真逆の日米教育(2)教科にも教科書選定にも口を出せない米国政府

2013年11月01日 12:56

「カリキュラム」「単位」「学習指導要領」など日本の教育行政を支える概念や用語の殆どはアメリカ生まれですが、日米の教育行政は「月とすっぽん」ほど異なります。

これだけ大きな違いを生んだ原因は、何と言っても両国の憲法のあり方と伝統の違いにある様に思います。

米国では教育も含め、憲法で国の権限だと明記されていない事項は州の専権事項とされていますが、だからと言って、米国政府が教育を野放しにしている訳ではありません。


連邦教育省は、州や学校区に「差別」だとか「機会平等」の否定など連邦法の違反行為があれば強制権を行使して是正させたり、補助金の支給を差し止める等の手段を通じて、間接的に各州の教育行政への影響力を維持しています。

その為、州政府は米国憲法の修正1条の信仰、言論,集会の自由条項、修正4条の捜索,押収条項、修正8条の残虐又は異常な処罰禁止条項等のコンプライアンスには神経質になっています。

米国では憲法が最高法規として下級法を支配していますので、国民の憲法に対する信頼は絶大なものがあります。

それに引き換え、日本国憲法には「法律の定めるところにより」と言う下級法への丸投げ項目が30以上もあり、「立憲国家」と言うより「法権国家」と思えるくらい下級法が猛威を振い、その下位にある「省令」も「憲法」より幅を利かせるほどで、憲法は国民から遠い存在になっています。

日本国憲法 第26条の規定は、米国の教育への考え方と大差ありませんが、下級法である「教育基本法」で国家の教育への権限を異常に拡大した事が、文科省が教育の箸の上げ下ろしにまで口を出す結果を招いたように思います。

教育課程の基準を示すアメリカ生まれの「学習指導要領」も、日本に渡来しますと、文部科学省が告示する小、中、高等学校向け基準として強制権を持った通知に「変身」し、その内容は学校教育法の下位、又その下位の、法律でもない「省令」と言う「密室」で公の審議もなく決められています。

「官の詭弁学」と言う本を読みますと、日本の教育が官僚の遊び場になっている事が良く分かります。

国会の審議会で「同じ幼児教育でも文科省管轄の幼稚園は『幼稚園教育要領』、厚生労働省管轄の保育園は『保育所保育指針』に従うと言う二元管理が必要な理由は何か?」と質問された厚生労働省の児童家庭局長や担当課長は「保育所では原則として、同一敷地内に調理場が必要であるのに対して、幼稚園ではその規制がない。三食施設で食べる子供にとって食事は単にお腹を一杯にすると言う事ではなく、調理過程を理解しなければ大人になってもきちんとした家庭を作れないからだ」と真面目に回答したそうです。

又、審議会議事録には、幼稚園ではなく保育園が必要な理由として「食事の大切さを分からせるためには、外から持ってきたコンビニ弁当では困る」「調理室を見せると言うことが、ちゃんとした大人になる条件」等と言う面白答弁が満載されているとの事ですので、「お笑いのねた探し」をしている若い芸人は、是非「審議会議事録」を「たね本}として取り寄せる事をお勧めします。

これでもお判りの通り、学習指導要領解説に沿わない記述を掲載すると検定を通る可能性がなくなるなど、日本政府による教育管理は全体主義国家と区別が出来ないほど徹底しています。

先述しました様に、教育は教育を受ける者とその親権者の物で、国家には監督権を与えないと言う考えの強い米国では、教育省の役割は本来の意味での「学習指導要領」などの「教育基準」の制作やデーターの収集、新しい教育体系のあり方の研究など、世界最大の教育コンサルタント機能を果たしています。

連邦教育省は又、州政府やその他の教育機関に供する膨大な教育資料を、主題別に整理したウェブサイト“FREE”(Federal Resources for Educational Excellence)を常に更新しながら公開しており、このウエブサイトは「教育のバイブル」視されています。

更に、米国政府の資金援助を受けた各種の民間教育団体が提供しているK-12(幼稚園から高等学校まで)のインターネット情報資源は1,500以上にのぼり、中でも1965年に連邦議会の承認を得て設立されたECS(The Education Commission of the States)が整備した 資料集は、同様の民間教育団体であるMCREL(Mid-Continent Regional Education Laboratory)の発行する「指導要領」と並び、世界の教育の指針だと言われています。

米国の各州政府や学校区は、これ等の豊富な資料やデータを参考に、多くの関係者の討論を経て教科や教科書の選定を行います

このように米国の教育行政は「君臨すれど統治せず」のイギリス国王の様に「政府は君臨するが,統治権は州を通じて国民が行使する」と言う憲法理念を忠実に守っています。

その為もあり、米国には初提訴から終結まで32年を要し「最も長い民事訴訟」としてギネスブックに認定された「家永教科書裁判」の様な訴訟は有り得ません。

ましてや、32年も争った挙句の最高裁判決が「一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲にあたらない」と言う、事実審と変らない「狭い法技術的」な結審で終わり、最高裁が本来審理すべき「教科書選定プロセスの透明性」や「審査官の国民に対する説明責任のあり方」は勿論、「教育は何の為に、又誰の為にあるか」と言う理念的判断を避けた事は、日本と言う「理念嫌い」の国柄だから出来たのでしょう。

こうして、日米の教育行政の違いを比べて見ますと、「教育と憲法」「教育と伝統」は切り離せない物だと痛感しました。

注:本稿は、日米両国の教育行政の違いを鮮明にする為に、似顔絵や物真似のように特徴を誇張した部分はありますが、その良し悪しを判断したり、結論を出す事は目的ではありません。

2013年11月1日
北村隆司

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