韓国の反日トーンが異常に高まってきた理由 --- 長谷川 良

アゴラ

ウィーン大学東アジア研究所主催で韓国動乱(1950年6月~53年7月)の休戦協定締結60年に関する公開講義が11月6日、ウィーン大学で開かれた。講義者は中国問題専門家のスサネ・ヴァイゲリン・シュヴィードルツィク教授、駐オーストリアの趙顕(チョ・ヒュン)韓国大使、ウィーン大学東アジア研究所のルーディガー・フランク教授の3人だ。各講義者はそれぞれの視点から韓国動乱について語った。


最初の講義者、ヴァイリン・シュヴィードルツイク教授は「中国と動乱」というテーマで、「平壌で開催された休戦協定60年集会に中国は李源潮・国家副主席を派遣したが、これは通常のことではない。北京はこれまで共産党使節団を派遣してきたが、今回は政府代表団だった」と中国側の変化を示唆。同時に「中国にとって、1950年6月の動乱勃発が重要であり、1953年7月の休戦協定締結は本来祝うことではないと考えている。中国にとって共産党政権発足1年目に勃発した韓国戦争は対米戦争であり、その前線の北側を支援してきたという認識だ」と述べた。

韓国の趙大使は「韓国動乱のパラドックス」というタイトルで「動乱後、韓国情勢は激変した。それまで国力は北側が有利だったが、動乱後、南北間の国力が逆転した。韓国経済は急速に発展した。韓国の国民1人当たりの所得は今日、約2万5000ドルだ。北側はその13分の1に過ぎない。韓国動乱後、南北間で大きな相違が出てきた。特に、韓国国民は以前の停滞感から脱出し、ダイナミックな人生観に変わっていった」と説明した。

最後に、フランク教授は「イデオロギーに基づく戦争は戦争の中でも最悪だ。韓国動乱は共産主義と民主主義の思想戦争だった。私は旧東独生まれだが、旧東独軍は旧西独に軍事攻撃を行ったことがない。朝鮮半島では同一民族が血を流した。その痛み、恨みを完全に克服するためには新しい世代の登場が必要だろう」と述べ、内戦の悲劇を強調した。

フランク教授は講義の中で「韓国動乱の日本への影響」についても言及した。「韓国動乱は日本の敗戦直後に勃発した。米国ら同盟国は朝鮮半島問題に総力を投入せざるを得なく、日本の戦争責任問題について、じっくりと協議する余裕がなくなった。その意味で、日本は(戦争責任への)義務から早く解放されたわけだ。ここにきて、日韓両国は歴史の問題に直面している」と述べた。換言すれば、対戦後始まった冷戦時代が、日本を過去問題から解放したといえるかもしれない。

韓国動乱の勃発は敗戦後の日本経済の復興に大きな役割を果たしたが、同時に、日本の戦争責任問題について、戦勝国が協議する時間をも奪っていったというのだ。日本の立場から言えば、日本は戦争責任問題ではそれなりに償いを実行してきた。日本軍指導者は死刑にされ、当時としては破格の賠償金を韓国側に払ってきた。日本側からいえば、「戦争責任への義務は果たしてきた」ということになる。

一方、韓国動乱後の韓国は、国際社会に自身の立場をアピールできる国力がなかった。だから、韓国側は、日本の戦争責任問題やその賠償問題は韓国抜きで進められていった、という印象を抱いているかもしれない。それゆえに、経済力が高まった現在、韓国は日本に対してその戦争責任を追及し出したわけだ。日本にとって「解決済みの問題」だが、韓国では「過去問題を協議する時をようやく迎えた」と受け取っているわけだ。

すなわち、日韓両国には、過去問題で認識の相違がある。明確な点は、対戦終了後、70年余りの年月が経過した、という事実だ。時間は、韓国の国力が高まるまで待ってはいなかった。それが痛いほど分かるゆえにか、、韓国の反日トーンはここにきて異常なまでの高まりを見せているのだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年11月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。