日韓歴史認識の齟齬 ~ 韓国人の「自己統治」への道 --- 太田あつし

アゴラ

8月15日は韓国では「光復節」、国民休日である。過去、韓国の人々は36年間の長きに亘って国家の主権を隣国「大日本帝国」に奪われ、国内でさえ抑圧的だった国家のそれも第二国民のような屈辱的な立場に置かれた。それは、彼らにとって人としての自由と誇りを傷つけられるという闇の中を彷徨い歩くような絶望の道行きであったが、日本が世界戦争に敗れ去ることでそこに希望を告げる一筋の光明が差した、「光復」というのはそういう意味だ。


しかし、今年68年目のその日を迎えた私の周囲の韓国の人々にそんな感傷に浸っている人はあまりいない。クソ暑くてそれどころでないのだ。朦朧として仕事も手につかず、飯もキムチものどを通らない。私の住む南東部の地方都市「大邱」は盆地でもあり、朝鮮半島でも随一の「暑い」都市である。8月に入っても全国的に猛烈な暑さが続き、原発の原子炉の一部が部品の不正問題でストップしたことで電力不足に陥り、繁華街の店舗でも冷房の自粛が呼び掛けられ、公務員たちは「苦痛の分担」を強いられ数日前からは官公庁の建物では全面冷房禁止となり、国民は「暑さ」との戦いに明け暮れている。「国家と民族のために」過去に思いを致しているような余裕はなく、今日「光復節」でようやく一日休めるという「開放」感でホッとしているというところである。

しかし、政治的には例え見かけだけでも「過去事」に思いを致しピリッと緊張感を漲らせないと「良識的な先輩方」に睨まれる日でもある。そんなところは日本の「終戦記念日」と雰囲気は大体同じであろうが、私も自宅で朝からの記念式典での両国首脳の演説が気になって、テレビのニュース番組を眺めていた。あちこちで色んな報道がなされた。そして、両国における「愛国の形」の違いについて改めて思いめぐらせた。我が家は今でも韓国に多い大陸風のレンガ積みの住宅で、このレンガというやつは熱を持つとそれが中々去らない。冷房をつけても、あまり効かないぐらいだ。この熱気の中では横になって物思いに耽るしかないのである。

朴槿恵大統領は第68回の光復節記念式典で演説し、隣国としての日本の重要性を指摘しつつ「過去を直視する勇気と、相手の傷に配慮する姿勢がなければ、未来に行く信頼を築くことは難しい」、一方の我らが安部晋三首相の方は310万人戦没者慰霊の全国戦没者追悼式での式辞において、「わたしたちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた国の未来を切り開いてまいります」と述べた。二人ともが同じようなことを言っているようだが、お互いにどうもすっきりしない「言い方」は相変わらずだ。朴大統領は穏やかだがそれでもやはり高圧的でどこかかさにかかってくる、安部首相の方は何か歯にものが挟まったようなどこかはっきりしない物言いであった。要するに「死にたくなければ、悪事を吐け」「何が悪かったかとっくり考えます」、日韓のこういう対話は、両国の公式の声明や新聞の社説などとも共通するいつもの図式だ。

両国は常にコミュニケーションが成立しない。カント的に言えば韓国は「仮言命法」的であり、日本は「定言命法」的である。どういうことかと言うと、韓国が過去の謝罪や贖罪を日本に要求する言葉というのは、いつも「仮定法」、過去の悪事の償いをしなければ、お互いの関係は良くならないという「~ば、~」で、悪事は自明であり、それよりもお互いの互恵的な発展という目的が重要だ。極端に言えば、本来韓国人は「過去」に拘っているようだが、本来的にはそれは発展のための「手段」に近いのである。一方、日本にとっては「過去」は自明ではない。「過去」に「謙虚に向き合い」その何が悪くて、何が良かったのかじっくり考えなければならない、「過去」自体が「目的」であって、外交だ経済だは二の次だ。

日韓では「愛国の形」が異なる。韓国人にとってはあくまで「今」の政治共同体の安定と発展を確保することが愛国であり、日本人は古代から続く家族的一体感を前提とした政治共同体の名誉と尊厳が損なわれないようにすることが愛国のようである。相対的に見て、韓国では政治共同体と個人が基本的に「社会契約」的な独立・対立の関係性が強く、日本では「へその緒がつながっている」的な施恵・依存の関係性が強いようにに見える。 韓国と日本では国家と個人の距離感が違うのである。

一昨年ぐらいから韓国でも政治哲学者マイケル・サンデル氏の例の「白熱授業」がブームになり、以前のことだが、私も政治哲学の読書会で『これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学―』(2010年)を韓国語版で読まされた。その第九章「たがいに負うものは何か?-忠誠のジレンマ」の中に日本の戦争中の残虐行為、その中でも従軍慰安婦に対する謝罪の問題が扱われている。争点は実にアメリカ人的で、要するにロック、カント、ロールズと続く「リベラリズムの王道」の大前提、つまり「人間はみな自由で独立した自己」、これが究極的に人の役割やアイデンティティなどを規定する共同体の道徳を考慮しない、だからリベラリズムは「過去の清算」のような世代を超えた連帯責任の理由を説明できないという主張だった。

私はこれはパターナリズム(温情主義)的な我々アジア人の政治文化における「過去の清算」とは次元が違うなと思ったが、結局、韓国人たちが一番関心を持った部分はそこだった。彼らの言い分はこうだ。日本人も結局は個人主義に染まっていて、基本的には今消え去ろうとしている世代の犯した罪については自分たちには関係ないと思っている。自分たちの個人的な経済的利益のみが大事で、それで法を盾にとって謝罪も賠償も曖昧にし、国際的経済的勢力基盤を確実にするために再軍備を始めている。すべては福沢諭吉、中江兆民以来のリベラリズム受容に問題の起源があるのではないか、と。

私はメイフラワー号の故事なども出して、要するにアメリカ人たちはヨーロッパにおける王政から逃れて新大陸に移住してきた、伝統を捨てた彼らは自分たちの手て自分たちを統治しなければならなかった、そこに民主的憲法が生まれ、「自己統治」が彼らのメイン・テーマとなったのだ、その「自己統治」がいわばリベラリズムの前提て、天皇を中心とする疑似家族的な「国体」を戦後も維持した日本にはその前提さえもないのだ、過去の清算を曖昧にする起源は「国体との一体性」にあると必死に説明したが、彼らはどうもよく理解できないという風な憮然とした面持ちで聞いているだけだった。

そんな話をしながら、ふと1945年8月に朝鮮総督府が事実上統治権を失い、9月8日に仁川に米駐留軍部隊が上陸、その翌日、ソウルの総督府に星条旗が掲揚されるまでの約一か月間、韓国人たちは統治者がいない空白状態、つまり「自然状態」に近い状況に置かれていたことを思い出した。8月12日に総督府の遠藤政務総監が左右中道派の呂運亨に行政権の委譲と在留日本人の安全保障を打診して以来、この国の統治を巡って左右入り乱れて大混乱の一か月ではあった。私の知り合いのある老人によればそれは音をなくしたような静かな日々で、ごくたまにどこか遠くの方でライフルの銃声が小さくこだましていたと述懐していた。その時、彼らは36年の長きにわたる日本の支配で李王朝まで蓄積した統治の伝統もほぼ失っていた。

それが日本の戦後の再出発と異なる部分である。ある意味、彼らはその時アメリカの開拓者と同じように「自己統治」を志向せざるを得なかったのである。そしてそのスピリットは基本的には今に至っている。彼らの愛国の基礎になるものは伝統の喪失と個人主義である。しかし、日本人の愛国の基礎は、それとは異なる伝統国家との一体感の維持なのである。韓国人は日本人を自己利益にしか関心のない自由・個人主義者の集団と見ている。日本人もまた韓国人が感情的な国家との一体感を求めてやまないと考えている。だがそれは鏡に映った自分の姿に過ぎないのである。

橋下市長の従軍慰安婦必要(だった)論の騒動の時、韓国の反応は意外に冷静であった。というより彼の発言の内容を云々することは論外であり、ただ人気者の若い右翼が日本の右傾化を象徴するような「妄言」、文字通り何をバカなことを言っているという冷たい視点の報道が多かった。過去の悪事は自明であり、おかしなことを言うことで、両国の国家的発展を損なっているだけじゃないかということである。元従軍慰安婦のお婆さんたちの名誉云々についても基本的には議論の余地なしである。日本人までが彼女たちの気持ちを必死に気遣おうとすることはドライな韓国人にとっては余計なお世話で、要するに国内政治が国際秩序に支障にならないように彼女たちが納得できるようにしろとそれだけである。

しかし、橋下市長は、国内の左派勢力、そして国際社会から袋叩きに遭いながらも、その「強制連行という先祖に対する侮蔑、汚名だけは許さない」という原初的な力の籠った主張によって、しっかり大阪市民をはじめとする日本大衆の支持を得ている。その大衆の情念が韓国人には感覚的に理解できないのである。李前大統領の天皇侮蔑発言がここまで日本を刺激して反韓感情を高めたことも彼らにとっては意外な展開であったことも結局はその伝である。

韓国人は日本人のウエットな「感情」を、日本人は韓国人のドライな「合理性」を理解していない。結局はそこから始まるお互いの「愛国の形」、つまりナショナル・アイデンティティ形成の類型が異なることへの無理解が現在の日韓関係の惨憺たる状況を作り出しているのである。

太田 あつし
永進専門大学国際観光系列(韓国、大邱市)
外国人主任講師