アジテーターに振り回されない日本人の理性的バランス感覚 --- Nick Sakai

2013年11月06日 14:22

山本太郎、みのもんた、橋下徹の三氏の最近の言動を見ていてつくづく感じることは、「この人たちは国民の空気を掴むことがあんなに上手だったのに、どうしてこんなことになってしまったのか。」ということです。そこで、この件で私が考えたことを紹介させていただきたいと思います。


現代の日本は恐らく「ムラ社会」という統治システムで動いています。よく、戦後60年以上経つのに、日本では法の支配による民主主義がなかなか根付かないと言われます。例えば、欧米のような市民革命を経てないからだとか、戦後憲法を押し付けられたからだとか。しかし、実際のところは、民主主義よりも日本式の「ムラ社会統治」の方が優れているので、これを敢えて捨てないで民主主義と混ぜ合わせ、日本流にアレンジしてしまったのではないかと思うのです。いわば「和魂洋才」です。コンビニでもカレーライスでも株式会社制度でも、オリジナルを創った国が舌を巻くほど、日本は内製化するのが実にうまいのです。

子供は小学校に入ると法の支配と民主主義について学びます。文部省と日教組の思惑がミックスされたカリキュラムで、欧米の資本論や社会契約論、日本国憲法、三権分立、国民の権利等について教え込まれます。でも、実は同時に、子供はもっと大切なことを学んでいます。それは、「学級」という人生で初めて所属する濃密な共同体で生き抜くための処世術です。いかにして周りの空気を読み、まずは学級集団から排斥されないポジションを確保して、それから集団の空気感に反しない範囲でアイデンティティーを確立すること。ある者はリーダーに、あるものはアウトローに、あるものはフォロアーというキャラを演じていきます。あくまでも予定調和的な全体劇のキャストとして。シ ナリオは空気を読みながらみんなで創ります。

この学級集団への同化という巣立ちの儀式は、大人になるのにとても重要です。小学校を卒業すると、中学校、高校、大学、会社、趣味のサークル、ご近所さん、老人ホームと多重的な共同体で、日本人は死ぬまで空気を読みながら生きていかなければならないからです。このような、日本独特の、お互い空気を読み合って合意を形成し、「あうんの呼吸」で最適均衡を導き出すという「擦り合わせ文化」は、企業内や企業間のコミュニケーションを円滑化して、日本株式会社として経済成長の原動力となりました。

戦後、テレビが登場すると、日本全体が大きな一つのバーチャル村共同体に統合されていきました。力道山、東京オリンピック、シャボン玉ホリデー、ザ・ベストテン、おしん、なでしこジャパン。翌日の職場や学校では、その話に持ち切りになります。日本人は、みんなで意見を共有することに喜びを感じるのです。それは、寺子屋の時代から、庶民の識字率や知的水準が高く、単一民族で島国だったこと、農耕民族で共同体指向が高かったことなどが影響しているのでしょう。

それに拍車をかけたのがインターネット、SNSです。それまではマスコミが一方通行で情報を流していたのが、誰でも簡単に情報発信ができるようになりました。オリンピックで誰かメダルを取ったり、松井やイチローがメジャーリーグで活躍したり、日本人がノーベル賞をとったりすると、同じ国籍というだけで、自分のことのように喜び「感動をありがとう」とか声が飛び交います。あまちゃんや半沢直樹などが放送されると、全国で一斉にツイートが呟かれます。(ちなみに、私は「あまちゃん」のどこが面白いのか正直全く解らないのですが、「空気の読めない奴」と言われるのが怖くて口外していません(笑)。)いってみれば、人類史上初めてと言っていいくらい、一億人規模でリアルタイムに情報を共有する均質的なコミュニテイ が出現した訳です。これは、海外から見ると相当異様な光景です。

さて、このような一億人のムラは、リーダーを多く輩出します。リーダーはその時々の村に充満する空気を掴むことに長けていて、マッチポンプ的にその空気をうまく増幅させていきます。そこでは、リーダーのオリジナルなアイデアや、知性や徳の高さといったことはそれほど重要ではないので、空気を掴んだアンプ・スピーカー役の人がスターダムにのし上がります。「こいつ、俺たちの気持ちをよく解っているじゃないか。」と。恐らく、その第一号が小泉純一郎元首相でしょう。

橋下徹、みのもんた、山本太郎の三氏もそうしたリーダーだったわけです。」橋下氏は法律バラエティー番組で頭角を表し、大阪維新の会を結成、2011年末には総理大臣最有力候補にまで上り詰めます。みのもんた氏は報道バラエティーというジャンルを開拓、その王者に君臨、山本太郎氏はネット選挙解禁、ツイッター活用の流れに乗って参議院議員の座を射止めました。

しかし、お三方とも自己過信の罠に嵌っていきます。あくまでも、共同体のメンバーとして空気を外さないというのが絶対条件であるということを忘れてしまい、自身が超然とした為政者だと勘違いしてしまったのかもしれません。その結果、国民の空気感とずれが生じてしまった。

橋下氏の場合は、米軍風俗についての「問題発言」。確かに、居酒屋では適切な話題だったのですが、一億人のムラに多く住む女性や品行方正な方々の空気感とは全くずれていた。山本氏の場合は、手紙を手渡すことの法律的妥当性が問題なのではありません。天皇が当惑されるという事実です。山本氏は反原発に的を絞って時代の寵児となられた。その支持基盤は、急進的左翼と左派的傾向を持つ一般人です。急進的左翼は、天皇制打倒がテーゼですから歓迎するでしょう。問題は、後者に属する大多数の女性や若者。彼らは天皇・皇后のことをお嫌いではないと思います。そんな人にとって山本氏の行動はどう映るでしょう。つまり、山本氏は支持層の信頼を失ってしまった。空気を読め ずに、ムラの掟を破ることによって。

みの氏の場合も、問題は「息子が犯罪を犯した」という事実ではなく、「息子は別人格、自分とは関係ない」という立場をとって、ムラの空気に歯向かったことです。これが村人の「気持ち」を逆なでした。みの氏の主張は、法廷では許容されますし、理にかなっています。でも、みの氏は、理屈ではなく人々の気持ちに訴えかけることで「報道」を「バラエティー」にされた張本人です。口が避けてもそんなことを言うべきでなかった。

みの氏は「これっていじめじゃないですか」と仰ったそうです。氏が舌鋒鋭く、「賞味期限切れのチョコレートを溶かして販売した」という根拠の明確でないデマを煽って、ムラ社会のメンバーと一緒になってたたき落とした不二屋はどうなりましたか。デマとわかっても、みの氏は全く総括をしていない。倒産した不二屋の元社員も同じ言葉を出したいはずです。「これっていじめじゃないですか」って。でも、それがこのムラの掟ですから仕方がない。このムラのシステムの悪弊は誰も責任をとらないことです。

しかしながら、私自身は、この「ムラ社会統治システム」はいろいろと問題はあるけれども、上手に使えば、あながち捨てたものではないのではないかと思っています。もちろん、理不尽なバッシングやいじめ、さらには軍部の暴走に対するシビリアンコントロールなどいろいろな問題に対する様々な留保条件を付けてです。

そもそも、なぜ西欧で民主主義や議会制統治システムが必要だったかというと、君主・ブルジョア・市民・貧困層という厳然とした階級の断絶があったからです。人種の坩堝の米国でもそうですし、最近の欧州への移民流入問題はさらに階層間の断絶を引き立てます。こうした社会では、空気を読み合ってコンセンサスを醸成することなど不可能です。また、日本以外のアジアの国々では、情報強者と弱者の格差が大きかったり、インテリジェンスレベルの問題もある。日本は非常に均質的で民度が高い。ニートや非正規雇用労働者が一番頭が良かったりする。

日本と欧米の対比が明確になったのは、福島の原発事故の時です。深刻な事故を受けて、ドイツでは、国民的議論が巻き起こり、法の支配に則り国民投票というデュー・プロセスを経て、メルケル政権が議会で脱原発宣言をするに至りました。一方、日本では時の菅首相が唐突に中部電力に浜岡原発停止を「要請」、中部電力は「自主的」に停止、その後国内すべての原子力発電所の稼働停止の道筋をつけました。これは一部で言われる菅首相の「暴走」だったのでしょうか。私は違うと思います。「原発はダメだ」という、ムラの空気が後押ししたのです。当時のツイッターのトラフィックを検証してみるといいでしょう。そして、首相官邸前再稼働反対デモ。国民のムードは明らかでした 。「市民運動」が大好きな朝日新聞社が上気して、久しぶりの「民衆蜂起」を報じました。放射能の恐怖が「国民感情」に働きかけた結果です。特に母性たる女性にその傾向が強かった。行政・立法・司法的な手続きを経ずに原子力発電所が超法規的に稼働を停止に至る。その是非は議論のあることでしょうから置いておき、ともかくも、「空気による統治」のなせる技です。決定が極めて迅速で、速やかに行動に移されました。何の行政・立法プロセスも経ずにです。よく、「法の支配の効かない原子力ムラ」と揶揄されますが、それを包含する日本全体が「ムラ」であって、法の支配を無視した訳です。

しかし、徐々に国民は冷静になり始めます。まさに「空気が変わった」。感情よりも理性が優勢になります。福島第一原発はどうやらコントロールされているようだ。放射能の影響も当初言われていたほどではない。原子力規制庁も機能しているようだ。一方で、燃料輸入により財政赤字が深刻化している。これは、再稼働した方がいいのでは。そんな流れがあります。あれほど盛り上がった毎週金曜日の官邸前デモも過去のものとなり、数々の国政選挙でも原発は主要な争点にならなかったのです。ある意味で、日本国民は絶妙な危機管理をしたことになります。なんという成熟した市民統治でしょうか。

このように三氏の話と原発問題から炙り出されたのは、SNSをはじめとするインターネットが日本をひとつの共同体としての完成度を高め、均質的でインテリジェントな国民が、「空気による統治」と西欧的民主主義をバランスよく使いこなしているという現実です。「義理と人情」に厚い国民性は健在といえましょう。空気を掴んで、流れに乗ったリーダーたちは、夢夢自信過剰に陥らないようにお気をつけ下さい。国民はそんなに馬鹿じゃありませんから。

Nick Sakai
サイト
NPO法人リージョナル・タスクフォース、代表理事

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