ネット販売規制が象徴するアベノミクス成長戦略の危うさ

大西 宏

安倍内閣は高い支持率に支えられ、しかも成長戦略の御旗を掲げて規制緩和を進めると威勢はよかったものの、でてきたものはいずれもが異次元と感じるものはなく、市場関係者を含め、聞こえてくるのは失望の声です。その背景に、官僚や既得権益をもった業界や団体の抵抗の強さを感じます。
しかも安倍内閣を支える閣僚にしても、その抵抗の壁を突破するリスクを取ろうという気概が感じられず、結局は官僚の描くシナリオに落ち着いていくという感じに収まりはじめているように感じられます。日銀による異次元の金融緩和でスタートダッシュしたアベノミクスも、次のギアのシフトアップができないまま、そろそろ賞味期限切れに向かいつつあるようにさえ見えてきます。その象徴が医薬品の一部についての販売規制です。


規制による官僚支配と規制に守られた業界団体の圧力による規制の弊害の壁を破ることの難しさをウォール・ストリート・ジャーナルも指摘しています。

安倍氏は、オンラインの薬局と従来の薬局の区別をなくそうと努めている。大衆薬のネット販売解禁は、同氏が6月に成長戦略を発表した際に言明した具体案の1つだが、安全面での懸念や従来型の薬局によるロビー活動を受けて窮地に陥っている。日本の商取引は先進諸国では撤廃されたような規則に長く縛られてきたが、その自由化につながると安倍氏が主張するような規制緩和が、薬のネット販売解禁をめぐる計画には集約されている。

 発表から5カ月、薬のネット販売を目指す動きは、強力な後ろ盾を持って厳しい規制に守られた業界をこじ開けることがいかに難しいかを如実に示している。

安倍政権、大衆薬のネット販売解禁に厳しい制限 – WSJ.com :

実際、規制をかけられ問題になるのは、医科向け医薬品の一般医薬品への移行した医薬品、つまり処方箋をもらって手に入れる医薬品をお店でも買えるようにしたスイッチOTCといわれる医薬品についてです。わざわざ劇薬の5品目と並べて書くあたりになんらかの意図を感じませんか。スイッチOTCは処方箋の薬として、長年の実績があり、副作用が少ないから店頭で買えるようにしたものです。厚労省は「セルフメディケーション」を進める一環として、スイッチOTCを増やしていく方針です。そのほうが医療費の削減にもつながります。

問題は、元通産大臣の深谷さんが、「薬のネット販売を99.8%も解禁しようと決めたのに、この政府の方針に猛反発している楽天三木谷浩史社長、政府の産業競争力会議の議員を辞める辞めないと騒いでいる」と感情的な個人攻撃をされていますが、数の問題ではありません。あくまで薬剤師による対面販売でなければ安全性は担保できない、ネット販売は安全ではないとし、厚労省の規制の壁を破れなかったことです。それに元通産大臣による感情的な民間人への個人攻撃はいかがなものでしょうか。
胡散臭い三木谷楽天 :

ネット販売規制に関しては、「法律にない禁止規定を省令で定めてはならない」という最高裁判決があり、また安倍総理が成長戦略の具体例の目玉として大衆医薬品のネット販売自由化をうたったにもかかわらず、蓋をあけてみると、あいかわらずこのスイッチOTCには、薬剤師の面接販売を義務付け、ネット販売には制限を設ける方針で、田村厚労相も専門家の意見だと苦しい逃げの答弁を行うばかりです。

安全性チェックなら、ネット販売でもやりようはいくらでもあるはずです。それに店頭で薬剤師の対面が前提となっていますが、実際は店頭で取り扱うためには薬剤師がいなければならないとしてもすでに崩れています。胃腸薬のガスター10などのスイッチOTC薬を購入したことが幾度かありますが、多くの店では普通の店員さんが普通に売ってくれました。

しかし、なぜ日本の医薬品販売に関する規制がガラパゴスで特殊であるにもかかわらず、それを変えようとしないのでしょうか。池田信夫さんが端的に指摘されています。
ここまで厚労省が粘る最大の理由も、現在の医療制度を守ることにある。ここで薬価に市場原理が導入されると、今の社会主義的な医療制度が崩壊するからだ。最高裁の判例を役所が破る非常手段に出たのも、社会主義を守る砦となっている大衆薬の規制を守るためだ。
薬のネット販売規制は「官治国家」を守る砦 : アゴラ

今回の一般医薬品のネット規制でふっと重なってみえたのは、かつてアメリカがベトナム戦争にのめり込んだ背景にあった「ドミノ理論」です。ベトナムが共産主義化すればドミノ倒しのようにアジア全域が共産主義化していくので、この戦線を死守しなければならないという発想です。
スイッチOTCのネット販売を許すことは、さらにそれが引き金となり、ドミノ倒しのようにネット解禁が処方薬にまで広がってきかねないと恐れているのでしょう。それでは、厚労省がジャブジャブとバラマキをやって、街の薬局を処方薬局化させ、厚労省の秩序をつくったことも水疱に帰してしまいます。

医薬品や医療器具は規制撤廃だけでは成長戦略につながらない

アベノミクスの成長戦略で、一般医薬品のネット販売の自由化を安倍総理が高らかにうたったときに、違和感がありました。真剣にとりくんでいらっしゃる三木谷社長には悪いですが、成長戦略というにはテーマとしては小さく、経済効果もたいして期待できません。それに消費者にとっての意味も小さいように感じます。

しかし安倍総理が高らかに宣言したように、分かりやすい規制緩和でした。それに規制を残すことは、東京財団研究員の石川さんが書かれているように、「医薬品ネット販売規制緩和が成長戦略の目玉であることへの評価はさておき、少なくともそうであれば、「3年間」は成長戦略の目玉が開眼しないと思われても仕方ない」のです。
医薬品ネット販売 ~ 見誤っている規制緩和の落とし所 – 石川 和男 :

もちろん、離島や都市部から離れたところに暮らす消費者ならネット販売の恩恵も受けることができるでしょうが、それよりも24時間営業のコンビニで一般大衆薬を販売できるようにしたほうが多くの消費者にはメリットがあります。

しかし、厚労省は、なにの意味があるかよくわからない登録販売者制度を2009年に導入して、コンビニでの販売を規制したのです。なにを勘違いしたのか、ローソンの新浪社長がはしゃいでそれを持ち上げたこともあって、コンビニでも販売できるようになったとマスコミまでが錯覚し、はしゃいでいたことを今でも覚えています。ローソンはいまだに諦めていないようですが。24時間登録販売員をお店に置いてコンビニが成り立つめどが立ったのでしょうか。
厚生労働省に乗せられたマスコミ? :
ローソン、医薬品扱うコンビニ3000店に 5年後 :日本経済新聞 :

確かに医薬、医療機器、さらに医療システムは潜在市場が大きく、また世界が高齢化に向かうなかでは有望な成長分野です。しかも高度化すればするほど、膨大な研究開発費、また高度な知識の蓄積が求められるので、途上国が一朝一夕で真似をすることができない分野です。それだからこそ、いずれの分野でもより高度な新薬開発や医療機器またシステムの国際的な開発競争が激しいところです。そのことは誰もがわかっていることだと思います。

政治家も厚労省の官僚もよくわかっているのことなので、成長戦略のなかの重要分野としてかならずペーパーには登場してきます。

医薬品の自由化は、消費者の利便性をあげたり、薬価を下げる効果は望めますが、成長戦略というのなら、どちらかというと開発力を高めることのほうが重要になってきます。
しかし、この分野は安全性の問題もあって、安全性の審査を抜きにすることができません。その審査を担っているのも厚労省です。

しかし、日本はその審査体制が極めて弱いのです。アメリカで審査や規制を管轄しているのはFDAですが、いちはやく軸足を規制から審査体制の強化に移行させています。日本では、規制があまりに厳しいので規制緩和に関心がむいていますが、開発支援体制の強化についてはあまり話題になっていません。

他の分野は別として、この分野での成長戦略というのなら、研究開発をサポートする審査体制の強化がもっと強調されてもいいのじゃないかと感じます。医療の高度化と安全性を両立させるのは欠かせないところです。

現在日本で審査を行っているのは厚労相直轄の「医薬品医療機器総合機構」ですが、総合機構全体で292名(2005年)です。
独立行政法人 医薬品医療機器総合機構 : http://www.pmda.go.jp/index.html
しかし、アメリカのFDAの審査機関CDERは2,237名の陣容で、一桁も違うのです。いくら審査のしかたが異なるとは言っても、これではスピードと慎重な審査の両方が求められる審査体制としていかがなものかということになります。体制が脆弱なために情報公開体制についても大きく遅れをとっているようです。ちなみに、FDAでは審査官もホームページで連絡先まで公表するほど徹底しています。
Organization Charts > Office of Foods and Veterinary Medicine Organization :
日米の違いについては、日本製薬工業協会医薬産業政策研究所の研究レポートに詳しく書かれているので興味のある方はそちらを御覧ください。
「日米の新医薬品の承認審査に関する比較」(PDF資料):

日本のこの重要な成長分野の研究開発を支える体制が貧弱であることぐらいは、政治家も官僚もわかっているはずです。しかしそういった基礎を固める大胆な構想は打ち上げられないし、実行にも移されません。
レポートのなかで興味を引いたのが日本の審査官OBに対するインタビュー結果です。審査官の増員が進まない理由が、4点あげられています。
・人事システムが官僚的で硬直的であること
・審査官経験後のキャリアパスが不明確であること
・職場や職業としての魅力が乏しいこと
・予算が足りないこと
いずれも、本気で取り組めば解決できることばかりです。しかし実際には進みません。厚労省が現状を守ることには必死でも、前向きなことでも新しいことは、やる気がないという荒涼としたものを感じますが、それも政治家のリーダーシップの不足といわざるをえません。

医薬品のネットの自由化にしても、こういった成長を支える仕組みづくりに関しても、官僚も政治家も怠慢だといわれてもしかたないのではないでしょうか。