東大の同級生の結婚式に行ったのだけれど --- うさみ のりや

アゴラ

この前、東大時代の同級生の結婚式に行ってきた。

久しぶりの面々と会えてとても嬉しかったのだけれど、感じたことは「自分で商売やっている人は少ないな~」っていうことだった。だいたい専門職持ちか、組織エリート、といった感じで、会計士、弁護士、官僚、電力会社、ガス会社、商社、電機大手、大手金融、医者、企業の研究者といった面々が大勢を占めてちらほら戦略コンサルや外資金融がいるような感じ。いやみなさん華麗な経歴ですな~、と感じたものの他方で「なんでこういう結果に成るのかな~」ということを考えざるを得なかった。どうしても他の先進国のエリート層に比べて進路の多様性に欠けるように思えてしまう(実際データを持って比較したこと無いから分からないけれど)。


で、自分自身の経歴を振り返ってみるとその理由も何となく分かってきて、日本の(少なくとも文系)教育って言うのは「頑張れば頑張るほど市場から、リスクから遠のくように出来ている」んですよね。小さな頃から「自分のしたいことを自由にする」とか「自分の興味があることを極める」だとかいったことよりも共同体の倫理に従うことが美徳とされる。(今は変わったのかもしれないけれど)名門校であれば中高時代はアルバイトを禁止され、「文武両道」といいつつも座学に励むことが奨励される。大学に入っても、社会との接点はほとんどなく、法学部生は大学と予備校のダブルスクールに励み、経済や経営の学部はその名とは裏腹に象牙の塔にこもり勉強を続け、文学部や社会学部はますます世間から遊離する。というような感じ。

こんなわけで教育課程において市場というものを実感する機会が無い。だから当然ほとんどの学生に商売感覚は身に付かず、むしろ組織の中で旨く立ち回るすべを身につけることに成る。んでもって最終的に大組織において組織エリートと成るか、勉強における要領の良さを生かして難度の高い専門試験にチャレンジして参入障壁が高い世界で活躍する道を選ぶにいたる。孫正義氏にしろホリエモンにしろ日本での起業家というのは大抵こうした教育の王道からどこかで外れたような人だ。

よく「日本で起業が少ないのは、金融環境が整ってないからだ」という言説を目にするけれど、その裏には「そもそもこのような教育で排出される優秀な起業家は限定的」という事情もあるんだと思う。本当だったら、中高時代から一律にアルバイトを禁止するような手をとるよりも地元の商店街と連携して、学校や地域の問題を「不特定多数からお金を取って解決する」という市場メカニズムを身をもって学ぶような取り組みを奨励するべきだと思う。実際16歳にして早稲田の商店街の活性化の活動に参加し、今や31歳にして商店街再生のカリスマ化している木下斉氏(http://www.machizemi.com/modules/pico2/index.php?content_id=123)のような怪物も世の中にいるわけで。市場と教育というのは対峙する概念ではなくて、本来車の両輪のようなもので、市場のニーズが課題を生み出し、その課題解決のために新たな知識が生まれ、それがさらに新しい市場を生み出すような関係だと思うんですよね。

かくいう自分も恥ずかしながら、30歳を超えて独立して、初めて市場というもののど真ん中に身をさらすことに成ったわけで、この一年身の至らなさを感じる機会だらけでした。たった一年で穴があったら埋めてしまいたいような黒歴史もたくさんできました(笑)でも逆に市場ほど自分を成長させてくれるものは無いということも痛感しました。

そんなわけで最近政府や自民党で「グローバル人材を育成するためにTOEFLやTOEICをより重視する」だとか「より留学生を増やすための政策を考える」とかいうグローバルマッチョ思想に毒された議論が行われているわけですが、一応曲がりなりに東大まで卒業した身として思うことは「そんなことよりも市場と教育を連動させる方法を考えましょう」ということなんですよね。最近いわゆる起業家と呼ばれる人たちと一緒に過ごすようになって感じることなのですが、自分がやりたいことを市場にぶつけてみて、それに必要な能力を身につけるというプロセスさえあれば要領のいい人間はその実力を着々と身に付けていくものです。英語が必要なら英語を身につけるし、プログラミングが必要ならプログラミングを身につけるし、プレゼン能力が必要ならそれを身につける。「自分のやりたいこと」と「市場」とのギャップを埋めるために勉強というものはなされるべきで、教育はそれを後押しするような立場でなければ成らないと思うのですよ。んでもってリスクから遠のくことを教育の目標にするのではなく「やりたいことをするためにリスクを制御するすべを教える」というのが教育の目標になるべきなんじゃないかな~と。

教育というのは、国民の数だけ持論があると言われるので色々と難しいとは思うのだけれど、「国家100年の計」なのだからこそ政治家の方々は時流に乗った安易な制度改正をすること無く、地に足の着いた本質的な議論をしてくれることを願ってます。

ということで最後に結婚したA君おめでと~!

ではでは今回はこんなところで。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年9月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。