社会の持続可能性と自助と公助の関係について

2013年08月09日 11:26

社会は自助と公助で成り立っている。全てを自助でというのは非現実的で、義務教育、公共インフラ、公共サービス等々、国民の生活を支える基盤の部分は公助で賄わないと社会は成り立たない。

公助を支えるのが税金で、公助が大きくなれば税金は高く、公助を小さくすれば税金は小さくしなくてはならない。  

ここでは自助と公助という切り口で、社会の持続可能性の問題を考えてみたい。


自助と公助の調整にどの程度の自由度があるか

公助を大きくするか、小さくするかは、どういう社会を望むのかということもあるが、その自由度は実はそんなに大きくない。

例えば、介護保険制度を廃止して、全て自己負担で介護をすることにすれば、個人の負担は莫大になるし、老親の介護で働けなくなる人も多く出る、といった具合に社会全体の効率が低下する。 だから多くの人が思うほどには公助を小さくはできない。一方、公助を大きくするには、財源、即ち税金を高くしないといけないが、あまり高い税金は皆払いたくはないだろうし、勤労意欲にも影響するから、無闇に公助を大きくすることはできない。

このように自助と公助の大きさは、社会の効率を考えれば、それほど自由度があるわけではない。

財政再建問題

財政再建の問題は、日本の喫緊の課題であることは論を待たないが、これも自助と公助の問題として捉えることができる。

財政赤字が何故積み上がったのか、というと、これは財源の裏付けなしに、過大な公助を行ったからである。日本の場合、日本国債の海外投資家の保有比率は現在約10%程度だから、財政赤字の大部分は、国民の金融資産を政府が借り上げて使ってしまったことによる。

つまり現在、我々が保有している1400兆円の個人金融資産は数字上存在しているけれど、それは国民の将来の巨額の納税(=自助)を行う以外、裏付けのない状態になっているわけである。 

さもなければ、大インフレで貨幣価値を大幅に減ずるとか、もう返せないと宣言する、といった踏み倒しを行うしかないが、これは金融システムを破壊し経済を破壊してしまう上に、著しい不公平を生むし、国債を発行できなくなるから、瞬時に財政を均衡させなくてはならなくなる。ショックは測り知れない。 

財政破綻と財政再建、どちらを選択しても負担の総量という意味では実は大した違いはないが、崖から飛び降りるのと、足元に注意しながら慎重に降るのとの違いくらいはあるわけで、財政破綻は避けるに越したことはない。

増税には抵抗感を示す人が多いが、実際は、これは自助と公助の比率の問題であり、実際のところ、個人の損得の問題ではない。 公助をなくすと上に述べたように社会が成り立たないから増税をするわけで、実際に増税に反対している人たちは、大部分、公助がなくなった場合、困る人たちで、むしろ富裕層の方が増税に理解を示している。 これは大きな矛盾であり理解に苦しむ。負担を少しばかり先送りすることで逃げ切れる層に属さない限り、公助を必要とする人たちは、増税に賛成した方が合理的だ。

高齢化と負担の増加

現在の日本のように、急速に高齢化が進む社会では、生産年齢人口が減り、従属人口(14歳までの年少人口と65歳以上の老年人口を合計した人口)が増えるので、必然的に勤労者一人当たりの社会に対する負担は増加する。 現在の財政状況を考えれば、一人当たりの社会保障給付は減らさなくては、ならないだろう。

しかし、従属人口が大きいという事実は変わらない訳だから、従属人口全体に対する社会全体の負担は、それほど減らないはずである。社会保障給付(公助)を減らした分だけ、自己負担(自助)を増やす必要がある。

例えば74歳以上の高齢者の医療費負担を現在の1割から2割に引き上げることは必要であるが、社会全体の負担の変化を考えると、高齢者への過剰な診療が少し抑制されるといったマイナーな効率化の部分だけ効率化されるだけだ。年金支給開始年齢を75歳にすればよいといったドラスティックな提案は、数字だけみれば正しいが、負担の総量という点から考えて、意味のある提案とは言えない。

結局のところ、高齢化による負担増は、多少の効率化の工夫をしたところで自助と公助の比率を変えても、あまり減らないと思われる。これは物理的な問題なので、これを経済政策で解決することは、全く不可能である。 まさか高齢者そのものを減らそうという提案に賛成する人はいないだろうし、仕事そのものが減少する状況で、高齢者に死ぬまで働け、といって解決する問題ではない。 実際、日本のデフレは生産性の高い製造業から、機械で代替できない低賃金の対人サービスへの人材の移動による賃金の低下がもたらしたものだが、これと同じことがアメリカでも起きている。 

公平性の確保が問題

財政再建問題にしろ、社会保障の持続可能性の問題にしろ、問題の本質は世代間格差である。

つまり、高齢化が急速に進む日本社会においては、若年層ほど公助が少なく自助が求められる、という構造的な不公平の問題があり、これを財政赤字を膨らませることで、糊塗することで何とかやってきたのが、限界に達しつつあるというのが現状だといえる。

本当なら、こういった構造問題を予め資産を積み立てておくといった手法で乗り切るべきだったのだが、それもあらかた使ってしまい、最早、解決の余地は、ほとんどない。

それどころか、巨額の財政赤字という負の遺産の処理すら、現役及び将来世代に委ねなくてはならないのが現状だといえる。安倍総理は消費増税の影響について有識者会合を設置することを指示したが、3%の消費税増税では、到底足りないことは明らかで、先送りは世代間格差をさらに拡大することになるわけだから、事態は深刻である。最終的には消費税は25%以上に上げなくてはならないだろう。

従って、かくなる上は、残念ながら高齢化の進展と、これまで何度も書いてきたように成長の物理的限界(例えばこの記事参照)に伴い、生活水準を下げてゆく以外に道はなく、これをいくらかでも緩和するために、社会の効率性を毀損しない範囲で、できるだけ早期のPBの黒字化と社会保障給付の削減を行わなくではならない。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑