醜悪な山本太郎議員の直訴--田中正造との比較から

2013年11月01日 00:05

予想通りダメな人だった

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山本太郎参議院議員が10月31日、園遊会で天皇陛下に手紙を渡した。いわゆる直訴という行為だ。(写真はテレビのキャプチャー)


その後、山本議員は目立ちたいのかわざわざ記者会見し、「原発事故によって、このままだと子どもたちの被ばくが進み、健康被害が出てしまう。さらに現場で対応に当たっている作業員は劣悪な環境で搾取され、命を削りながらやっている。こうした実情をお伝えしようと、手紙にしたためた。自分の政治活動に役立てようという気持ちはなく、失礼に当たるかもしれないという思いもあったが、伝えたい気持ちが先立った」と、述べた。「手紙を書くことの何が政治利用ですか?」とも質問に答えたという。

幼稚すぎる行動で、山のような問題をはらむ。皇室の政治利用、社会儀礼上の無礼さ、常識のなさなどだ。テロ行為を重ねる極左暴力集団の中核派との関係を公言する山本氏が皇室に間近に近づいたことは、警備上の問題も明らかにした。テロ行為も可能であったということだ。

そして彼の(古風な言い方をすれば)上奏文の内容はでたらめだ。現状では子供にも、作業員にも健康被害は出ていない。福島原発事故によって普通の生活を送る限りにおいて、健康被害はこれからも起こらないと私は判断している。

山本氏は放射能をめぐるデマ発信、そして中核派など極左暴力集団の支持など、特異な異様さを持っていた。私は彼の当選翌日にコラムで懸念を述べ、さまざまなことを学んで支持者と共に変わってほしいと願った。(「山本太郎氏当選に思う–噛みしめるべき格言「教育のない民主主義は無意味」」)やはり、ダメなままだった。議員になってからのめちゃくちゃな活動の行き着いた先が、この直訴騒動だ。

足尾銅山鉱毒事件と福島原発事故

p_tanakaここで私は近代史上有名な直訴事件を思い出した。日本初の公害とされる足尾銅山鉱毒事件の解決に奔走した政治家の田中正造(1841~1913)の行動だ。

栃木県の足尾銅山は、そこから流れ出る鉱毒によって、渡良瀬川流域の土壌を汚染し、農作物や人体に被害を及ぼした。しかし政府、経営する古川財閥は、対策が遅れた。銅は重要な輸出品、そして工業化に不可欠な物資で、増産しか選択できなかったためだ。

地元出身の民権運動家で、衆議院議員になっていた田中は問題解決に奔走。しかし政府の対策は遅れた。絶望した田中は明治34年(1901年)12月、明治天皇に直訴状を出す。(ネットサイト「田中正造の業績」)ただし政府は単に狂人が馬車の前によろめいただけだとして不問にすることとし(田中本人の言及による)、即日釈放されたという。(Wikipediaより)

この行為は世論に大きな反響を呼び、政府の対策が加速することになった。ただし、その解決策は、渡良瀬川の下流域の谷中村を水没させ、鉱毒の沈殿池をつくるというもの。田中はそれに反対した。

田中は後世では賛美一色の人だが、私が当時の資料を読む限り、正論を唱えて妥協を許さない、気難しい人柄が浮かび上がる。住民の大半は政府案を飲んで強制移住を仕方なく認めるのに、田中は谷中村に住み続けた。当時は唱える人がほぼいなかった軍備全廃も主張した。もちろん田中の無私の精神と気骨に私は敬意を持つが、最後には周囲の人から浮いてしまった面もあるようだ。彼は貧窮の中で亡くなる。

2013年は田中正造が亡くなって100年だ。栃木県でイベントや再顕彰が行われた。そして福島原発事故を取材した私は、福島の地域社会が崩壊したことに衝撃を受けた。この事故と足尾銅山事件の類似性から、田中の足跡に関心を持ち、いくつかの文献を読んだ。

もちろん原発と銅山は、時代背景も、その事業の特徴も違う。足尾鉱毒事件は、人権や環境の意識が乏しい時代ゆえに、その被害はあまりにも凄惨だ。しかし2つの出来事は、共に国策として、巨大プラントの運営を国が推進した。それは社会に利益をもたらす一方で、事故により弱者が被害を受け、特定地域の社会を壊してしまった負の側面もあった。

調べる中で田中の直訴文も知った。私の漢籍の素養は乏しいが、名文で気迫のこもったものだ。当時の知識人の教養の高さもうかがえる。(全文

「我日本帝国憲法及ビ法律ヲ正当ニ実行シテ各其権利ヲ保持セシメ、更ニ将来国家ノ基礎タル無量ノ勢力及ビ富財ノ損失ヲ断絶スルヲ得ベケンナリ。若シ然ラズシテ長ク毒水ノ横流ニ任セバ、臣ハ恐ル、其禍ノ及ブ所将サニ測ル可ラザルモノアランコトヲ。

臣年六十一、而シテ老病日ニ迫ル。念余命 幾クモナシ。唯万一ノ報効ヲ期シテ、敢テ一身ヲ以テ利害ヲ計ラズ。」

(帝国憲法の権利を維持し、将来の国の無限の力、そして豊かさを維持するべきなのに、公害が断ってしまうかもしれません。鉱毒の水が流れ続ければ、その損害は計り知れないものになることを、一臣下として怖れます。61歳になる私は、病を得て、余命はわずかです。陛下と社会のご恩に報いることを考え、利害を考えず申し上げます)(拙訳)

田中の行動を見て思ったのは、いつの時代も、物事の意味は多面的であること、そして人は誤りを繰り返すことだった。「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」。彼はこのような言葉を残しているという。そうした文明を私たちは田中没後100年経っても、今だにつくることができない。

「目立ちたい」という身勝手な願望

田中の前例を山本議員は、知っているかもしれない。田中龍作氏という自称ジャーナリストが山本氏に滑稽なほどの賛美を続けている。今回も山本氏を田中正造のようだと持ち上げた。

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あほか。あきれた。

田中正造は主権者たる明治天皇に直訴した。当時は不敬罪など天皇の尊厳を守る法や国家制度があって直訴が禁じられた。田中は国法を犯すことを恥じたのか、議員辞職をして直訴に及んだ。反体制活動家であっても、社会秩序を乱すことを恥とする、強い倫理観が感じられる。そして、この行為には国事に奔走し、命を投げ打つという覚悟と気迫がある。

山本太郎議員は主権者である国民の、東京選挙区の代表である。そして現代の日本では、明治憲法の反省に立って天皇は政治性を抹消し、中立の立場におかれている。そうした制約を山本氏は平気で犯した。また請願法という法律で天皇への請願は総理大臣を通すこととされている。

園遊会というまったく目的の違う行為で、関係のない皇室を巻き込み、その人気、注目を利用するために手紙を渡した。天皇陛下に人間として礼儀の上で失礼であろう。そして民主主義制度に傷をつけた。議会にも、行政にも迷惑な行為だ。そして、この行為には「目立ちたい」という矮小で身勝手な願望だけしか感じない。

山本議員と支持者らは、脳内に自分でつくった放射能の恐怖に怯え、空想の中の福島や原発被災者の勝手な代弁者になっている。それに関係ない天皇陛下をはじめ、私たち多数派の国民を巻き込もうとしている。その姿はとても不快だ。卑劣な行為であり、甘えがある。遊びと言ってもいい行為だ。

田中正造と比較をすれば、山本議員の行動の醜悪さが一段と浮かび上がる。田中正造の直訴事件の結末は、田中の意図に反する方向ではあったものの、政府が事態の収拾に動いた。

山本議員の直訴は、見る限り社会の大半の態度は無視か嘲笑のようだ。政府も迷惑がって、まじめにコメントさえしていない。支持者と山本議員本人は反省してほしい。平成の直訴事件は、明治の直訴事件の田中正造と比較にならない、醜悪な活動家の勝手な騒擾だ。

この異常な、そしておかしな事件をきっかけに、放射能をめぐる無駄な騒擾やデマを徹底的に批判する状況を生みたい。こうした人々は周囲が騒げば「目立てた」と図に乗る。政治的な、そして社会的意味のある主張と認めてはならないだろう。ただし、おかしな主張者にも言論の自由はあるので行為をつぶすのは好ましいことではない。それらの姿が荒唐無稽で馬鹿げていることを社会全体で指摘し、その上で無視し、孤立させるのが一番適切な扱いかもしれない。

石井孝明  ジャーナリスト 
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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