庄や過労死裁判から見える社会保障問題

2013年11月23日 11:35

従業員3000人超、東証一部上場企業で起きた過労死事件の裁判で今年9月、当該企業の役員個人に賠償責任を認めた判決が確定した(「庄や過労死裁判、「残業100時間は一般的」と主張の会社、長時間残業しないと給料減」参照)。 

今回は、この事件を元に、働き方と社会保障問題の関係を考えてみたい。


事件の経緯

この事件は、居酒屋チェーン「日本海庄や」を運営する大庄の新入社員だった吹上元康さん(当時24歳)が、入社5カ月目の2007年8月、就寝中に急性心不全を起こして過労死した事件である。

判決は、元康さんの死亡前4カ月間の総労働時間は1カ月平均276時間で、時間外労働は平均112時間だったと認定した。この時間外労働は、過労死ライン1カ月80時間を大きく超えている。

以下、上記引用記事を要約しよう。

当時、同社ウェブサイトの新卒採用情報には、初任給19万4000円と記載され、就職情報サイトでも同様だった。ところが、元康さんが入社してみると、月給は19万4500円で採用情報より500円多かったが、その内訳は、基本給12万3200円+役割給7万1300円だと説明された。役割給が80時間分の残業代のことだったことも判明した。つまり、残業を80時間しないと、役割給7万1300円は満額支給されず、実際の月給は12万3200円だったのである。 これは最低賃金と同等であり、コンビニのアルバイト代以下である。 実際、大庄の新人研修では、最低賃金で一月300時間働け、と言われるという。

裁判では、 これらの状況から、長時間労働について取締役らは認識していたか、極めて容易に認識できたにもかかわらず、問題を放置し、その結果生じた元康さんの死亡に対して、役員の賠償責任について定めた会社法429条1項に基づき、役員は個人として責任を負うと認定した。

賃金の低下が雇用を生まない構造

まず、普通の経済学の論理では、給与を下げると雇用が拡大するはずだが、この場合は成り立っていないことに注目すべきだ。つまり、この場合、残業を全くしない場合の給与は12万3200円(時給換算で大阪府の最低賃金と同額)であり、これだけでは生活が成り立たないレベルの給与であるために、社員を増やして、残業を少なくするという選択肢は存在しない。 長時間残業を前提としたビジネスモデルになっている。

城繁之氏の言う様な「解雇規制を緩和すれば、残業も減り、有給休暇も取り易くなる」という論理は、この場合には成り立っていない。 

この問題の本質は、日本の基幹産業である製造業が、新興国との競争により疲弊し、溢れ出た人材が、サービス産業に流れ込んだために、サービス業の過当競争が起きているということだ。 

今回取り上げた、大庄の過労死のケースでも、大庄が従業員の残業を減らし、残業しなくても暮らしてゆけるだけの給与を払えば、競争力は著しく低下するだろう。つまり、会社としては資本主義の論理に従って動いているだけなのだ。今回の事件は、こうした社会情勢が生み出した悲劇だと言えるだろう。つまり、給与をここまで下げないとやってゆけないほど社会が疲弊しているということだ。    

多くの経済学者の方々が言われるように、解雇規制を緩和して、人材の流動化を図ることは重要かも知れないが、少なくとも現在のところ、その受け皿となるべき新規産業は全くと言ってよいほど見えていないし、冷静に考えれば、あったとしても高スキルが要求され、多くの雇用を生み出すことはないだろう。 

従って、今後、低賃金で働く人が増えることはあっても減ることは考えられないし、雇用も増えない可能性が高いだろう。  

企業と政府との負担の押し付け合い

アゴラでは、城繁之氏を筆頭に、「厚労省の官僚は、新卒で入った会社で長期間働くことこそが人としてあるべき正しい働き方だと思っている」といった論調が盛んに繰り返されている。

しかし、私が思うに厚労省の官僚は、「正社員こそ正しい働き方である」とは、これっぽっちも思って居らず、彼らが心配しているのは、社会保障の持続性なのではないかと思う。

非正規雇用が拡大し、低賃金労働者が社会のマジョリティになると、基礎年金の掛け金を払わない人が増える。また厚生年金の持続性も怪しくなるだろう。 生活保護も増加する。 将来的には無年金者が激増する可能性が高い。 非正規雇用が増加すると、社会保障が不安定化するのだ。資本主義の論理を貫徹し、企業利益を追求すると、社会保障費が増大する。

今まで、福祉の一部を企業が負担していたのだから、それを国が肩代わりしろ、というのは理解できるが、要するに、これは社会保障費を誰が負担するのか、という問題なのだ。

社会の安定維持には負担増が必要

前記事で書いたように、現在の状況は、天井の低い温室で、背の高い樹を育てているようなもので、資本主義の前提である経済成長は物理的制約のために不可能になりつつある。「自由競争が成長を生む」といった状況は失われ、「生き残りを賭けた競争に追い立てられている」というのが正しい。 経済格差は拡大し、それを無理やり押しとどめようとすれば、企業が競争力を喪失する。 

こうした状況下では、競争の敗者を社会が包摂する仕組みを整備、維持しなくては、社会が立ち行かない。格差問題の先進国アメリカでも格差問題は見過ごせなくなっており、日本もその後を追っている。実際、アメリカのジニ係数は、社会が不安定化する目安である0.4に近くなっている

日本では、まだアメリカほど格差問題は深刻ではないが、深刻な社会不安を生まないためにも、社会保障の持続可能性を担保するために、大幅な増税が必要ではないだろうか。 

法人税を下げたり、解雇規制を緩和したりして、企業を活動し易くするのであれば、それに見合った負担増が必要だ、ということだ。  

このまま負担増を嫌がっていると、財政破綻が起きて、企業も国民も不幸になる。 

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