靖国参拝は外交的にプラス?

松本 徹三

一般に靖国参拝擁護論は、「これは日本人の心の問題なのに、何で中・韓の内政干渉を許し、彼等に媚びへつらわねばならないのか」という一点の繰り返しばかりで、特に論評する意欲に駆られないが、川本航平さんの1月19日付の記事は「今回の首相の参拝は外交戦略的にプラスだった」と論じている点でユニークであるのみならず、語り口も真面目で好感が持てたので、敢えて論評したいと思う。


結論から言うなら、「川本さんは勘違いしておられ、あれは外交的には大変な悪手、首相が自分自身の気持ちと周囲の期待を抑えきれなかっただけ」という私の考えは変わらない。以下、その理由を述べる。その後にまた首相の無神経なダボス発言があったが、これも首相とその周辺に「大きな勘違い」があった故だと断じざるを得ず、「外交」の問題はもう少し掘り下げておく必要があるという思いを抑えきれない。

川本さんもおっしゃられるように、外交とは勿論各国のエゴのぶつかり合いであり、各国とも秘術を尽くして自国に有利に事を運ぼうとしている。そんな事はあらためて言うまでもない事だが、問題はその目的は何かという事だ。

何度も申し上げているように、外交の「目的」は「国益の最大化」であり、更に突き詰めれば、「国民の安全を守り、国民を豊かにする」事だと言える。一部には「豊かさ」よりも「誇り」の方が大切だと考える人もおられるかも知れないが、こういう人たちは、恐らくは、現在の自分たちの結構な生活がどのような仕組みによって支えられているのかを、考えてみた事もない人たちだろう。

「誇り」は自分たちの心の持ち方の問題であり、自分たちの選択が合理的なものだったという確信があれば、仮に一時的に膝を屈さざるを得ないようなことがあっても、いささかも傷つくものではない。しかし、これとは逆に、「経済」が破綻して現実の生活が追い詰められると、人の心は荒み、「誇り」などはあっさりとどこかに消し飛んでしまう。

「経済」の問題を考えるなら、外国との間で軋轢があれば、よいことは何もない。戦争は問題外としても、「冷え切った関係」や「報復措置の応酬」は、貿易や投資や協業を縮小させるから、特に中・韓のように日常の関係が深い国との関係がこじれると、経済的には相互に大きな打撃となり、国民の生活を直撃するのは当然だ。

こういう事を言うと、「経済の為に筋を曲げ、いつも相手の顔色を伺い、媚びへつらうのか?」というステレオタイプの罵声が自動的に飛んできそうだが、勿論、誰もそんな事は言っていない。相手から理不尽な要求があれば、勿論、丁寧にお断りすればよいし、筋違いの攻撃があれば、勿論、静かに且つ理路整然と反論すればよいだけの事だ。媚びへつらう必要などは元々どこにもないし、かつて日本政府がそういう事をしたという事例も、私は知らない。(「臭いものに蓋」的だった「慰安婦問題についての河野談話による拙速な決着」だけは、大きな悔いが残るが。)

川本さんの議論は、「日本が、この時点で、『万事に平穏無事である事をモットーとしてきたこれまでの姿勢』を転換して、毅然として自分たちの主張を前面に出せば、中国も米国も日本に対する見方を変え、日本の持つ選択肢を軽視したり、強引に力で押そうとしたりするような事はなくなるだろう」と考えておられるかのように思えるが、それは全くの考え違いだろう。

この事は、一般論ではなく、具体的に検証した方がよい。一般論だと観念論に陥ってしまう危険があるからだ。従って、以下、先ずは中国の立場を検証し、次に米国の立場を検証したい。(韓国の事については、話が長くなるので、今回は副次的に触れるだけにしておく。)

中国は日本を決して侮ってはいない。(もし侮っていたら、あんなに虚勢ははらない。)何を一番警戒しているかと言えば、台湾の独立派を支援して、「近い将来の中国による台湾の併合」を妨害する事だ。次には、ベトナムやフィリピンとの海洋資源を争う摩擦に、「集団自衛権」を口実に関与してくる事だろう。海底油田の権益が関係してきそうな「尖閣問題」も決して小さな問題ではない。

しかし、その程度の警戒心では、現在の緊張した関係の説明にはならない。それ以前に、中国には「中国に進出した膨大な数の日本企業を人質に取る」というオプションもあり、また核兵器もあるのだから、この程度の問題なら「ブラフ合戦」だけでも防ぎうると考えているだろう。

もっと本質的な原因は、勿論、中国の「内政」である。格差や汚職や大気汚染の拡大で現在の中国は危機的な状態にあるから、指導者は、当然、国外に敵を作って、そちらの方に国民の注意をそらせたいだろう。「解放軍が勇敢に日本の侵略者と戦って国を救った」という歴史も、繰り返し国民の頭に刷り込んで、現在の「共産党一党独裁」の正当化に使いたいだろう。これは既に言い古された事だ。

しかし、そうであるなら、靖国問題(歴史認識問題)であれ、尖閣問題であれ、日本人が「毅然」という言葉に酔って、強い言葉を吐いてくれる事は、中国政府にとっては最も有難い事であり、逆に言うなら日本の為には全くならない事だ。だから、日本にとって最良の選択肢は、何事にも波風を立たせず、「つけいる隙」を与えず、淡々と「良い人」であり続ける事だ。それで日本が何かを失う事があるだろうか? そして、そのうちに、第二、第三の天安門事件が起こり、中国自体が変わる。

日本には、「媚中」とか「自虐」とかいう言葉が大好きな人たちがいるが、自らの「大人の対応」にわざわざそういう呼び名をつける方が、余程「自虐的」ではないだろうか? その逆も真だ。「相手の事ばかりをあげつらい、殊更に対決姿勢を強調し、勇ましい言葉に自ら酔う」事を、「自尊」とは言わない。ただ単純に「幼児的」なだけだ。

次に米国だが、彼等は本当に「失望」したに違いない。それは「これまではあまり自分の意見を出さなかった日本が、自分の意見らしきものを言い立て始めた」事に「失望」した訳では勿論ない。「日本が外交上の実利から見て、当然やるべき事をやらず、その為に米国の考えるシナリオの実現の『阻害要因』を作り出している事」に苛立っているのだ。平たく言うなら「お前ら、子供かよ」と言いたい気持ちなのだろう。

米国は、勿論、「中国がかつてのソ連に代わって世界の覇権を米国と競い合う国になる」事を警戒している。しかし、それ以上に、東北アジアに局地紛争が多発し、それが世界経済に打撃を与える事を恐れている。

もっと直接的な問題もある。尖閣の上空で日中の空軍機が偶発的に交戦状態に入ったら、安保条約に基づいて、米軍も巻き込まれざるを得ない。米国としては、そんな事は本当に勘弁して欲しい筈だが、中国は秘かにそれを望んでいるかもしれない。それを知ってか知らずか、日本政府には危機感が極めて希薄であるように思える。かつてのキューバ危機に際しては、ケネディーとフルシチョフはホットラインを持っていたが、日中の指導者の間にはそれすらない。

更に、もっと困った問題もある。北朝鮮が暴発する危険性が高くなっているこの時点で、一緒になってそれを抑えるべく協調せねばならない韓国と日本が、70年以上も前に起こった事の評価を巡って言い争いをし、首脳会談も開けないという現状には、米国も心底呆れ果てているだろう。「あんたたち、今一番重要なのは何なのかが、分かっていないの?」というわけだ。

日本側では、「突っかかってきているのは韓国の側なのだから、米国は韓国の方を嗜めて欲しい」という思いが強いだろうが、欧米の第三者から見ると、どっちもどっちという感じだろう。また、こういう場合、第三者は、かつての加害者よりもかつての被害者の側に立つのが普通だから、日本の立場は弱い。日本側は、その辺の事もよく考えなければならないのに、色々の局面での発言が杓子定規で、第三者の心を捉えるには程遠い内容だ。恐らく安倍首相もこの辺のところを意識して、「ちょっと気の利いた事を話そう」と思っているのだろうが、これまでのところでは、この殆どが相当裏目に出ている。

最後に、米国にとっての「もう一つのかなり深刻なリスク」は、韓国が次第に米国との間に距離を置き、中国と一体になって北朝鮮問題を解決しようとする事だ。日本でも小鳩政権が「東アジア共同体」等という事を言い出して、米国を心配させたが、日本の場合は「中国への軍事的な接近」の危惧はなかったのに対し、韓国の場合はこれもないとは言えないから、事態は深刻だ。それを最も警戒せねばならない筈の日本が、むしろその原因を作っているとしたら、「外交音痴で幼児的な日本」に対する米国の評価は、「失望」以上のものに至る可能性もないとはいえない。