日本サラリーマンの「奴隷的」労働環境を問う --- 佐藤 正幸

アゴラ

シリアでは子供たちが銃火の中で人権蹂躙されている。リビアでもまだ平和への目途は立たず、多くの住民が人権侵害されている。チベットでも中国による住民弾圧が続いていると聞く。世界を見れば人が人として生きる権利である「人権」が守られているのはほんの一部の国においてであることが分かる。

では日本ではどうだろうか。他人事と言えるだろうか。


10年に一度の台風が近づいているのにも関わらずニュースでは通勤パニックの文字が躍る。こんな非常時でさえ、通勤することが前提なのだ。平時でも、乗車率150%の電車に揺られ朝から窒息寸前。隣りのおっさんとつり革の取り合いで格闘が始まる始末。やっとの思いで会社についても残業で深夜帰り。家族との団らんなどそこにはなく、底なしの徒労と絶望が広がる。

そんな状況だから休日はどこへ行くでもなく、家でぐったり体を休める。ひどい場合だと土日ですら会社に出たり、会社のメールをチェックしたり。休日に仕事の話をしたり、家族のとのコミュニケーションより会社のメール返信を優先するなどここまでくると病気だ。当然、リフレッシュなんてできるわけもなく、また月曜日から前の週からの徒労と絶望が無限ループで続く。

もはや日本のサラリーマンに人権などあるのだろうかと目を疑いたくなる。

この扱いは日本国憲法18条に定めのある「奴隷的拘束及び苦役からの自由」に反するのではないか。こうしたサラリーマンたちの働き方のどこが奴隷的苦役でないと言えるのだろうか。

筆者はサラリーマン時代、カナダで仕事をしたことがあるが、カナダ人の朝は早いが帰るのも早い。残業は全くしないかと言われればそんなことはないがオンとオフはしっかりと切り替えていた。原則8:00~17:00で金曜日は午後休み。土日にリフレッシュする余力を残し、非常に能率的に仕事をこなす。車社会ということもあるが、通勤地獄のような悲惨な光景は見られない。延々と続く残業地獄の中ではどんなに優秀な日本のサラリーマンも集中力など続くわけがない。

日本のサラリーマンは自分たちの置かれている状況が日本では当たり前だから、「奴隷的苦役」とは感じないのだろう。自分たちのお父さんも経験して来た道だし、自分と同世代も同じような思いをしているのだ。

しかし、世界に目を向ければ自分たちの置かれている状況が奴隷状態だと痛感することになる。個人所得は世界的にみても高いのに、狭い家に住み、毎日奴隷船のような通勤電車で輸送される。人権蹂躙の状況は決して、シリアやリビアに引けをとらないのではないだろうか(もちろん、平和であるかどうかは非常に重要なポイントだが、拙稿の目的は日本人の働き方を問うというのが主題なのでお許し願いたい)。

この状況は明らかに異常だ。

こういう状況を改めて考えても、台風より通勤を考えるのだろうか?! 時間も体力もコストもかけて通勤するより、自宅で仕事をした方が能率的ではないのだろうか。

この状況は日本全体にとっても不幸だ。働き手であるサラリーマンの命を削ったところで日本社会にとっていいことなどまるでない。現に、若い人たちはこうした文化を社畜と呼び、ノマドという働き方を選択する人たちも増えている。筆者の友人も、優秀な人間ほどすぐに見切りをつけ次のライフステージへ移動している。社畜文化への反旗ののろしは確実に上がっている。

もう一度、豊かさとは何か、働くとは何かを日本社会全体で考えてみる台風の一夜にしたいと思うのは筆者だけだろうか。

佐藤 正幸
World Review通信アフリカ情報局 局長
アフリカ料理研究家、元内閣府大臣政務官秘書、衆議院議員秘書