アジア人の「欧米ブランド信仰」について考える --- 岡本 裕明

アゴラ

今日は先日のブログの中で出たアジアの欧米ブランド崇拝について考えてみたいと思います。

H&M、ZARA、Forever 21、GAP、American Eagle……これらは、欧米から日本へと進出したアパレルのブランドの一例で名前を挙げ始めればきりがありません。


北米ではモールに行けば必ずある当たり前のブランドにも関わらず、日本の女性誌には「すごいブランドがアメリカからやってくる」と華々しく宣伝されています。しかし、洗濯を何回かした後で縫製が良くないと思ったことはありませんか? 北米に住んでいる私としては、日本メーカーの服の方が体型にも合っているし、種類も豊富であるのに、なぜ海外ブランドがもてはやされるのでしょう? 私も含め海外在住日本人は一時帰国の際、服や食べ物を買い込むひとが多いでしょう。

実はそんなに質は良くないかもしれないにもかかわらず日本人は「海外」という言葉に弱いのかもしれません。持っていない物が欲しくなってしまうのは子供の時から続く人間の心理ですよね。洋風な家に住んでみたい、髪を茶色にしてみたいと思うのはほんの一例でしょう。日本生まれのアパレルメーカーで日本語のひらがなや漢字が使われているのが少ないと思いませんか?

日本を含めアジア人の西洋ブランドに対する執着はすごささえ感じます。中国で売れている自動車ブランドはVWとGM。VWは日本ではとうの昔に販売中止となったサンタナが延々と売れ行きトップを占めていた時代すらありました。ここバンクーバーではアジア系の人口が高いからかもしれませんが、デザイナーズブランド店へ行くと必ずと言っていいほど中国語、日本語、或いは韓国語が母国語の店員が働いています。

かたや成田空港の免税店。日本人が見向きもしない浴衣や着物、扇子、提灯を購入している欧米人をいつも面白いなと思って見ています。欧米人はブランドが先に来るのではなく、欲しいものがピンポイントで決まっているような気がします。その矛先は日本の「テイスト」かもしれません。以前、カナダの友人が日本で暖簾がほしいのだが、といわれ、さて、どこに売っているか、考えてしまったことがあります。或いは鰹節とその削り器。こんなものどうするのかね、と聞くと、料理に使ってみたいというのです。鰹節が暖かい料理の上で動くのが面白いらしいのです。

アジア人のブランド崇高がどこから来るのかと考えた時、憧れとプレステージを感じさせる品格が歴史の中に備わっていることかもしれません。アジアでは物まねが非常に多いの対して歴史ある海外ブランドはそれなりのステートメントを感じます。この重みは日本がまだまだ学ばねばならないところでしょう。

一方、海外ブランドに対して日本国内商品にもすばらしいものがたくさんあることにに気づくべきでしょう。ファッション雑誌のモデルがなぜ長身の白人なのでしょう? 日本人がそれを着ると借り物衣装になってしまうこともしばしばです。しかし日本製品は海外のよさをうまく改良する能力に長けていませんか?

隣の花は赤く見えるものですが、実は自分の家の花のほうがより赤く美しかったとしたらどうでしょう? ブランド名に囚われずに何が本当に良いのかを見極める必要がありそうです。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年10月20日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。