「宮崎駿」こそ日本のジレンマと矛盾

2013年08月03日 19:53

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先日公開されたアニメ『風立ちぬ』は、公開9日間の動員数220万人、興行収入は28億円を突破し、夏休み突入後も興収トップに君臨しているようです。「バルス祭り」も覚めやらぬ今宵、みなさん、どうお過ごしでしょうか。さて、この週末に『風立ちぬ』をご覧になった方も多いかと思いますが、例によって、ここから先はネタバレ要素もあるのでご注意ください、と書いておきます。しかし、これだけ話題になれば、観る前にすでにストーリーを知ってる人も多いんじゃないでしょうか。


同作品をめぐる話題の一つに、スタジオジブリ発行の小冊子『熱風7月号「憲法改正」』特集号があります。『風立ちぬ』の監督、宮崎駿氏はもちろんスタジオジブリの主宰(取締役)。この『熱風』の中で宮崎氏は「憲法を変えることについては、反対に決まっています」と語っている。巨大掲示板などに棲息するネット上の住人たちの間で、宮崎氏の「左巻き」ぶりは有名なようで『熱風』での発言も「憲法9条原理主義」と揶揄されています。人気クリエーターだからこそ一挙手一投足まで批判される、というわけですが、それ以上に宮崎氏には「あえて」この時期にこうした発言をしなければならなかった「理由」と「背景」があるのでしょう。

『風立ちぬ』についても、公開して二週間ほどが経ち、作品の出来不出来やテーマ、登場人物などに対し、様々な賛否両論が出てきています。たとえば、同作品のストーリーは、戦闘機の設計技術者の半生を不治の病にかかった妻への愛情を交えながら描く、といったものです。日中戦争から太平洋戦争にかけて使われた兵器の開発者が主人公であり、そうした「好戦的」なアニメ作品を作ったのにもかかわらず「平和憲法を守れ」と語るのはおかしいんじゃないか、という批判もある。

宮崎氏の「兵器好き」はつとに有名です。『風立ちぬ』も「兵器をいかにリアルに作るか」を目的にした模型雑誌『モデルグラフィックス』(大日本絵画)の連載を原作にしている。アニメ『風の谷のナウシカ』では戦車に砲撃させ、激烈な空中戦を描き、アニメ『紅の豚』では多種多様な戦闘機を登場させました。スタジオジブリの「ジブリ」は『風立ちぬ』に出てくるイタリアのジョヴァンニ・バッチスタ・ジャンニ・カプロニ伯爵が作った爆撃機「Ca.309 Ghibli」からとられたことも有名です。

もちろん兵器好きだから戦争も大好き、とは言えません。しかし、実在する主人公のモチベーションについて宮崎氏が知らないはずはない。戦闘機の開発については軍部の要請に応えるかどうかが採用の可否につながる以上、より「性能のいい兵器」を作ることが至上命令だった。当時の陸海軍は軍需産業の大スポンサーであり、採用になるかどうかは社運を賭けた競合他社との戦いでした。それは間違いなく「兵器」の開発競争であり、同作品の中でいかに「兵器色」を薄めようとしても否定できない事実です。

この作品のテーマは、こうした宮崎氏の「矛盾」にあることは確かです。東京新聞(2013年5月9日)に掲載されたプロデューサーの鈴木敏夫氏のインタビューによると、宮崎氏は最初からモデル雑誌の連載をアニメ化しようと考えていたわけではありません。しかし、前述したような宮崎氏自身の中にある「矛盾」に対する解答を出せ、と鈴木氏から迫られ、宮崎氏はアニメ化に同意した。同作品の公式サイトで彼は、一人の優れた設計者の「美しい夢」を描きたいだけだ、と語っています。宮崎氏が自らの「矛盾」を知りつつ同作品を作ったとしても、この答えで鈴木氏が指摘した「矛盾」が解消されているとはとても思えません。

『風立ちぬ』の中に「アキレスと亀」のパラドックスが出てきます。ようするに、アキレスである日本が、先を行く亀の西洋先進国をキャッチアップできるかどうか、ということです。主人公の設計した戦闘機が飛んだとき「まるで西洋にいるようだ」という感想が述べられますが、その時点でもアキレスは亀に追いついていません。当時、近代戦は国家の総力を上げて戦うものになっていました。国力や国民、技術力、資源など、一国が持てるすべてを賭けて戦わなければ勝てない。日本は国家の総力を上げて戦っても勝てず、結局、このパラドックスを解決できなかった、パラドックスなんだから当然ですが、ひょっとすると今でも解決できていないのではないか、というわけです。

これは今の日本に対する痛烈な皮肉であり、小冊子『熱風』の中で宮崎氏は「日本人はダメ」だが「人がいなければ日本はものすごくきれいな島だ」と書いています。このあたりに恵まれた環境で生まれ育った戦中派の「韜晦」と「現実逃避」が見え隠れしている。実際、『風立ちぬ』に描かれている戦前の日本の美しい風景、また枢軸を形成したドイツとイタリアへの共感など、戦争に負ける前の日本への愛着を強く感じます。しかし、どこかに欧米へのコンプレックスがあるし、戦前の日本に対する郷愁があるならここにも宮崎氏の「ジレンマ」がある。

大恐慌や庶民の貧困などを描いているとはいえ、それは単なるエピソードの域を出ず、メルヘンの世界に過ぎない。関東大震災にいたっては、ヒロインとの出会いをお膳立てる役割しか担っていません。ヒロインの菜穂子について少し言及すれば、不治の病におかされつつも「美しいまま」主人公の元を去る、という設定自体、「戦争へ突入していく美しい日本」を重ね合わせているのではないか、と思ったりもします。

どうして『風立ちぬ』と宮崎氏の言動は、これほどまでに我々の心をザワつかせるのでしょうか。なぜならば「宮崎駿という存在」こそ、今の日本が抱えている「ジレンマ」と「矛盾」そのものだからです。本作品を観ていると、本人の意図に反して「愛国的」で戦前への「郷愁」豊かな作品を作ってしまい、周章狼狽するクリエーターの素顔が浮かんできます。矛盾を解消できず、思わず『風立ちぬ』を作ってしまった宮崎氏は、その社会的な影響を恐れ、あえて『熱風』で自分の立場を強調せざるを得なかった。

麻生太郎財務相の「ワイマール失言」のように、憲法改正はその是非を超えて「現実的な方法論」の段階にきています。「ジレンマ」そのものの自衛隊を保持しているのが今の日本であり、21世紀に入って地政学的な環境が激変する中、先日の参院選のように平和憲法に対して「矛盾」した態度を取っている、というのが今の日本人なのです。

※画像は『風立ちぬ』公式サイトより。

石田 雅彦

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