。

対象として想定されているのは原子炉周辺の建造物などであろう。これは「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」の規定だ。(環境省の解説文章)立法趣旨は調べられなかったが、おそらく年1mSvまでに、平時の国民の被ばくを抑えようとしたものであろう。

一般食品にも「100ベクレル・キログラム」の流通制限の基準がある。食品衛生法に基づく厚労省省令で定められている。この基準は、今年4月に年間被ばく線量の上限を、年5ミリシーベルト(mSv)から、年1mSvまでにすると規制強化の中で設定された。(厚生省の解説文章)この基準は、厳しすぎ、逆に被災地の農漁業品の流通を妨げていると専門家が指摘している。

つまり山本氏は、原発運用の際の廃棄物と、口に入れる食品という、別の対象を扱う法律を無理に結びつけて騒いでいる。また「放射性廃棄物」という誤解を生みかねない言葉を使って、食材の危険性を煽った。これは被災地の農漁業産物に対する悪いイメージを振りまき、風評被害を産みかねない。

そもそも国を「命を守らない」「信じられない」と批判する山本氏とその仲間が、国を批判する論拠に、国の別の法律を持ち出し、しかもその解釈もおかしい。冷静に考えれば論理矛盾で、私は何を言っているのか理解できない。また不思議に思うことがある。原子力関連の行政法など読んだこともないと思われる山本氏に、異様に細かい、そして間違った情報を「吹き込んで」、操っているのは誰だろうか。

他にも山本氏はテレビで、「1mSv基準は危険だ」とか「放射性廃棄物は百万年の管理が必要」など、エネルギー・放射能問題を調べている私にとっては、おかしいと思う発言を繰り返していた。説明は長くなるので、私が編集に関わるエネルギー情報のバーチャルシンクタンクのGEPRを参照いただきたい。

「トンデモ話」を見破る技術

私は「科学と理性に背を向けた人を、66万人の都民が選んだ」ということに「日本社会の知の敗北」という悲しさを感じたと前回コラムで述べた。山本氏の発言を聞き、その悲しみがさらに強まった。

_SS500_どうすればいいのだろうか。問題の根は深く、そして広そうだ。その第一歩は世の中に流れる言説を懐疑的に取り扱い、発信者の行動を検証することにあると思う。前回のコラムで紹介した、宇宙物理学者のカール・セーガン氏は、著書『悪霊にさいなまれる世界–「知の闇を照らす灯」としての科学』(早川書房)で、「『トンデモ話』を見破る技術」という章を立て、科学を身にまとった偽科学を検証する方法を示している。さまざまな場で使えそうな考えなので紹介してみたい。

日本にはトンデモ科学批判本は多いが、他人への攻撃、嘲笑が先に来て、品のないものが多く、私は好きではない。(私もこのコラムでそれに陥っているかもしれないが。)セーガン氏は科学に反する行動を批判しつつも、それが普遍的なものであることを指摘し、そこに陥った人にも温かい眼差しを向けている。一読すべき本だ。

詳細は本を確認してほしいが、いくつかの技術でポイントとなるものを示してみる。

1・裏付けを取れ、議論のまな板にのせろ
できるだけ多くの根拠、論証を調べる。

2・仮説は複数立てろ
それを反証していくことで、正しい答えに導かれやすくなる。

3・自説への身びいきをするな
なぜそのアイデアが好きなのか自問し、他のアイデアと比較する。できる限り、判断で感情を遠ざける

4・定量化しろ
尺度をつくり、数値を出すことで、仮説の中でましなものが残る。

5・反証可能性を問う
反証(科学的検証)か可能かどうかを問う。つまり妄想などが根拠にならず、科学の土俵で議論できる対象かを考える。実験・検証の重要性をセーガン氏は強調する。

これらを貫くのは、科学的な考え方だ。セーガン氏は科学を「人間の持つ方法論の中で、絶対ではないにしても最良の持ち駒かもしれない」と語る。なぜならそこには「人は誤りを犯すもの」という前提が組み込まれ、多くの人によって検証されるからという。健全な懐疑主義の中にある「問い続ける」という営みが、誤りを是正していく。科学をケーガン氏は「闇のなかの灯(ともしび)」と形容した。

私が放射能デマに踊ることがなかったのは、懐疑が記者としての職業的な思考癖であることに加え、自然とこの技術に議論をあてはめたからだ。上記の「100ベクレル・キロ」話の怪しさにすぐに気づいたのは一例である。数字が変で、放射線防護の仕組みを理解していたので、おかしいと分かった。こうした思考は難しいことではない。ただ不思議なことに、私たちはそれができなくなることが多いのだ。

知の闇にともしびを照らす

もちろん科学だけでは、どの問題も解決しない。ここまでこじれた放射能問題はなおさらだ。人々の政府、そして東京電力への不信感、さらに福島原発事故という、許し難い人災によって、誰もが何も信じられなくなった。そこで過激な発言をする、山本氏は「何かをしてくれそうな人」に見えたのかもしれない。

しかし私から見れば、山本氏の主張は間違いだらけで、その中には福島と日本を中傷する許し難いものも多かった。山本氏とその周辺の人々は、学び、誤りに気づいて是正してほしい。もし、このままの調子なら、ただ混乱だけを産み続けるはずだ。日本に生きる私たち全体の悲願である、放射能の恐怖からの解放、そして福島の復興に、山本氏とその支持者は邪魔を続けかねない。

ただし、この出来事をきっかけに、社会全体に自省がもたらされれば、禍は福に転じることができる。放射能をめぐる事実を、冷静に科学的な考えを使って検証してほしい。格言を引くならば「暗闇を呪うよりも、ろうそくに火をつける」営みをするべきだ。学び、専門家に教えを願い、科学的な思考で問題を解析できれば、異様な行動によって自分と他人を傷づけることは少なくなる。

現状で、あらゆる科学的な知見が、幸いなことに「放射線防護に配慮し、普通の生活を送る限りにおいて、今回の原発事故で健康被害が起こる可能性はほぼありえない」ということを示している。これを認められれば、山本氏の当選を含め、一連の原発事故をめぐる大騒ぎは「私にとって、社会にとって一体なんなのか、無駄でばかばかしいものではないか」という結論を大半の人は自然と抱くであろう。

「知の闇を照らす灯(ともしび)」を点灯し、道を見つけるのは、私たち一人ひとりなのである。

石井孝明 環境ジャーナリスト
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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