名月の宵によせて

矢澤 豊

今日は中國暦の中秋節。旧暦の八月十五日。つまり今晩は中秋名月の宵ということになる。


日本が月の満ち欠けを元にして作られていた太陰太陽暦(天保暦)から、太陽暦である現在のグレゴリオ暦の採用に移ったのは1873年(明治6年)のこと。かれこれ140年も昔のことになる。だからかつては月の満ち欠けと暦の日付が切っても切れない間柄であったことを、普段忘れている人も多いかもしれない。

かつて「一か月」は月の満ち欠けの一周期と同じだった。原則として、月の初めは必ず新月で、毎月15日(または各月の中日)の夜は必ず満月であるはずなのだ。

だから「時は元禄十五年、師走半ばの十四日...」という赤穂浪士の討ち入りの背景には、必ず満月に近い月が出ていなければならない。折からの雪もやんでいたようだから、冷たい空気が張りつめたところを月光が照らし出す情景を思い浮かべてほしい。討ち入りの日取りの決定の大きな要因は、吉良邸での茶会があることにより、当日必ず上野介が在宅であることが確認できたことだが、その日の天気に左右されるとはいえ、襲撃側に有利な「月明かり・雪明かり」の夜であったことは、大石さん一党の幸運だ。

月の中日といえば、古代ローマではこれをIdusとよんだ。したがって本来であればIdes of Marchこと、紀元前44年の三月の中日に暗殺されたジュリアス・シーザーの死体にも、満月の光が降り注いでいたことになるのだが、当のシーザーがその死の前年、紀元前45年に太陽暦であるユリウス暦の採用を制定したので、実際のところはどうだったのだろうか。

キャピュレット家の舞踏会でジュリエットを見初めたロミオ君は、月明かりに照らし出されたキャピュレット家の庭に不法侵入し、バルコニーに現れたジュリエットに愛を告白する。劇中、ジュリエットの誕生日は、あと2週間ちょっと先のラマスの日(8月1日)の前日ということになっているので、世界で最も有名な未成年カップルのなれそめは7月中旬の月明かりの夜ということになる。

Lady, by yonder blessed moon I swear
That tips with silver all these fruit-tree tops
オジョウサマ、コレラノ木々ノ枝先ヲ、銀ノ色ニ輝カセル、アノ月ニカケテ私ノ愛ヲ誓イマス。

もっとも二人の物語が展開されるイタリアのヴェローナでは、グレゴリオ13世による暦改革(1582年)により、グレゴリオ暦に移行しているはずだが、作者シェークスピアの母国、イングランドでは1752年までグレゴリオ暦の以前のユリウス暦を利用していた。(シェークスピアが「ロメオとジュリエット」を書いたのは1591年から1595年の間と考えららている。)

そういう次第で、実際にあの夜キャピュレット家の庭の上に出ていた月がどのような姿をしていたのかということに関しては、無責任なシェークスピア氏にとってはあずかり知らぬこと。すべては読者観衆の想像次第ということになる。だからこそ、ジュリエットは上記のロミオのセリフに次のようにこたえるのかもしれない。

Do not swear by the moon, for she changes constantly. then your love would also change.
常ニ姿ヲ変エ定マラヌ、月ニ愛ヲ誓ワナイデ。貴方ノ愛モ同ジヨウニ、変ワッテシマウカモ。

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

この地球のいつどこに生きていようとも、人類は常に同じ月をみて生きてきたはずだが、こっちの勝手な都合でいろいろと引き合いに出されているお月様もいいかげん迷惑しているかもしれない。

オマケ