現状維持を選んだドイツ国民 --- 長谷川 良

アゴラ

ドイツで22日、連邦議会(下院)選挙が実施され、大方の予想通り、与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU、CSU)が得票率41・5%で圧勝した一方、メルケル首相の政権パートナー、自由民主党(FDP)が得票率4・8%で議席獲得に必要な得票率5%の壁をクリアできず、同党結成(1948年)以来、初めて連邦議会の議席を失った。同党は前回(2009年)、14・6%の得票率を獲得している。


一方、野党第1党の社会民主党(SPD)は25・7%で前回(2009年)より得票率で2・7%増加したが、メルケル与党を脅かすまでには至らなかった。左翼党は得票率を落としたが、8・6%で第3党の地位を占めた。躍進が期待された90年連合・緑の党は選挙戦終盤で有権者の支持を急速に失い、8・4%(前回10・7%)にとどまった。反ユーロ政策を掲げで結成された「ドイツのための選択肢」(AfD)は4・7%で議会進出を逸した。投票率は約71・5%(前回70・8%)だった。

この結果(暫定)、メルケル首相の3選は確実だが、与党側の過半数議席獲得が実現したとしても、安定政権を樹立するために社民党との大連立政権を復活させる可能性が高まったと受け取られている。メルケル第1次政権(2005~09年)は社民党と大連立政権だった。

以上、総選挙結果を紹介したが、「ドイツ国民は変化を避け、現状維持を選択した」という印象を受ける。メルケル首相は選挙戦では常に「欧州の財政危機で多くの国が停滞してきたが、ドイツの国民経済は安定し、失業率は減少してきた」と発言、有権者に安定をアピールし、貧富の格差是正、構造改革などを訴える社民党の声を一蹴してきた。

国民は不確かな変化より、安定志向が強かったのだろう。コンラート・アデナウアー(1949~63年連邦首相)は「国民は実験を好まない」と語ったが、ドイツ国民は社民党に実験を求めなかったわけだ。

ドイツ語圏のメディアは23日、総選挙結果を一面トップで報じ、「Mutti」(お母さん)の勝利」と呼んでメルケル首相の勝利を伝えている。ギリシャ、スペイン、ポルトガルなどの財政危機に対するメルケル首相の政治手腕を評価する論調もあったが、それ以上に「メルケル首相の存在が全てだった」という声が強い。同首相のプレゼンスは他党を圧倒していたことは事実だ。「CDUの選挙戦はメルケルで始まり、メルケルで終わった」(ヴェルト紙)といわれるほどだ。南ドイツ新聞は「 メルケル主義(Merkelismus)」という新語を紹介して、同首相の政治スタイルを分析している。

興味深い点は、90年連合・緑の党の予想外の後退だ。同党幹部は「わが党は、脱原発を主張し、再生可能なエネルギー、風力、太陽光の利用促進を訴え、エネルギー転換を支援してきたが、有権者からは受け入れられなかった」と嘆いている。

メルケル政権が脱原発とエネルギー転換を主導したことで、緑の党の独自性が希薄したうえ、党筆頭候補者のユルゲン・トリティン氏の不都合な発言(1981年「児童性愛、ペドフィリアを擁護)が明らかになって有権者の支持を大きく失っていった。

最後に、FDPの歴史的敗北について、同党の古い幹部は「わが党はリベラルな社会建設で貢献してきたが、ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャーなどカリスマ性のある政治家がいなくなったこともあって、有権者に正しく評価されなくなった」と述べている。独週刊誌フォーコス電子版によると、同党の失墜原因として、1. 利権政治、2. 党内の権力争い、3. 政策の欠如、4. AfDにリベラル票を奪われた、等が挙げられている。同党は、34歳の若手で人気のある政治家クリスツィアン・リントナー氏(同党元幹事長)を新しい党首に選び、党の再生に乗り出すと予想される。

なお、メルケル首相の3選が確実となったことから、ドイツ主導の欧州連合(EU)の財政危機への対応に大きな変化はないだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年9月24日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。