プロシクリカリティと政府の大きさ

森本 紀行

危機における政府の役割は、大きくなっている。経営危機に陥った金融機関への巨額な資本注入は、世界的に、政府の金融政策として、常態化してしまっている。米国の自動車産業救済のように、巨大企業の経営危機に政府が介入することすら、もはや、珍しくない。


1980年以降の米国や英国の基本政策は、「小さな政府」と市場競争原理の徹底化の二つであったはずである。しかし、市場競争原理の徹底化は、結果として、プロシクリカリティ(不均衡の累積過程)の暴力的な力を生み出してしまって、市場の自動調節作用では修復し得ない危機を現出さるようになった。

その危機を救済するのは、結局は、政府しかないというわけである。要は、「小さな政府」を志向し、市場経済に占める政府の役割を小さくしようとしてきた結果が、最終的には、強力な政府の力の必要性に帰着したということである。

実は、このような背景を意識した故だと思われるが、オバマ大統領は、2009年初頭の就任演説のなかで、政府の「大きさ」に触れている。いわく、「今問われなければならない問いは、政府が大きすぎるか、あるいは小さすぎるかということではない、そうではなくて、政府が機能しているかどうか(whether it works)だ。即ち、政府は、各家庭を支援して、まともな収入での仕事、手の届く保障制度(care they can afford)、尊厳ある退職後の生活を得られるようできるかどうかだ」というのである。

一方で、オバマ大統領は、市場原理が有益かつ有効であることを、同じ演説のなかで明言している。この意味は、おそらく、市場は機能しているし、その機能は、これまで通り拡大させなければならないが、政府も同時に機能しなければならない、ということではないのか。また、オバマ大統領は、市場を監視する必要性も述べている。市場の監視も、政府の機能だと思われる。

市場に替わって政府が機能するのではなくて、市場が正しく機能するように、政府は市場を監視し、適切な介入もしなければならない、そのような至極当然のことをオバマ大統領はいっていたのであろう。

では、政府はどのように機能すべきなのか。それは、危機における大胆な経済金融対策である。我が安倍総理大臣は、まさしく、そういうお考えで、行動しておられるのであろう。結果として、政府が更に大きくなってしまうことは、仕方ないと考えるべきか。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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