AでもBでもなくCを発想するThink Slowのオススメ

大西 宏

智に働けば角が立つ情に棹させば流されると言われるように、実際、人生でも、仕事でも「あちらを立てればこちらが立たず」になってしまう問題がつねに発生し、なにかの決断がもとめられものです。トレードオフの関係といわれています。
AかBのいずれかを選択するか、いずれも保留して決定のテーブルから外すかですが、もうひとつの決定の戦略があります。新たなCという選択肢を考えだしてそれを選ぶことです。

案外、それが大切じゃないかと思うのですね。

それは、第一に最初に見えてくるAとかBとかの選択肢は、本質的でないことが多いからです。それに世の中はもっと複雑な世界で、AかBかの選択しか思いつけないとか、場合によって結論も変わることを想像できない時点でもうアウトじゃないかと感じます。

なぜこんなことを書きだしたかというと、最近それに関連するようなネタでブログでの論争があったからです。

まずは、お面をかぶって顔出ししないことが方針らしい、ちきりんという女性が、「大企業のほうが成長できるとか完全にウソ」とブログに書いたのです。それに広報コンサルタントの新田さんという方が猛反発して、まずは第一ラウンドが開始されました。
なにか論争する意味があるのかなと感じるのは、ちきりんさんも「大企業のほうが成長できるとか完全にウソ」というのはウソだとわかっているはずです。ケーズバイケース、人によって才覚の問題とか、適不適があり、またチャンスの有無とかがあり、一概に言えない問題だとわかっていなければ、単に思い込みの強いオバサンというだけのことになります。それでもあえてAだとするのがキャラなのでしょう。

そういうポジション取りをして、読者の皆さんとの頭のゲームをやっているのだから、それは違うのじゃないかとまともに反論するとのもなにかなあと感じていたのですが、また第二ラウンドが勃発しておりました。

いやはや面白いですね。どうもちきりんという女性が挑発したらしいのです。
一番つまらないのは、
「Aともいえるが、Bともいえる」
みたいな意見です。

それは、そもそも“意見”なのか? って感じです。だって、何一つ考えなくても言えるし、5歳の子でも言えるじゃん。

ちきりんさんからすると、ケースバイケースで選択のあり方が変わるとしたり、「AともいえるがBともいえる」という言い方は、煮え切らなく、決断できない人の典型的な態度に見えるのでしょう。

おそらくこの論争にはちきりんさんに分があります。

正しいからではなく、スパッと断定し、潔い結論を示すことはいかにも決断力があり、カッコよく映るからです。そちらのほうがウケる、それだけのことです。

それに反論があれば、それを主張し、ディベートによって決着をつければいいじゃないか、それのほうが論理というか筋が見えてくるところも匂わされていて、正論だと感じさせるテクニックも駆使されています。

しかしそういった思考には罠も潜んでいます。

なぜなら、おうおうにして、焦って決めることは、まことに浅はかな選択となってしまうことが多いからです。

なぜ曖昧な立場を取るよりも、ちきりんさんは、Bと反論するほうがましだと書かれているのでしょう。それはAもBも最良の選択ではなく、きっと互いに別の解決方法を気付けていないということが暗黙のなかにあるからでしょう。絶対自分が正しいと自信のある人はそうそういません。

それなら、すこし考えることを休んで、最初からCの発見に集中するほうが楽しくもあり、また意義も感じます。つまり視点を変え、Cを発見することへのオススメです。

「価格が高いから売れていない、だからコストを削って値下げしよう」、いや「商品力が落ちてきているから、価格を据え置いて新しい機能でアピールしょう」で、どちらを選択するかの議論で終わっていたら、ビジネスは進化しません。双方の意見から推察すれば、「市場そのもの、製品概念そのものがもう魅力を失ったのかもしれない」のだから、「製品コンセプトから見なおしてみよう」という選択も当然あるわけです。

どうも日本の家電などの失敗を見ていると、新しい視点や新しいコンセプトを生み出すという選択よりも、目の前の市場変化にどう対応するかから、生き上がってくるAかBの選択、またはいずれもを追いかけてきたことがたたったのではなかったのかと感じます。

それこそ仕事内容や、立場によっても異なるでしょうが、AでもBでもなくCを発想しようとする思考の戦略「Think Slow」もオススメしたいところです。

肩のちからを抜いて、視点を変え、やわらかに発想しようとすることで、また違った世界が見えてくるのではないでしょうか。