なぜ福助の歌右衛門襲名が大ニュースなのか --- 島田 裕巳

2013年09月04日 15:24

歌舞伎ファンでもないし、歌舞伎など見たこともないという人にはピンと来ないことかもしれないが、中村福助の7代目中村歌右衛門襲名は大ニュースである。

福助自体が、歌舞伎以外の舞台に立ったり、映画やテレビに出演することが少ないので、これもまた歌舞伎ファン以外には認知度が低い。弟が中村橋之助で、その妻が三田寛子だと聞いて、はじめて「そうか」と言う人もいるかもしれない。


4月に開場した歌舞伎座は大入りを続けている。歌舞伎座は株式会社だが、今期の営業利益の見通しが立たないと言われている。歌舞伎座に来た客は、たんに歌舞伎を見るために大枚はたいてチケットを買うだけではなく、劇場内で食事はするし、土産物を買う。ちなみに、一等席は1万8000円である。

歌舞伎にとっては、今や襲名興行がドル箱になっている。とくに、歌右衛門のような大名跡を継ぐとなれば、おおごとで、実際歌右衛門襲名披露興行は来年3、4月と2カ月続く。しかも、今名古屋の御園座はなくなってしまったが、京都の南座、大阪の松竹座、博多の博多座、四国の金丸座、さらには各地方の劇場と、これから数年をかけて襲名披露興行が続く。歌舞伎座以外の劇場も、これで潤うわけである。

今、大劇場では、歌舞伎は客が入るが、他の演劇では、それほど多くの観客動員を見込めない状況にある。その分、歌舞伎の興行は増えていて、今月は新橋演舞場でも歌舞伎の興行があるし、地方巡業では中村吉右衛門に率いられ、又五郎と歌昇の襲名興行が続いている。又五郎が3代目を襲名したのは一昨年の9月だ。

歌舞伎が誕生してから400年が過ぎたが、ある意味、これだけ歌舞伎がもて囃されている時代はこれまでになかったかもしれない。歌舞伎にも不振の時代はいくらもあった。しかも、昨年から今年にかけては、中村勘三郎と市川團十郎という大看板を失っている。ところが今は、そんなこともあったのかと言うほどの、大歌舞伎ブームなのである。

そのなかでの福助の7代目歌右衛門襲名は、歌右衛門という名前がひどく重いものだけに、ひときわ注目度が高い。團十郎家の場合は、歌舞伎の宗家として初代から重い名前だったが、歌右衛門の場合には、先代と先々代の果たした役割が大きい。

歌舞伎界では、男を演じる立役のほうが立場が強い。共演する女形を選ぶのも立役のほうで、世間の男女の関係が反映された形になっている。ところが、先々代の5代目歌右衛門は、「團菊左」と呼ばれて歌舞伎界をリードした9代目團十郎、5代目尾上菊五郎、初代市川左團次が亡くなった後、女形であるにもかかわらず、歌舞伎界を束ね、それを支えた。要するに歌舞伎界のドンになったわけである。

先代の6代目歌右衛門は、その5代目の次男で、兄の5代目福助が早世したために、歌右衛門を継ぐことになった。先天的に左足が悪かったにもかかわらず、若い頃は、その美しさで多くのファンを集めた。

しかし、昭和15年に父を亡くしてからは、役がそれほどつかない不遇の時代を経験したものの、初代吉右衛門の引き立てもあり、女形として頭角をあらわし、今の菊五郎の父、7代目尾上梅幸とともに女形の双璧として絶大な人気を誇った。私は、実際の舞台を見たことがないが、映像で見る限り、誰も真似のできないすごみをもった女形であったことは間違いない。

しかも、父と同じように、女形でありながら、歌舞伎界を束ねていく役割を追うようになり、やはり歌舞伎界のドンとして君臨するようになる。作家の三島由紀夫が心酔したことでも知られ、その存在感は際立っていた。一方で、クマのぬいぐるみを集めるのが趣味で、ぬいぐるみに囲まれた写真では、日頃の歌右衛門らしからぬ屈託のない笑顔を見せている。

福助が歌右衛門を襲名したからといって、5代目や6代目と同じ道をたどるとは限らない。6代目は、「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子や、「十種香」の八重垣姫、「籠釣瓶花街酔醒」の八橋などを得意とした。福助もそうした役を演じてはいるが、絶品と評されているわけではない。まして、歌舞伎界を束ねる立場になれるかと言えば、今のところその見通しはない。

しかし、歌舞伎の不思議なところは、名前が役者を作る点である。福助が歌右衛門に変わることで、確実に変化は起こる。何より周囲の目が変わる。それは相当な重圧であり、その重圧に耐えて、今よりも何倍も大きな役者にならなければならない。歌右衛門を継ぐということは、特別に大変なことなのである。

今、歌舞伎界の女形の最高峰は、坂東玉三郎である。玉三郎は歌舞伎界に生まれたわけではない。そこが実は6代目歌右衛門と共通する。これは歌舞伎界のタブーともされているが、6代目は5代目の実子ではない。だからこそ玉三郎は、つねに挑戦的で、今日の地位を築いてきたと言える。

新しい歌右衛門は、玉三郎と拮抗できるだけの力を蓄えなければならない。それは、たんなる努力や稽古、精進だけでは実現できない。決定的な脱皮を果たさなければ、周囲は失望する。「あんなのは歌右衛門ではない」という、情け容赦ない評価も下される。

7代目歌右衛門の運命やいかに。それを見届けることだけでも、歌舞伎を見る価値はある。

島田 裕巳
宗教学者、作家、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」会長
島田裕巳公式HP

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