映画評:借金して親を支えて破滅するか、早期に施設に頼るか~映画『凶悪』を見て~ --- うさみ のりや

アゴラ

「凶悪」って言う映画を見てきました。ということで感想。ネタバレを含むので読む方はご注意を。

通称”ウォッカ殺人事件”とも呼ばれる「上申書保険金殺人事件」を題材にした映画なんですけど、表題に掲げたような重大なテーマを裏に潜ませていてこの監督は上手いな~と思いました。

YouTube Preview Image

殺人事件の詳細については映画見るなり検索するなりで調べていただければと思うんですけど、一言で言えば「借金がかさんだ家族で支えきれなくなった高齢の父親を、地元の怪しげな不動産ブローカーに依頼して殺してもらって、保険金をだまし取って山分けする。」というような内容です。バブル崩壊で借金苦に喘ぐ家族にとって、肝硬変や糖尿病を抱える父親の面倒は徐々に支えきれない負担となってしまい最終的には、保険金詐欺で受け取ったお金で借金を返す、という決断をしたという流れです。

で、この映画には 伏線がありまして、この事件を追っている記者(主人公)は夫婦で痴呆症の母親と同居しており、嫁が母親の面倒を見ているという設定にしています。嫁は介護の負担に耐えきれなくなり、主人公に母親の老人ホームへの入居を相談するけれど、主人公は「母親を見捨てる」ような気がして煮え切らない。程度の大小はあれ「親の面倒を見る負担」に事件家族も主人公家族も悩まされているわけですね。

主人公は正義感にかられて事件の真相を暴こうとのめり込むように追い続けるわけですが、一方でそれが嫁の介護負担を大きくして家庭は殺伐化していく。主人公はそこから目をそらし続けるのですが、最後には嫁が母親に暴力を振るうようになり、母親を老人ホームに入居させることを決断させる。 抱えきれないほどに親の面倒を見て保険金詐欺に走る家族と、手遅れになる前に老人ホームへの入居を選んだ主人公家族を対比して描いている感じです。

凶悪

多分この監督が伝えたかったのは「この殺人事件は他人の特殊な問題じゃなくて、お前達全員の問題なんだよ」ってことだったのだと思うのですよ。そのために「長寿命化して、高齢化社会を迎えて、それでも昔ながらの家族像を守りつづけるの?」ってことを問うてみた。でもってこの映画が示したのは「親の面倒は家族では見切れない」ていう姿。

残酷ですけど、それが超高齢化社会の真実なんでしょうね。日本政府のお財布事情考えれば、高齢者の医療費負担もこれからどんどん増していくだろうから、こういう問題ってもっと深刻化してくるんでしょうね。現実って本当に残酷、マジ残酷。未だ独り身で家庭も無い自分ですけど、家族というものについて考えさせられてしまいました。

んでもって自分が思うのが、どこまで行っても自分の人生は独りだってことです。助け合うことはあっても、独りで生まれて、独りで生きて、独りで死んでいく。支え合うのも助け合うのもそれで得るものがあるからで、支える一方になったら見捨てられて独りになる。人生はどこまでも独り。

そんなわけで願わくば、自分の人生において最後人に頼り切りならねば生きていけなくなるのだったら、自分で人生を終わらせたいということです。自分が大人になる頃には自ら死を選ぶ手続きが合法的になってもらいたいものです。ま、生きているうちに考えは変わるのかも知れませんけどね。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年10月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。