大学は教育環境を提供するところ

2013年12月06日 10:47

松本徹三さんの大学教育に関する記事に違和感を感じたので、書いておきたいと思います。 

松本さんの記事は、大学が学生を訓練し教育する機関という視点で書かれているように感じますが、これは誤りだと思います。 なぜなら、大学は、教育環境を提供するだけで、学生が自ら学習するところだからです。


授業は非効率的な勉強法

授業で伝えられることなど、僅かな分量でしかありません。例えば、私の半期分の講義録は、A4版で40ページほどしかありません。 授業は実はお話にならないほど非効率的な勉強法なのです。

自分の大学生活を振り返ってみると、大学の授業自体は全然記憶に残っていなくて、自分で読んでいた本のことしか思い出せません。 授業は、自分で学習したことの確認程度にしかならず、大部分の時間、図書館で勉強していたように思います。

それでも授業が必要なのは、学生が自分で学ぶための、切っ掛けを作ったり、知識や理解の確認のためで、授業を聞いたり、課題を提出しているだけで、体系だった学問が身に付くことは、あり得ません。 

ネット上に公開されている授業を聞いているだけで、何かが身に付くというものではないわけです。

一番効率的な勉強法は、自分で教科書を読むことです。 この方が遥かに効率的です。  

大学生活で大事なのは切磋琢磨

このように授業は、大学での学習の極一部でしかありません。大学は、誰かに教えてもらうところではなく、自ら学ぶところなのです。 大学は、お仕着せの学問を教えるところであってはならない、自分の進むべき道を模索するところであるべきでしょう。 そのためには、自分の能力や適性を見極めることが何より大事です。

そこで大事なのが、大学での人との出会いです。

たとえば、理学部に進学しても、学問の道を究める人は極僅かです。大部分の人は、研究以外の道に進み、その進路は実に多様です。 

例を挙げると、私の大学時代の数学科の同級に、古川昭夫さんがいますが、在学中に数学教育の実践を始め、現在ではSEGという科学教育グループを率いています。 変わったところでは、数学科の卒業生には、経済学者になった郡山幸雄さんもいます。郡山さんの場合は、児玉君という天才的なクラスメートとの出会いが、自分の進路を決める契機となっています。このように、大学に進学し、優れたクラスメートに出会うことは、授業よりも遥かに大きな影響を及ぼすことがあります。

自分の大学生活を振り返っても、大学入学してすぐにクラスメートがポントリャーギンの「連続群論」を読んでいることに驚いて、自分が如何に井の中の蛙かを思い知らされました。また、演習の時間に自分が分からない問題を、さっと解いて、颯爽と解説するクラスメートや、それを詰まらなそうに聞いている助手の先生にショックを受けました。 

少人数のゼミや演習は、大学の教育では一番大事な部分です。ここでは、個人個人の能力は丸裸になるので、自分の立ち位置を確認するのに非常に有用です。

一つの価値観に縛られることなく、自分の適性を見極められれば、自ずと自分の進路も決まってくるでしょう。 

大学という環境を利用しよう

一番大事なのは、自分を見つめ、自らの頭で考えて、行動することです。大学が自分に何かを与えてくれるのを期待するのではなく、大学という環境を利用するという姿勢で勉強することが、大事ではないでしょうか。  

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