靖国神社は歴史認識問題とは切り離せ

渡邉 斉己

首相の靖国神社参拝に対して中国や韓国はなぜ反発するのか、ということですが、戦没者に対する慰霊ということなら、これはどの国でもやっていることですから、これを問題にするのはおかしい。では、中韓は何を問題にしているのかというと、靖国神社は、東京裁判の結果、戦争犯罪人とされた人物を祭神として祀っている。そこに首相始め日本の閣僚が参拝することは、「東京裁判の判決」及び「戦争(第二次世界大戦)により確定した戦後の世界秩序」を否定するものであり、それは日本軍国主義の復活を意味する、というものです。


こうした非難に対して安倍首相は、「そもそも靖国神社には国のために戦った方々の魂があるだけで、考え方や主義・主張があるわけではない」。靖国神社に参拝することは「国のために尊い命を犠牲にされた英霊に尊崇の念を表し御霊安かれと手を合わせること」であり、「二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代を作る」「不戦の誓いを新たにする」ものだと、と繰り返し表明しています。しかし、この問題は、靖国神社へのA級戦犯合祀を契機に顕在化したものですから、その意味を説明しなければなりません。

おそらく、これは、東京裁判の結果戦争犯罪人とされ刑死した人も、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(s53.6.3超党派の国会決議)により、国内法上は犯罪人ではなくなっているし、その後の靖国神社の合祀基準(恩給法と戦傷病者戦没者遺族援護法で「法務死と認められたもの)にも合致しているから、A級戦犯合祀は問題とならない。また、日本の戦争責任については、村山談話を踏襲すると明言しているし、中国や韓国による「日本軍国主義復活」との批判も、中国の国防予算伸び率と比較すれば事実に反する、というものでしょう。

では、ここにおける日本と中国や韓国との主張の対立点は何なのでしょうか。それは、「東京裁判の判決及びそれを支える歴史観」(いわゆる「東京裁判史観」)の評価を巡る対立なのです。つまり、中国や韓国は、今後も、東京裁判によって確定した「戦後体制」を維持したいと考えているのです。また、アメリカをはじめとする連合国にも、同様の思惑が働いているようです。こうした「戦後体制」の中での「靖国神社へのA級戦犯合祀」は、中国や韓国の思惑を正当化するとともに、世界と連携して日本を攻撃する格好の口実になっているのです。

では、日本はこれにどう対処すべきでしょうか。それは、まず第一に、松平永芳宮司による靖国神社へのA級戦犯合祀は、外交的に間違いだったことを認めることです。松平氏は、これによって「東京裁判史観」からの脱却、を図ったのでしょうが、結果的には、中国や韓国による「日本軍国主義復活」攻撃を呼び込むことになりました。いうまでもなく、それは彼ら一流の政治的プロパガンダであって、その本当の狙いは、「東京裁判史観」を維持するためであり、これを対日外交の切り札として利用するためです。

こうした中国や韓国の思惑が身勝手なものであることは言うまでもありません。実際、東京裁判は勝者による敗者の裁きであり、その判決や歴史観には、連合国の利害や一方的な思い込みが色濃く反映しています。といっても、全て間違いというわけではなく、日本人には到底できなかった資料発掘や事実解明が数多くなされたことも事実です。このことは、敗戦直後、幣原内閣下で取り組まれた「戦争の原因及び実相調査」(後に民間事業として調査を継続)を引き継いだ青木得三氏の次の言葉でも明らかです。

「東京裁判の判決については種々の議論もあろうが、この裁判があったればこそ、種々の外交上の秘密電報、秘密記録、枢密院会議及び審査委員会の記録などが公にされた。又各被告の宣誓口述書も公にされた。私は本書を執筆するに当たって東京裁判の速記録に最も多く依頼した。もし本書が幸いにして人類永遠の平和と戦争発生の防御に役立つならば、それは又東京裁判の功績である。」(『太平洋戦争前史』第一巻p8)

また、日本はサンフランシスコ平和条約11条によって「東京裁判の判決を受諾」していますし、国連憲章には「旧敵国が戦争により確定した事項に反すれば制裁を科す」とのいわゆる旧敵国条項も残っています。そんな中で、日本人は、虚実入り交じった「東京裁判史観」の腑分けをしていかなければならないのですが、実は、これができていない――つまり、今なお、「東京裁判史観」の呪縛を脱しきれない日本人が多いからこそ、中国や韓国による日本分断攻撃が功を奏しているのです。

最近中国は、「日本は戦後の国際秩序に本気で挑もうとしている」(崔天凱駐米大使)と非難していますが、これは「東京裁判史観」の再検討を許さないということです。これに対して、松平宮司は、靖国神社にA級戦犯を合祀することによって、「東京裁判を否定」しようとしました(『靖国神社の祭神たち』p199)。よく知られていることですが、昭和天皇は、靖国神社へのA級戦犯合祀が、将来、日本批判の国際宣伝に使われる危険性を察知していましたので、合祀を思いとどまるよう働きかけました。しかし、松平宮司はこれを無視しました。その結果、昭和天皇は御親拝をしなくなりました。

これに対して松平宮司は、晩年、共同通信記者に「合祀は(天皇の)ご意向はわかっていたが、さからってやった」といったそうです(前掲書p201)。前任者の筑波宮司は、昭和天皇のご意向を知り、また本人も同様の考えを持っていたのでしょう、靖国神社の本宮南に鎮霊社という小社を1966年に建て、靖国神社本宮に祀られていない1853年以降の戦没者を外国人も含めて無差別に祀りました。秦郁彦氏が靖国神社に確かめたところによると、1966年から78年10月の靖国神社合祀まで、A級戦犯はここに祀られていたと認めたそうです(『現代史の対決』p270)。

この鎮霊社については、松平宮司以降その存在が隠されてきたらしく、今日では、鎮霊社にA級戦犯が祀られていたことを靖国神社は否定しているようですが、こうした靖国神社の松平宮司以降の考え方は、大きな問題と言わざるを得ません。なにより、戦没者の慰霊という主義・主張を超えるはずの問題を、「東京裁判の否定」という主義・主張を貫く手段として利用していること。そのためには、例え天皇のご意向であろうと、あえて無視するという、かっての昭和の軍人を彷彿とさせる言動・・・。

秦郁彦氏によれば、松平永芳宮司は、尊皇思想家平泉澄と師弟関係にあり、「終戦を第11根拠地隊参謀(サイゴン)の海軍少佐で迎え、46年に復員」。53年に三等保安正として陸上自衛隊に入る」が、「リベラルな学風に傾倒していた学生たちには敬遠され」、その後「資材統制隊副隊長のポストを最後に」定年退官した。その後郷土福井の歴史博物館長を10年務めた後、靖国神社宮司に引き出された。平泉門下生らしく、皇室のあり方について自らの職掌を顧みることなく直言や諫言を繰り返していたそうです。こんな人物がなぜ宮司として選ばれたのか・・・。

さて、安倍首相は、先に紹介した通り、「そもそも靖国神社には国のために戦った方々の魂があるだけで、考え方や主義・主張があるわけではない」。靖国神社に参拝することは「国のために尊い命を犠牲にされた英霊に尊崇の念を表し御霊安かれと手を合わせること」であり、「二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代を作る」「不戦の誓いを新たにする」ものである、と言っています。では、靖国神社は本当に、特定の主義・主張を持たない純粋に戦没者の魂を慰霊する施設といえるか、と言うと、A級戦犯合祀に至る松平宮司の言動を見る限り、疑問とせざるを得ません。

結論的に言えば、今日の靖国神社参拝問題は、松平宮司とその後継者が引き起こした問題なのです。もちろん、A級戦犯として刑死された人の中にも、広田弘毅や松井石根などのように同情すべき人もいます。また、収監された人の中にも、当然責めを負うべき人と、そうでない人がいます。B、C級戦犯となればなおさらです。しかし、その責任の度合いは歴史研究によらざるを得ません。政治家が決めることでもなければ、まして神社が判定することでもないのです。神社の本来の役割は、死者に対して無差別の慈悲を注ぐことではないでしょうか。

今日、靖国神社参拝問題は、中国や韓国にとって、日本人が「東京裁判の判決やそれを支えた歴史観」を自らの視点で再点検しようとする試みを断念させるための、格好の攻撃材料となっています。では、こうした状況を打開するにはどうしたらいいでしょうか。おそらく、筑波宮司が行ったように、A級戦犯の合祀を、先に述べたような外交的見地から、無差別の戦没者慰霊施設である鎮霊社に合祀するのがもっともよかったでしょう。しかし、これを、その後任の松平宮司が、靖国神社本宮に「移した」のですから、このことをどう説明するか。

安倍首相は、今回の参拝に際して、鎮霊社に参拝したことも併せて紹介しました。これは靖国神社が隠してきた鎮霊社のタブーが破られたことを意味します。つまり、靖国神社は特定の主義・主張に基づくものではなく、純粋に慰霊施設として存在すべきものであることを暗に示唆したとも受け取れるのです。安倍首相は、中国や韓国に対して「対話の窓口はオープン」といっています。靖国神社参拝問題についても、「謙虚に正しく説明し、対話を求めたい」といっています。

これによって、中韓とこの問題についての話し合いができれば、中国や韓国が何をもって慰霊施設としての靖国神社の存在に疑いを持つのか聞くことができます。A級戦犯を合祀から外すことや、遊就館の存在が問題になるでしょうが、そのときは、靖国神社を純粋の慰霊施設とするための方策について説明し了解を得る。その方策としては、私は、靖国神社の合祀基準を無差別とすることや、遊就館を靖国神社とは別の歴史資料館とすることなどがあると思います。こうした措置については靖国神社の判断に任せるのではなく、国家がイニシアティブをとるべきです。

私自身は、A級戦犯合祀の経緯から、鎮霊社にそれを戻すべきではないかと考えてきましたが、これについては、先ほど述べた通り、基本的には、靖国神社自体を無差別の慰霊施設とすることができれば問題は解消すると思います。それでも中国や韓国が、A級だけでなく、BC級戦犯の合祀を問題にしたり、靖国神社は日本軍国主義の象徴だ、などといって、あくまでその存在自体を問題視するするようであれば、そのときは受けて立てばいい。それは世界の常識にも反するし、賛同を得ることもないでしょう。

もし、安倍首相が、靖国神社を無差別純粋の慰霊施設とすることに、上述したような具体的な措置を何も執らないということなら、この問題の解決はできず、引き続き中国や韓国の内政干渉を招くことになるでしょう。それによって、国内世論が分裂し、「東京裁判の判決及びそれを支えた歴史観」の再点検もできず、昭和史を含む日本近現代史についての日本人視点を確立することもできず、かっての民主党と同じように、無定見なその場しのぎの彷徨を繰り返すことになるでしょう。

繰り返しになりますが、靖国神社問題を解決するための要諦は、戦没者の慰霊という問題と歴史認識問題とを切り離すことです。そのためには、靖国神社を無差別かつ純粋な慰霊施設とすること。そのために必要な措置を政府が万難を排して取ること。中国や韓国は、こうした日本政府の動きに対して、あくまで話し合いを拒否するなど、あの手この手の妨害策を講じるかもしれませんが、「謙虚に正しく説明し、対話を求めていく」基本姿勢を崩すべきではないと思います。

「東京裁判の判決とそれを支える歴史観」を日本人の視点で再評価すればどうなるか、ということについては、上述した通り、靖国神社参拝問題とは切り離して、今日までの歴史研究の成果を踏まえつつ、私たちが徹底的に議論すればいい。仮に、中韓がこれに文句をつけることがあったとしても、それに対しては実証的に応ずるだけです。その内、効果なしとしてプロパガンダは止めるでしょう。その時、靖国神社参拝問題とは、実は、中国や韓国の問題ではなく、日本人自身の問題であったことが判ると思います。