国家安全保障と「表現の自由」のバランスをどうするか? --- 東猴 史紘

2013年11月24日 15:30

(1)今、注目されているNSC法案と特定秘密保護法案

日本の外交・安全保障の司令塔となる国家安全保障会議(以下、日本版NSC)創設関連法案が衆院を通過した。

この日本版NSCは諸外国との軍等と機密情報を共有するため、その情報を保全する目的から公務員の情報漏洩に罰則を強化する特定秘密保護法案(以下、保護法案)をセットにし閣議決定、衆議院で審議入りした。


与党だけでなく維新の会や民主党など野党も賛成した日本版NSC法案とは違い、保護法案はほぼ全ての野党が現状では反対している。

保護法案が「知る権利」「報道の自由」「取材の自由」といった表現の自由(憲法21条)などを侵害する法案ではないかと疑問の目を向けられているのである。

国家の安全の保障と、表現の自由のバランスはどう取ればいいのか?
ここで改めて考えてみたい。

(2)国家の情報を保全する試みは今回が初めてではない

まず、この保護法案は外交や安全保障等4分野の情報を秘密に特定し保全しようという試みであるが、こういった試みは今回が初めてではない。廃案となったが約20年前にも自民党政権が国家秘密法案として成立を目指していた。

2001年の米国同時多発テロ後には、自衛隊法に防衛秘密保護規定が新設された。また、2007年には日米間の軍事機密漏洩を防ぐGSOMIA(軍事機密包括保護協定)も締結されている。

また、前民主党政権では「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」が組織され、2011年の8月には秘密保全法案を速やかに整備するべきだという中身の報告書もまとめられている。

つまり、国家の安全保障のために情報管理を徹底させる法整備に向けた試みはここ20年以上続けられており、安倍政権に交代してはじめて生まれた議論ではないし、表現の自由との関係をどうするかといった議論もその都度起こっている。

(3)確かに問題が多い特定秘密保護法案の中身
保護法案の全文を読んでみたが、確かに問題が多い。

まず、第1点目として国民主権の立場から問題となる。国民主権とは国民が国の政治に対して最終的な決定権を持っているということである。その主権者たる国民に国家が秘密を有することが許されるのかということだ。特定秘密に特定される数が多いほど国民が国政に対する正当な判断ができなくなる。

第2点目として表現の自由(憲法21条)に含まれるとされる、知る権利と報道の自由、取材の自由を侵害する可能性も大きい。保護法案は情報漏洩した公務員の罰則を強化するだけでなく、報道側の取材行為に対しても正当手段ではない場合は同様に罰則が設けられるからである。

知る権利は国民が国家機関から情報を引き出す権利であり、一方的に情報を受け取る立場にしかない国民が、情報の公開を要求し国政の是非を判断するためにも重要な権利である。

報道の自由は国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に資する権利である。取材の自由は報道の自由を前提として、情報収集する活動する自由だ。

これらの権利は国民こそが国家の主権者であるためには、情報公開を請求しても特定秘密は公開できませんという情報が多すぎてはいけない。

(4)しかし全ての情報を公開して本当に国民の生命、安全を守れるのか?

とはいえ、逆に知る権利などの表現の自由を主張を強めすぎ、全ての情報を公開するよう求めていくことが本当に国益にかなう事なのだろうか。それで本当に国民の生命、安全を守れるのだろうか。

情報公開法がプライバシーに関する情報は公開できないようになっているように、やはり安全保障上差し迫った危機に対処するために情報を一時、公開しない状況も当然にしてあるだろう。公務員にしても「漏らしちゃダメなものは、ダメ」といった一線があるはずだ。

保護法案を批判するときに引用されることが多いのが、ツワネ原則(国家安全保障と情報への権利に関する国際原則)であるが、実際に読んでみると冒頭で安全保障のために情報を制限することはきちんと認めている。

(5)国家安全保障と表現の自由のバランスを取るために必要なこと
つまり、重要なのは国家安全保障と表現の自由のバランスだ。では、国家の安全保障を護りながら、国民の表現の自由をも守るという2つの天秤のバランスを取るために必要なオモリは何だろうか。

米国みたく与野党国会議員への秘密会導入か、監視体制の強化か。必要なオモリは色々考えられるが、最もバランスを良くするオモリは「特定秘密といえども、将来的には原則公開される」ことではないか。

保護法案は秘密指定を5年ごとに見直し、30年を超える場合は内閣の承認が必要としている。米国でも秘密指定期間はあるものの、その期間を超えると原則公開である。英国などでも同様だ。

つまり日本が参考にしている国でも、国家秘密は一時的に公開しないという選択肢を政府に与えるものの、一方で時間が経てば国民やメディアにも公開して検証を受けていく形になっているのだ。

現状の保護法案ではそのような形にはなっていない。永遠の秘匿が可能となってしまう危ない形となってしまっている。

そうならないためにも、国家安全保障と表現の自由のバランスを、「安全保障の観点から一時的に秘匿にするが、将来的には原則公開する」ことによって保つことが必要だ。

東猴 史紘
元国会議員秘書
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