教養は無価値だ ~レベル1の勇者としての自分~ --- うさみ のりや

2014年01月06日 13:07

あけましておめでとうございます。新年初のブログ更新です。

年末から年始にかけて、時代がどのように変わっているのか、その中で自分がいかに生きるべきか、など自己分析をしつつ考えておりました。

自分の立場から考えても、能力から考えても、また経歴から考えても、私はいわゆる「知識人・教養人」というものに当てはまるように思えます。過去を振り返っても国立大学目指して一生懸命色んな科目勉強しましたし、大学でもあっちこっちの授業に顔を出しましたし、社会人になってからも法律を作ったり、研究開発プロジェクトを担当したり、部分的ながら国際交渉というものを体験したり、まぁわりと幅広い経験をしてきました。そんなわけで幸か不幸か、普通の人よりは文理政経問わず幅広い分野に対する知識及びそれに対する理解力、すなわち「教養」と呼ばれるもの、を身につけたように思えます。

逆に言えば、焦点を当てて何かを極める、ということを怠ってきた人生でありまして残念ながら私はジェネラリストであり「専門知識」というものを持ちません。これは大変悩ましいことです。「世の中が知識経済と化している」ということがしばしば指摘されますが、この場合の知識というものは「幅広い分野に適用できる教養」ではなく「ある局面において有用な専門知識」、現代の場合より端的に言えば「コンピューターを使って何らかの価値を生み出す知識」、をさしています。SEならばプログラムを書くでしょうし、アニメーターなら映像を制作し、デザイナーならば設計し、ミュージシャンなら音楽を作り、医者ならば診断し、薬学者ならば創薬し、金融屋ならば資産運用プログラムを作るという具合です。

高度経済成長などと呼ばれたIT化以前の時代はプレス機器や旋盤やタイプライターや印刷機などの単用途で専門化された複数の機械を運用できる汎用的な人間(いわゆる勤勉で優秀な労働力)が重宝されたわけですが、今日においては汎用的なのはコンピューターで専門化されるのむしろ人となっています。つまり専門知識とは汎用化された機械に息吹をあたえる経営資源そのものです。そして一度プログラムとして転嫁した専門知識は急速に人間が介在せず広まっていき、アップデートを重ねるたびに専門性を増して複雑化していき、複数の分野の専門家を兼ねるということは事実上不可能になっている。

こういう時代にあって教養とは何を意味するのかというと「役に立たない中途半端な知識の集合体」に過ぎないわけで教養は経営資源として陳腐化しています。新聞が儲からないのはネットに取って代わられたからではなく、教養自体の経営資源としての価値が著しく落ちているからなのでしょう。新聞が儲からないようにITメディアも儲かっておらず縮小均衡に過ぎないわけで。現代において教養は「よく分からないことを面白く説明してもらえる能力」というエンターテイメントとしての価値しか有しておらず、知識人と芸人は同じくくりで見るべき存在になっているように思えます。池上彰氏が評価されるのは、教養はエンターテイメントである、という本質を良く理解しているからなのでしょう。

そんなわけで「何でも分かるが、何にも出来ない」という教養人は産業界ではどんどん不要とされ、学会にしがみつくか、政界に居場所を見つけるしか無くなっている現状です。教養人の最たる例として専門知識と一般社会との関係を研究する文系の博士課程修了者の悲惨な運命は見るに耐えません。(文学専攻の無業者率は65.5%,死亡・行方不明率は25.8%、法学・政治学専攻は,無業者率56.5%,死亡・進路不明率29.2%)

_2012_8_30_教養人の運命

(http://tmaita77.blogspot.jp/2012_08_01_archive.htmlより)

自分がこのような社会の中で「教養人」としてどのようなポジショニングを取るかということは大変悩ましい問題だったのですが、数年間を経て漸く一つの結論を得つつあります。それは「教養人は専門家を使う立場にまわるしかない」というごく当たり前のものです。良く言えば「広い視野から蛸壺に入りがちな専門家が向かう方向性をディレクションする」ということですし、悪く言えば「専門家に寄生して利益をかすめ取る」ということです。いずれにしろ教養自体に価値はないのだから、行動によって専門家が活躍する機会を起こすしか無い、という点で共通しています。

これはドラゴンクエストにおける勇者の立場に近いように思えます。勇者はなぜ魔王を討つ旅に出るか、というと勇者はそこにしか自分の居場所が無いことを理解しているからなんだと思います。力では戦士に負け、攻撃魔法では魔法使いに負け、回復魔法では僧侶に負ける。そのような人材は悲しいことに専門化され雇用が流動化した世界では必要とされない。仮に勇者がルイーダの酒場にいたとしても必要とする人はほとんどいない。その厳しい現実を理解しているからこそ勇者は、「魔王を打つ」というビジョンを掲げて、王様から立ち上げの資金を引き出し、情報を集めて旅を先導し、専門化した各人を指揮して戦い、そして何よりも資金配分を決めるのでしょう。勇者の仕事の価値はスキルではなく、意思決定のリスクを背負うことにあります。

ドラゴンクエスト3

そんなわけで自分は勇者として生きる覚悟をしました。勇気と教養とビジョンだけで生きていくつもりです。さしづめこのブログはアリアハンというところです。今年も一年コツコツとここで情報屋としてレベル1からレベル上げをしたいと思います。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2014年1月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。


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