ICTと教育について

2013年09月27日 04:53

ICT(information communucation technology ,情報通信技術)は我々の生活を大きく変えたが、ICTは我々にどのような影響を与えているのだろうか。 ここでは、この点について考え、ICTの教育への応用には、慎重な配慮が必要であることを指摘したい。


ICTは数学力、読解力の低下をもたらす

まず、Scaling the Digital Divide: Home Computer Technology and Student Achievement (2008)を紹介したい。

この論文では、アメリカ、ノースカロライナ州に於いて、家庭への高速インターネット接続の普及が学力に与える影響について、パブリックスクールの学生の数学力、読解力のテストの得点推移を調査し、統計処理を行ったものである。その結果は次の2点である;

(1)高速インターネット回線の普及は、学生の数学力、読解力に統計的に有意な負のインパクトをもたらしている。

(2)コンピュータアクセスは、学生の数学力、読解力の格差を拡大する。

これは、デジタルデバイド、つまりコンピュータアクセスの有無が学力格差を生むという一般の理解とは全く逆の結果である。 コンピュータアクセスが容易になると、数学力、読解力は低下するものであると、言えそうである。

しかし、少し考えれば、この論文の結果の原因は、すぐに思い当たるだろう。キーボート入力を使うようになれば、漢字は忘れがちになるし、考えるのが面倒なことは、ネット検索を使うことが増えれば、考えることはしなくなりがちだ。 短文のメールやツイッターを打ち込むだけでは、文章力は退化するだろう。 

大学の授業にラップトップを持ち込むと成績が低下するという報告もある:The Blackboard Versus the Keyboard。また、暇つぶしにサイトで遊ぶ、自分の頭で考えないといった弊害を理由に、授業へのラップトップ持ち込みを禁止する動きもある:大学生にパソコン禁止令。 

このように、ICTは、便利なものだが、その便利さが仇となって、学力低下をもたらすということは事実のようだ。

これは、ある意味当たり前のことで、人間の脳は、紀元前から殆ど変化しておらず、脳の情報処理能力は紀元前から変わらないのだから、頭に詰め込む情報量を増やすと、考えが浅くなるわけだ。 

インターネットの脳への影響について、専門論文を引用しながら解説した好著:「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」で知られる、ニコラス・カーの次の論説の一文は、紙の本とコンピュータ画面とでは、集中力に差が出ることを示唆している:

端的に言えば、印刷された本の素晴らしいところは、われわれを“注意散漫”にさせないことだ。本を読むということは、静止した対象に向かい直線的にひたすら注意や思考を持続させなければならないということだ。だからこそ、われわれは印刷されたページをめくりながら本を読むとナラティブ(物語)に非常に深いところで関わることになり、深く議論することができるようになる。対照的に大量の競合する情報や刺激に溢れているインターネットやコンピュータ画面上で(本を読むと)まったく逆のことが起きやすい。要するに、注意散漫に陥りやすいのだ。

デジタル教科書の教育効果はどの程度検証されているのか

このように、ICTは使い方を誤ると、教育の障害になり得る。現在、導入が検討されているデジタル教科書だが、その点はどれだけ考慮されているのだろうか。

今、私がここのところ取り上げているデジタル教科書の教育効果検証の現状については、国際大学の豊福晋平准教授のデジタル教科書普及のための3つの提案(2012年8月)を見ると良くわかる

① 授業導入の最も合理的な説明は、「ICT を用いることで教育効果が高まること」だが、従来の授業に部分的に ICT を取り入れても、機器導入に依存する新奇性効果を除けば、劇的な教育的効果は得られない。

② 略

③略

①~③の問題は互いに絡み合っているのだが、特に、①はこれまでの研究を根こそぎ否定するような見解なので物議を醸すだろう。それでも劇的教育的効果がない、と言い切るのには訳がある。

ICT は知的活動に伴う道具だから、短期的に得られる効果(動機付けや記憶知識)は持続しないものが多く、一方、持続的効果(問題解決力や論理的思考力)は、ICT を用いた知的活動が思考と馴染んで高度にならないと出現しない、というのが筆者の仮説である。

だから、医薬治験のような実験授業を繰り返し行っても、他の教育関係者を説得できるような十分な効果を得ることは難しい。これは通常、短期・単発で行われる実証実験モデルの構造的課題と言える。

とある、デジタル教科書の教育効果の検証は短期・単発でしか行われておらず、十分な教育効果の証拠は見つかっていないようだ。 十分な検証は行われていないことが、よく分かる。 実際、総務省のフューチャースクール推進事業の報告書を読んでも、教育効果の検証は、短期・単発のものばかりで、学力向上の効果検証は、殆ど行われていないことが良く分かる。

前記事で述べたように、韓国と同等の規模の長期かつ大規模な実証実験をやった上でなければ、デジタル教科書を一斉導入するのは危険だろう。教育のICT化については、政府が2015年から全国100程度の拠点で実証実験をする方針なので、そこでの結果を待って、デジタル教科書が導入されることになる。当然、成績向上などの教育効果もそこで確認されるだろう。こういう手続きは必須だ
 
教育のICT化は何を目指すのか

教育のICT化がどのような教育を目指しているのか、私には分からない。その手掛かりにと、デジタル教科書を推進しておられる中村伊知哉氏の「なぜデジタル教科書なのか」を読んでみた。 そこには、一種の教育モデルとして:

全員の端末がネットでつながっている。今日の社会科のテーマは政府の仕組み。家でサイトを調べて、共有画面にレポート結果を投稿する。学校の授業では、先生がそれをまとめて電子黒板に表示して、みんなで議論する。
 
「じゃあアメリカはどうなの中国はどうなの。」知らないわからない。じゃあ外務省の人に聞いてみよう。テレビ会議システムでつないで、教えてもらう。アメリカや中国にも問いかけてみる。日本語で送れば機械翻訳される。あ、メールが返ってきた。なぜ?って思うことはきっと答えてもらえる。—

という例が、書かれている。 成程、ICTは便利であることは分かる。 しかし、これは私にとって教育ではない。実際、上のような教育を行ったのでは、子どもの頭は、受動的にしか働いていないように見える。分からなかったら質問して、答えてもらえる、というのでは、話にならない。

こういった教育ではなく、一時間掛けて、自分一人で、孤独と向き合い、沈思黙考して、1000字程度の自分の意見を論理的な文章にまとめる、 といった訓練をしてこそ、未来を担う人材を育てられるだろう。 孤独と向き合うこと、外部とのインタラクションを遮断して独力で考えることこそ、大切な教育ではないだろうか。

上に挙げたように、ICTには、数学力、読解力への負の影響がある。 それを補完する形の教育、つまり長文を徹底的に書かせる教育や、証明問題を沢山解かせるといった教育を行うことが、是非、必要だと考えるが、如何なものだろうか。

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