長州の神社?靖国--軍の形を考える

2014年01月08日 00:05

靖国の成り立ち–「山口県人会の東京の氏神様」?

Yasukuni-jinja_100安倍晋三首相の靖国参拝問題で、なぜこの神社にてこ入れするのか、私は不思議に思った。(「英霊は餓死、自殺攻撃をさせられた」)理由の一つとして、某社の政治記者とのメールのやり取りで、なるほどと思う指摘があった。(写真は靖国神社の大村益次郎像、以下写真はWikipediaより)

「『靖国は長州の色が強い。西郷さんは祭られていない』と二階堂のじっちゃんに教えてもらった。『靖国は山口県人会の東京での氏神様だ。松蔭先生もいる』と山口の政治家が言ってた。そこから説明できるのでは」。


二階堂進(1909-2000)は鹿児島士族出身の政治家だ。田中角栄政権のナンバー2で、官僚嫌い、つまり明治以来の日本政府を懐疑的に見る自民党の党人政治家だ。また安倍首相は旧長州の山口県選出の議員で4代の政治家を出した士族の家の人、母方の祖父は岸信介元首相だ。

歴史に詳しい人が見ると、確かに靖国神社は長州の痕跡が多い。明治陸軍は初期の軍政面は長州人が押さえ、「長の陸軍」とも呼ばれた。靖国の運営は主に陸軍が担った。長州の思想家吉田松陰をはじめ、倒幕で命を落とした同藩の勤王の志士が祭られている。

山口県は戦前、常に軍に協力的だった。小学校、中学校の優等生には在郷軍人会の幹部が訪問して、陸軍幼年学校や士官学校の受験を勧め、受験指導をしたという。今は消えたが、昭和の中頃までその雰囲気は残っていたと、何人かの山口県民から聞いたことがある。自分たちの陸軍という考えがあったのだろう。

靖国神社の境内にある銅像は長州藩士の大村益次郎だ。長州藩の軍制を整え、戦術家としても優れ、戊辰戦争を新政府の勝利に導いた。合理主義者だったが、靖国神社の全身である招魂社という精神的慰霊の場を設立したときの新政府の兵部大補(陸軍省次官)だった。銅像が東北の方角を向いているのは、幕臣の彰義隊の立てこもった東京上野、そして戊辰戦争が激しかった東北地方を見ているのだろうか。

ちなみに私の母方は会津藩の下級藩士の家らしい。戊辰戦争は歴史の中の出来事で思い入れはないが、敗者から見ると靖国は「戦勝記念碑」に見えるだろう。田中清玄(1906-93)という右翼活動家は会津藩士の家の出身だったが、「長州の神社」と靖国を嫌っていた。

山口県は保守政治家が乱立し、安倍首相も政治家になった当初はかなり苦戦して、90年代地元回りの選挙運動を丁寧にしたという。ここからは推測だが、山口県民の靖国への思いを安倍氏は受け止めたのかもしれない。安倍首相は58歳だが、この世代の政治家、日本人で、靖国神社への思い入れをここまで持つ人は少ない。彼の言う通り、英霊の顕彰と平和を願ってなのだろうが、選挙区の特有の事情も影響したのだろうか。また歴史を考えるほど、靖国は国全体の慰霊施設には不適切であるように思う。

もちろん、すべての山口県人の方が靖国神社を賛美していると私は思わないし、靖国に敬意を持ってもいいと考えている。また同県の文化、歴史に私は深い敬意を持つ。

「国民軍創設」という魔法

山口県の明治維新に対する思い入れの強さは、倒幕と戊辰戦争での長州藩の特別な経験があるためだろう。長州は尊王攘夷運動で、過激な暴走をして挙兵し敗北をする。ところが第二次長幕戦争で劇的な逆転勝利をし、倒幕を成し遂げる。長州では「回天」という言葉が使われた。

takasugi_thumb_s回天の奇策の一つは、後世の評価の高い長州藩士・高杉晋作(1839-67)が行った軍事上の大改革だった。高杉は、士農工商に分かれた当時のすべての身分から兵を集めて、軍部隊を編成した。師であった思想家の吉田松蔭の考えでもあったという。部隊を「奇兵隊」と名付け、それにより藩内クーデターを成功させた。その後は同種の身分にとらわれない部隊を次々とつくった。既存の制度を叩き壊す改革は、藩存亡の危機だからできたのだろう。そして高杉はこの改革のもたらす未来を読み切っていたようだ。

これは一種の「国民軍」の創設だ。ここでいう国民軍とは「国民を守る、国民のための、国民による軍隊」と定義しよう。

軍事史を学ぶと、どの国でも、国民軍は社会に激変をもたらしたことが分かる。フランス革命では同様のことが起こる。周辺諸王国からの干渉戦争(1792-1802年)を革命政権は撃退できた。徴兵によって数十万単位の兵士を強制的に国民軍に編成し、犠牲を顧みずに他国の傭兵中心の軍にぶつけたためだ。文豪のウォルフガング・ゲーテはドイツの小国ワイマールの宰相で同時代人でもあったが、日記に「フランス万歳と、兵士は死ぬらしい。抽象的な概念のために、人が死ぬとは驚きだ」と記したという。

英国の軍事評論家ジョン・フラーは19世紀について「歩兵が民主主義を生んだ」という言葉を残している。人にとって命ほど、重要なものはない。それを賭けて戦った人は、発言権が当然強くなる。また兵士は、戦争において、自らを国という抽象物に自らを一体化して戦う。血によって、住民は「国民」に変化した。そして、仏革命戦争、その後のナポレオン戦争によって、各国は徴兵制を導入。その結果、国民の政治参加が進み、王と貴族階級の力は弱まってしまう。

長州でも同じだ。全身分の武装は、武装者という武士の特権を破壊した。また軍は20世紀初頭までは先進知識の受け皿であり、若い兵士にとって教育の機会になる。そして郷土防衛戦争に、国民軍は士気が高く大変強い。高杉は庶民の回天への「志」を肌で感じ、奇兵隊をつくったという。実際に長州の「疑似国民軍」の奇兵隊は戦功を上げ続けた。長幕戦争では小倉城攻略、鳥羽伏見の戦い、北越の戦いで主力を担う。(奇兵隊士の写真、良い面構えだ。)

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こうした例は幕末でも特異だ。会津戦争では庶民は、藩の戦争と逃げ出し、新政府軍に協力するものもいたという。当時、土佐藩兵を指揮した後年の自由民権運動の指導者、板垣退助はそれを見て、国民国家樹立の必要を痛感したそうだ。

長州諸隊に参加した諸身分の兵は数千人にすぎないとされるが、それは後世に語り継がれ、明治政府が徴兵制を導入することのテストケースになった。そして山口県には明治維新を元にした一体感が今に残る。高杉の決断が影響しているのだろう。全長州人にとって明治維新は、「郷土防衛戦争」と、血の代償としての戦勝だった。安倍さんの心情もそこにつながるかもしれない。

yamagata足軽・中間と低い身分だった山県有朋は、奇兵隊軍監(司令官)として地位を高め、陸軍に影響を持ち、そこを基盤に明治維新後には首相、そして公爵・元老という実力者に上りつめる。国民軍によって彼は立身ができた。彼は反動政治家というレッテルが貼られているが、私は高く評価している。バランス感覚に優れ、重要な判断を間違えなかったためだ。

日本では1925年、成人男性による普通選挙が導入される。その過程ではさまざまな意見があった。山県は「徴兵制と日清、日露の戦勝の当然の結果だ」と述べ、急進的な民主化は反対したが、段階的な選挙権の拡大を支持したという。これは彼のバランス感覚、歴史感覚の鋭さを示す言葉だ。彼の作った「長の陸軍」は、日本を一等国に押し上げた。

「国家内国家」の懸念

ところが、この国民軍という制度は危うい力を持つ。おとぎ話では、魔法使いが、魔力で身を滅ぼす。そのように功罪両面が大きすぎるのだ。多くの国がおかしくなってしまった。

軍は「国家の暴力装置」(レーニン、最近では左派の仙谷由人元民主党衆議院議員)である。そして国民軍は民意に近い、力と支持を集めやすい集団だ。運用を間違えれば、「国家内の国家」と、強大な存在になる。

干渉戦争の後で、仏革命政権は若者の働き口がなかったため、徴兵軍を削減できなくなってしまう。その軍が国外領土を求め、ナポレオン戦争の一因になる。長州藩奇兵隊も戦勝後に、反乱を起こして鎮圧されてしまう。萩の乱にも一部隊士が参加した(写真は萩の乱(1876年)の錦絵。Wikipediaより)

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また国民軍によって、戦争が残虐性を増した。それまで戦争は、王の私兵同士の限定戦争だった。ところが民間人は潜在的な軍事資源となり、それを攻撃する全面戦争になる。

さらに生活にも影響を与えた。殺人訓練を受けた兵士は普通の生活になかなかなじまない。また兵士を育てるために、国は愛国心と他国への憎しみを、平時から教育やプロパガンダで強調するようになる。(以上「ヨーロッパにおける戦争」(中公文庫))

日本帝国陸海軍も「国家内国家」となってしまった。国民軍ではない「天皇の軍」という建前であったが、昭和初期まで陸軍は民意の代弁者だった面がある。山県のような調停者が大正時代にいなくなると、昭和に入り軍は暴走した。しかし当時は政治集団として、軍の社会的な支持は高く、唯一の国防政策の策定機関だった。軍の中国への進出は民意をある程度反映したものだ。

「国民軍」が日本にできそうだが…

安倍首相は改憲を目指しているそうだ。その中心は軍事・安全保障関連条文の書き換えで、「9条問題」の解消を狙う。それによって「天皇の軍隊」とも「自衛隊」とも違う、名実を伴う「国民軍」が、日本史上初めて創設できる可能性が出ている。日本を巡る安全保障上の緊張が高まる中で、これは適切な動きだ。

日本の国防をめぐる議論は「自衛隊が違憲か合憲か」という無駄な神学論争に費やされてきた。そして今は中国・北朝鮮の脅威が声高に語られ、対処策に関心が向きがちだ。もちろん目先の脅威への対応は必要だが、根源的な問題にも目を向けなければならない。

「民主主義国家における、軍のあり方はどのようなものであるべきか」。この問いだ。

もちろん今の自衛隊を母体に発足するであろう国民軍が、いきなり旧軍のような強大な政治力を持つとは思えない。しかし、この重要な問題を真剣に議論しなければ、どの国もそうなったように、国民軍の毒に感染してしまうかもしれない。

ちなみに、西ドイツは1955年の再軍備をめぐり、軍のあり方と機構改革を、政治課題として前後10年以上、議論し続けた。今のドイツ連邦軍の制服がネクタイなのは、詰め襟の制服だったナチスドイツ、帝政ドイツの軍との連関を断ち、市民生活の延長に軍務があることを示すためという。(「ドイツ再軍備」岩間陽子、中央公論社)

もしかしたら高杉晋作の「国民軍」創設をめぐる決断が、150年後に安倍首相を動かしたのかもしれない。これを考えれば、私たちの世代が今から行う軍をめぐる決断は、次の世代まで続く、大きな影響を与えるだろう。

しかし残念ながら、安倍総理の靖国参拝や、「靖国参拝バンザイ」という右派の叫びの中に、靖国問題の歴史への洞察や、軍事をめぐる重要な転換点に直面しているという緊張感や思索、軍への警戒を感じられないのだが…。

石井孝明
ジャーナリスト
メール:ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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