デジタル・ディストラクションについて

2013年10月08日 12:00

ICT(情報通信技術)は、我々の生活や仕事に欠かせないものになっている。だから、子どもたちに早期にICTに慣れさせようという、松本徹三さんのご意見も分からないわけではない。

しかし、私は、ICTが子どもの学力を低下させているのは紛れもない事実だと考えており、教育の情報化は慎重に進めるべきだと考えている。 ここでは、その根拠を述べたい。


デジタル・ディストラクション

Digital Distractionsという言葉を聞いた方はいるだろうか。 これはデジタル機器が引き起こす注意散漫という意味で、デジタル機器は、学習能力を低下させる。

この問題を扱った、ニューヨークタイムスの記事:Growing Up Digital, Wired for Distractionの一部を翻訳、紹介すると:

学生は、常に注意散漫になったり、時間を無駄するリスクに直面している。 コンピュータや携帯電話は、彼らに常に刺激を与え、集中したり、学習したりすることの大きな妨げになっているのだ。

研究者によると、こういったテクノロジーの誘惑は、大人にも作用するが、子どもに特に強く作用する。 彼らによると、子どもは大人に比べ、タスクを常に変え、注意を集中させることができなくなるように脳が変化するリスクが高いという。

とある。

このようなデジタル・ディストラクションは、電子書籍と紙の書籍の読み方の違いにも表れる:

新しいキンドルで電子書籍を読み始めてすぐに、作家のスティーブン・ジョンソンは、次のように実感した。『デジタル領域に本が移行することは、単にインクをピクセルと取り替えることではなく、本の読み方、書き方、売り方を大きく変えることでもあるだろう。「キーにタッチすることで本の世界」を拡大し、ウェブページのように本を検索可能なものに変えるキンドルの可能性に、彼は胸を躍らせていた。だが、そのデジタル・デヴァイスによって、彼の心は恐れで満たされもした。「読書の大きな喜びのひとつである、別の世界、つまり作家の観念の世界に没入することが、犠牲になるのではないかと怖れている。雑誌や新聞を読むときのように、あちこちから、少しづつ情報をかじり取るようにして、本が読まれるようになるのではないだろうか』。(How the E-book Will Change the Way We Read and Write, Wall Street Journal April 20, 2009)

ワシントンDCにある倫理公共政策研究所の特別研究員、クリスティーン・ローゼンは、最近、キンドルでディケンズの小説『ニコラス・ニックルビー』を読んだときのことを書いている。その話は、ジョンソンの感じた不安を強調するものだ。「どうやっていいのか、最初ちょっとまごついたけれど、すぐにキンドルの画面に慣れ、スクロールしたり、ページをめくったりするボタンの操作もマスターした。とはいえ、ある程度の時間続けて読もうとすると、視線はひとところに落ち着かず、あちこちに飛び回ってしまった。注意はどんどん散漫になっていった。ウィキペディアでディケンズについて調べ、ディケンズの短編小説「マグビー・ジャンクション」についてのリンクをたどり。そのまままっすぐ、インターネットのウサギの穴(「不思議の国のアリス」になぞられている)に飛び込むはめになった。20分経っても『ニックルビー』には戻れなかった」。 (Christine Rosen “People of the Screen,”New Atlantis, Fall 2008)

「ネット・バカ」ニコラス・カーpp.147-148より引用)

このように、電子書籍と紙の書籍では、読み方が異なる。我々は、知らず知らずの中に、デジタル機器により、従来より多くの情報に接するようになる一方で、深い読み方が出来なくなっている。

このような現象が起きるのは、人間のワーキングメモリー(作動記憶)の容量が、デジタル機器がもたらす、脳への情報流入量(認知負荷)に対応できないからで、ワーキングメモリーに流入する情報量が大きくなれば、注意散漫状態も増幅される。 作動記憶が限界に達すると、重要な情報とそうでないものとを、すなわちシグナルとノイズを区別することがより困難になる すると我々は何も考えずに、データを消費する存在になってしまう。

これは動画を見ているときに、考え事をするのは難しいが、活字を読んでいるときには、考え事が出来るという例を挙げれば、簡単に納得できるだろう。 

我々は、集中して考え事をするときに無意識に目を閉じたり、空を仰ぐが、これも認知負荷を軽減するためであると考えられる。

またハイパーテクストが学習の妨げになるという研究もあるし:

D.S. Niederhauser, R.E. Reynolds D.S. Salmen and P.Skolmoski, The Infulence of Cognitive Load and Learning from Hypertext “Journal f Educational Computing Reserch 23, no.3 (200), 237-255.

マルチタスクが子どもの学習能力を低下させるという研究もある:How Does Multitasking Change the Way Kids Learn?

このように、多くの科学者の研究が示唆するように、我々はデジタル機器により、従来とは比較にならない量の情報にアクセスすることが可能になった一方で、思考の深さを失いつつあるのかも知れない。

簡単に言えば、脳に流入する情報量と、思考の深さは、反比例すると考えてよい。

情報の氾濫がもたらす知の衰退の危機

大学の教育に携わる私の目には、(これがICTの影響なのかは分からないが)学生の知は少しは広くはなっているかもしれないが、知の深さは、どんどん浅くなっていると感じる。 また、学生の思考の持続時間も、どんどん短くなっているとひしひしと感じている。

昨日、工学部の先生とお話しする機会があり、最近、工学部の学生の数学力が著しく低下し、慣性モーメントの計算や、強度計算なども計算式が分からず、ソフトに頼り切りになっている、と伺った。

また、少し以前、某有名重工の、新人教育担当者に伺った話:「最近の新入社員には、球の体積も重積分で求められないのがいるんだよ!」には耳を疑うが、これも現実のことなのだろう。 こういった状態で、技術立国日本が維持できるのか、というと疑問を感じざるを得ない。

自ら考えなくとも、慣性モーメント、重積分といった、キーワードを知り、検索をすれば、何某かのソフトがあり、それに入力すれば、取り敢えず困ることはないのかも知れない。 

しかし、こういった他人が築き上げて来た知に頼る、問題解決方法しか出来ない人材は、競争力を持たないし、新しい何かを創造する能力はないだろう。 

情報は獲得するだけでは、意味がない。獲得した情報の取捨選択を行い、情報を咀嚼し、論理的に組み立てて、自らのものにしなくてはならない。そこまで出来る能力がなければ、創造力は生まれない。

デジタル・ディストラクションを考えると、我々は、情報機器がもたらす情報の氾濫を前にして、思考の深さの喪失による、知の衰退という危機に直面しているのではないだろうか。

今こそ、孤独の中で自分と向き合い、集中して深く思考する能力を身に付ける教育が求められていると思うが如何だろうか。

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