オーストリア極右派指導者ハイダー氏の「遺産」 --- 長谷川 良

2013年10月04日 16:08

オーストリア総選挙(下院)は歴史的な結果をもたらした。2大連立政権が得票率を喪失したことではない。欧州の政界を大きく揺れ動かしてきた政治家、極右派指導者、ヨルク・ハイダー氏が生前、結成した「未来同盟」(現党首、ヨーゼフ・ブフナー氏)が議席獲得に必要な得票率4%の壁をクリアできずに議席を失ったのだ。

ハイダー氏は故ワルトハイム大統領(元国連事務総長)と共に、国際社会でその名前が知られていた数少ないオーストリア政治家だった。ファイマン現首相やシュビンデルエッガー外相の名前を知らない人も、ハイダー氏の名前は知っていた。同氏の場合、そのネオ・ナチ発言、そしてシュッセル国民党との連立政権とその直後の欧州連合(EU)の制裁問題でその名前を売った。


ハイダー氏は1986年、自由党の党首に選出されて以来、選挙では常勝街道を邁進、得票率4%の小党に過ぎなかった自由党を20%の大台を越える主要政党にまで躍進させた。同氏の政治手腕は明確だ。2大政党、社会民主党と国民党の問題点をバッサリと切り、国民には常に「オーストリア・ファースト」を訴えてきた。同時に、政敵からは大衆扇動家として批判された。ハイダー氏はその後、自由党から離党し、ケルンテン州知事職に専心する一方、2005年4月、「未来同盟」を結成した。その直後の総選挙でも議席21人を獲得して、選挙に強い事を証明した。

そのハイダー氏は08年10月11日未明、州主催のイベントを終えてクラーゲンフルト南部を親族宅に向けて運転中、前方の車を追い越そうとして壁に衝突、頭部や胸を強打して、病院に運ばれる途中、死亡した。ちなみに、ハイダー氏の葬儀は国葬ではなかったが、参列者数とその規模では、04年7月に急死したトーマス・クレスティル大統領の国葬を大きく上回ったといわれたものだ。

「ハイダー氏ほど国民に愛され、同時に嫌われた政治家はいなかっただろう。その意味で、同氏は国民を一体化させるというより、分裂させた政治家であった。それが野党政治家としてのハイダー氏の『運命』だったのだろうか」と、当方は当時、このコラム欄で書いている。

「未来同盟」の現党首ブフナー氏はハイダー氏亡き後、党路線を中道右派に修正する一方、党内のハイダー色を一掃するなど、脱ハイダーに腐心したが、有権者から支持を得ることはできなかった。

ハイダー氏が自身の政治的受け皿として急造した「未来同盟」は結成8年余りで連邦議会の議席を全て失った(地方議会では議席を有する)。欧州政界に旋風を巻き起こしたハイダー氏の政治遺産はまた一つ消えていったわけだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年10月3日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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