そろそろ諦めなしゃあないがな ~ 再起動論を分類してみたで --- ヨハネス 山城

アゴラ

秋風が吹いてきた、別れの季節。引退の潮時や。と言うても、ワシがやめる訳では残念ながらないで。既存原発の再稼働、まともにやったら採算が取れっこないから、そろそろ諦めまへんかと言いたいわけや。

福島の汚染水。関西弁で言うところの「ダダ漏れ」や。「トイレの無いマンション」なんて言うていたのは、幸せな過去の話。いまや、野グソ、立ちション、垂れ流し状態や。

いったい、どないするつもりなんや。防水や汚染水処理の費用や、漁業を中心に補償額は天文学的な数字になるやろ。結局、ツケは税金。なんども言うけど、これをやるということは「原発は反資本主義的存在」と認めたことにならんのかな。


そやけど、いまだに「再稼働を急ぐべきや」てな不思議なことをおっしゃる方がおられる。「やらんと日本経済がもたない」というのが理由やそうやが、やったら、もっと「もたない」やろ。事故時の補償を考えたら、今の原視力発電は経済的に合わへんことが明白やからや。

再稼働に固執したはるセンセ方にお聞きしたいんやが、いったい事故時の補償は誰がするんやろか。ワシ、このAgoraで何回もこういう話をしておるが、誰も答えてくれん。仕方ないから、今回は予想できる反論をいくつかに分類させてもらうから、御自分がどのタイプなのかを、じっくり考えていただきたいもんや。

1)「十分対策をしたから、もう事故は起きない。だから補償のことは議論しない。」
安全神話の再稼働やな。ずいぶん無責任な考え方のようやが、人間は全てのリスクを避けて生活することはできないのやから、リスクは無視できるという合理的な理由があれば、想定しないのは当然や。たとえば、明日の出勤途中、落下した隕石が命中して死ぬリスクをリアルに感じて対策をしている人は少ないやろ。

しかし、今これを言うのは、うらやましいほど健康的な楽観論の人やな。ちなみに、ワシはこういうコワイ人が天下をとることのリスクを、大いに感じておる。
もともと、3.11自体が想定外やったわけやから、楽観論の人に、今更、「全てのリスクは想定しています」と言われても、説得力は全然ない。
少なくとも、福島の事例の詳細な経緯(「何時何分にどこがこわれ、そのせいで、何時何分に、……水素爆発で建屋が崩壊しました」)が分かるまで、「絶対に安全になりました」とは、言わんれても、暑苦しいだけやで。

2)「原発事故の賠償金など、どうせ誰にも払えないから、補償のことは考えない。」
毒を食らわば皿まで、というわけやな。合理的ヤケクソ論。ちなみに、ワシはこういうコワイ人が天下をとることのリスクも、大いに感じておる。
確かに、日本が地球上の唯一の国ならこれもありかも知れんが、現実、そうは行かん。ダダ漏れを放置したまま、ヤケクソ再稼働というのを許容するほど、世界の人は優しくない。
おそらく、太平洋での漁業補償問題が発生したとき、原子炉が再稼働しておると、諸外国の心証はかなり悪くなるやろ。東電が買い付けた、発電用の石炭やウランを差し押さえられる恐れまであるがな。韓国の戦後補償裁判のこと、思い出してみなはれ。

3)事故の補償は国家がやるべきである
現実はこの線で進みつつあるし、リスクに対する一番常識的な見解やと思うが、納税者はたまったもんやない。洗練された究極のわがまま。ちなみに、ワシはこういうコワイ人が天下をとることのリスクも、大いに感じておる。
ワシら日本国民としましては、東京電力の株主の皆様を差し置いて、御補償申し上げるような僭越なことは、差し控えさせてもらいたいもんやなぁ。

4)民間企業の補償は保険で賄うべきである
ワシと同じ考え方や。ちなみに、ワシはこういうコワイ人が天下をとることのリスクも、大いに感じておる。
この考え方は、きっちり筋は通っておる。ただし、唯一の欠点は、再稼働は絶対にできんということや。何度も書いてすまんけど、民間の保険会社は、世界中どこでも3.11以前から、原発の保険は引き受けておらんかった。おまけに、事故がここまで進んでしまうと、いざとなったら踏み倒す自信がよほどない限り、新たな勇者(別名アホ)は絶対に出てこん。よって、永遠に再稼働はできんということになる。

5)自然災害による原発事故は天災と考え補償はしない
暴論中の暴論。これが通用するなら事故処理は簡単。事故を起こした4基の原子炉は、爆破でもして、中身をぶちまけておく。あとは雨と風が掃除してくれる。
1000年もすりゃまた原発が作れるやろ。被曝したい人は、したいだけ近づけばええし、イヤな人は外国にでも行けばええ、というわけやな。ちなみに、ワシはこういうコワイ人が天下をとることのリスクも、大いに感じておる。

ただし、原子力賠償法を素直に読むと、こう書いてある。

「第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。」

爆破はともかく、垂れ流しは全然OKや。文句言われたら、自分も被害者やと言うておいたらええ。「天災地変又は社会的動乱」の場合、だれが補償するかは明記されていない。つまり、放射線は浴び損やということやな。

もし、ワシが東京電力の株主やったら、東電が1円でも賠償金を払ったら、この法律をたてに株主代表訴訟をおこしたるで。「法治国家には再起動を妨げる理由はない」と、おっしゃる方に聞きたいんやが、こういう無責任な法律のバグを、法治主義の枠内でどう処理するんやろな。

今後、Agoraででもどこででも、再起動を主張する人には、ぜひ、上の1)~5)のどういう立場なのか、ハッキリしてもらいたいもんや。もしかしたら、これ以外に、「常人が思いもつきもせんかったような、ユニークな考え方」をする人が、いてはるのかも知れんがのう。ちなみに、ワシはこういうコワイ人が天下をとることのリスクも、大いに感じておる。

今日は、これぐらいにしといたるわ。

ヨハネス 山城
通りがかりのサイエンティスト