日本は“追従外交”から脱皮せよ --- 長谷川 良

2014年01月06日 13:14

ヘンリー・キッシンジャー氏(米元国務長官)が「外交は国益を守ろうことだ」と端的に述べている。その通りだろう。国際平和実現を憲章とする国連の外交舞台も加盟国間の国益外交の場である点では何も変わらない。国益を無視、ないしは犠牲にして他国のために行動する外交官はほぼ皆無だろう。


安倍晋三首相の靖国神社参拝では、中国、韓国、そして米国から批判の声が届いている。中韓の批判は想定内だろう。両国の批判は自国の国益を露わに表現したものだ。特に、中国の反日は国内問題への批判をかわすため国民の愛国心を鼓舞する狙いがあるはずだ。日本人国民にとって、少し驚いたのは同盟国と信頼ししてきた米国がケネデイー駐日大使を通じて「失望した」というメッセージを発信してきたことだ。日本国民こそ米国の姿勢に少なからず「失望」したわけだ。

ただし、米国の参拝批判も国益主導外交の例外ではない。アジア地域で覇権拡大する中国を刺激したくない、といったオバマ政権の対中政策に基づくものだ。ただし、小泉純一郎首相が靖国神社を参拝した時、米国は黙認していた。その意味で米国の靖国神社への立場は一貫性がない。誤解を恐れずに言えば、「靖国神社の参拝など米国にとってどうでもいい」わけだ。時の政情次第でその対応を変えるのはそのためだろう。

首相の靖国神社参拝を批判する日本のメディアや知識人たちは「首相の靖国神社参拝は日本の国益に反する。国際社会から孤立させる」と批判するが、ここで考えてもらいたいのは、外交は決して国際社会の総意に同調することが即、国益を守るわけではない、ということだ。なぜならば、国際社会は自国の国益堅持を最優先する加盟国が集まった集団に過ぎない。状況が変われば、彼らの政策も変わるのだ。

もちろん、国際社会の総意に反する政策や行動はしんどいことだ。日本は戦後、大国・米国の外交の後ろにあって、米国に従えば良かった。だから、独自外交を開発するチャンスもなかった。安全な岸に立って、「平和外交」「平和憲法」と叫んでいれば良かった。しかし、いつまでもそれでいいということはない。冷戦時代は終わり、グローバルな世界で、米国の国益がいつも日本の国益と一致する保証はなくなってきたからだ。

そこで戦後から続いてきた米追従外交から脱皮し、独自の日本の国益に合致した外交が求められてきた。その意味で、安倍首相の靖国神社参拝は絶好の機会だろう。靖国神社参拝後、日本が不戦の決意、国際社会への協調などを述べた安倍首相の談話を世界に発信、伝達すべきだ。これこそ現在、求められている日本の外交だ。すなわち、世界に日本の考えを積極的に発表し、その同意を求めることだ。

独自外交を展開するなかで相手国の真意を把握、必要ならば修正するなど試行錯誤はあるだろう。しかし、日本がいつまでも追従外交を続けている限り、日本が国際社会から真の認知を受けることは難しい。安倍首相の靖国神社参拝を日本外交のパラダイム・シフトの時として利用すべきだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年1月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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