「鵜飼いビジネス」に「愛」はない --- 岡本 裕明

アゴラ

起業する目的が金稼ぎや格好良さだとしたら成功しないと私は何度もいい続けてきました。ビジネスにはパッションをもって体当たりすることが重要だとずっと信じています。外資は苦しい会社を見つけては買い叩き、安値で取得し、それを高値で売り抜け、儲けてバイバイし、抜け殻になった日本の企業を見て同じ日本人がこれを真似てもらいたくないといつも思っています。


たとえば東京の私鉄である西武鉄道やプリンスホテルを経営する西武ホールディングスは日本側とアメリカサーベランスの熾烈な戦いが続いています。一時の険悪なムードでサーベランスの一方的なプランの発表が日本の世論を賑わせたのは金儲けのためなら経営効率を高め、それにより不便が生じようが構わない、という姿勢そのものでした。それはすべてが金だけで判断される経営を知らない者のつまらないプランだったといえます。

JALの再生は稲盛和夫氏がほとんど何のメリットも求めず愛を注ぎ込んだから出来た技であります。もしもアメリカの事業再生会社がJAL再生を担当したとしたら徹底的な不採算路線のカットでひょっとしたらアメリカの航空会社の傘下に押し込むぐらいの感覚で望まれていたでしょう。つまり、金と効率のためなら非情そのものなのです。

ところがアメリカで経営学を学んだり少しかじったりした若手ビジネスマンにはこの金と効率に陶酔してしまっているきらいがあるケースもまま見受けられます。勿論、私は北米で20年以上にわたりビジネスをしていますから北米流のビジネスを批判し、浪花節のやり方に戻ろう、などとはひとつも思っていません。アメリカ式のビジネスはドライであり、感情を殺すという特徴を知っての上で日本企業としてそれを生かす部分と捨てる部分を理解することが大事なのです。日本のやり方には経営的に多くの素晴らしさを持っているのです。

私が起業独立する前、アメリカのあるゴルフ場事業の再生を担当していました。数年努力したものの収益が水面から顔を出すことはなく、密かに売却が決定されました。従業員に売却を発表する日、社長は「俺は(発表会場に)行かない。お前、一人で行け」といいます。理由は従業員が暴れ、刺されたら困るからと冗談とも本気ともつかないことを言われたのです。

何十人という従業員を前に突然の発表をするに当たり私はビジネスへの愛を訴えました。「我々はこのゴルフ場再生のために努力を惜しんだことはない。だが、親会社から売却の引導を渡され、我々雇われの身としては残念ながら力が及ばなかった。申し訳ない。だが、皆さんの雇用は新たにこの事業を引き継ぐ会社が最大限の努力をして面倒見てくれることになっている。皆さんと一緒に仕事できたことを誇りに思う」という趣旨だった記憶があります。

スピーチが終わった瞬間、大きな拍手がわきました。カナダに戻った私に社長は「刺されなかったようだな。」とつぶやかれました。

もしも経営側と従業員がお金だけの関係であれば仕事は受身で何の想像力もわかないでしょう。マネージャーがスタッフを追い回す、まるで「鵜飼と鵜の関係」になってしまいます。そんな雇用関係でよい仕事が出来るでしょうか? 経営陣がどれだけすばらしい経営能力を持っていたとしても従業員末端までに仕事をする悦びは伝わるのでしょうか?

欧米は奴隷という歴史を過去に持っています。それが大きく形を変え、経営と従業員の関係に繋がっています。つまり、ヒエラルキーと上から目線がそれを支配します。ですが、日本はチームという形、社長が現場に率先して出て行くという熱意があります。刑事ドラマを見ていて「現場百回」という言葉は何度も聞いたことがありますよね。ビジネスも同じで現場に行かないとわからないことは非常に多いのです。更には社長と平社員が飲み交わすという仕組みを作っている会社もたくさんあります。その中で従業員は少しずつ、仕事に愛を感じ、一体感を作り上げるのではないでしょうか?

勿論、効率は大事です。しかし、あまりに数字に捉われすぎていると見失うものが出てくるようなこともあるのではないでしょうか?

今日はこのぐらいしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年11月29日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。