通訳のミスは言い訳にならないーダボス会議発言:一昨日の記事で一部修正とお詫びがあります

2014年01月26日 23:51

本論に入る前にお詫びと訂正をさせてください。先日の記事ですが、まず第一に論旨はさておき、かなり感情的な投稿ではないかとの指摘を友人からいただきまして、これは反省させられました。twitter等でもそういったご指摘を頂戴いたしましたが真摯に受け止める点だと思います。


安倍総理とて、真心から国家の為を考えておられるのであって、その結果の正否についてのみ冷静に論じるべきであります。その意味で、過日のは逸脱した内容であり、基本的な趣旨や理解では間違っているとは思いませんが、コメントで頂戴したように感情的な批判は現に戒めるべきところであります。大変申し訳ありません。批判して下さったみなさん、特に友人のAさん有難うございます。

また、こうした感情的な勇み足により、私の大きな事実誤認が一点あり、修正させてください。

「安倍首相は相互依存で安心している」と書きましたが、ロバート・ペストン記者の総理へのコメントを見て、荒っぽく私が取り違えたものです。これでは、相互依存を強調したものの安心と言うの事実誤認です。対応としては、先日の記事のこの部分の削除、その理由とお詫びの追加、当面の投稿でこの点のご報告、twitterでこの部分を引用されている方への直接の訂正とお詫びを個別に自分のアカウントからさせていただきたいと思います。

ご覧になって下さった皆様、そして総理には、感情的かつ不愉快な内容、また一部に不正確な内容があったことをお詫びします。今後とも感情的な点や事実誤認などがございましたらご指摘いただければ嬉しく思います。

ただ、英独に似ているという発言については、やはりジョセフ・ナイのロジック的にも問題だと言わざるをえませんし、通訳のミスでは済まされず、開戦論者と思われても仕方がないと全体の文章を見ても思います。この点と官房長官によって出された全文を見ての問題点について以下で指摘させていただきます。

1.通訳のミスは言い訳になるのか?
安倍総理のダボス会議での「日中関係」発言は、「通訳のミス」という見解が朝日新聞のスクープによって出たが、それは言い訳もしくは言っていないということになるのだろうか。違うのではないか。

まず「総理は発言していない」が相手に通じるかと言えば、無理だろう。何故ならば、会場には、キャメロン首相とされていたように英会話能力のある総理、プロの語学力を持つ秘書官や外務省の人間等が同席しているはずであり、もし通訳が勝手に付け足したのであれば、総理ご自身を含む周辺が即座に訂正をするべきだ。しかし、実際にはマスコミで騒がれてから慌てて訂正しており、仮に通訳が勝手に足したのであっても、それを追認していることに他ならない。

つまり、外部からみれば事実上の総理のご発言でしかない。今更言われても、?というのBBC等の正直な感想だろう。素直に考えれば、超訳(適切な補足)として放置していたが、後から文句が出たので慌てて修正したと受け止められても仕方がない。

また、この部分が無かったとしても、「今年は第1次世界大戦100年を迎える年だ。当時、英独関係は大きな経済関係にあったにもかかわらず、第1次世界大戦に至ったという歴史的経緯があった。ご質問のようなことが起きることは日中双方のみならず、世界にとって大きな損失になる。このようなことにならないようにしなくてはならない。」と明らかにアナロジーをもって語っており、苦しい言い訳と言わざるを得ない。

客観的に考えれば、安倍総理は第一次大戦とのアナロジーをもって現在の日中を認識していることが見てとれ、通訳を批判するのは酷だと思う。(批判が出るまで政府は訂正していないのだから、その場でならともかく、通訳という個人を我々が責めるのはフェアではない。)

そして、何より重要なのは、過去の日本外交もこうした説明は通用してこなかったことである。真珠湾攻撃について、よく日本の一部から指摘されるのが、現地の大使館業務の遅れである。近年では、現地の責任ではないという研究も出ているが、ここでは置いておく。もし仮に、「日本大使館が無能だったから遅れた」と開戦日にハル国務長官に伝えたとしよう。ハル国務長官が「そうか、そうか、仕方がないね」と言うだろうか。米国民が納得するだろうか。実際、こうした真珠湾攻撃が奇襲でないとする説明は日本以外では言ってみても通用しない。

大戦末期の「黙殺」にしてもそうだ。鈴木貫太郎首相は、ノ―コメントという趣旨で、ポツダム宣言への「黙殺」という発言を行った。これが日本の同盟通信社がignoreと翻訳し、これを連合国側は「拒否(reject)」と理解してしまった。

鈴木総理にはポツダム宣言を拒否するつもりはなく、もう少し待ってほしいとの趣旨だったのに、ignoreとしたことで、まったく逆に伝わってしまったのだ。そして、ポツダム宣言には日本側の反応を見ようという趣旨もあったが、日本側が拒否したということで「拒否すれば迅速に破滅する」という公約を実行すべく、二度の原爆投下に至ってしまった。これをもってチャールズ・ベルリッツは、「黙殺の翻訳が違えば、原爆投下はなかったかもしれない」としている。そこまで言えるかどうかは別として、少なくとも大きな責任があるのは確かである。

では、この件、鈴木総理はそんなつもりはなかった、でいいのだろうか。国内的に可能かはさておき、適切なメッセージを伝えられなかった結果責任は甘んじて受けるべきだろう。現に鈴木総理は、このことについて「後々にいたるまで余のまことに遺憾と思う点である」と自叙伝で責任を表明している(黙殺はミスだと思うが、指導者として潔い、尊敬すべき立派な態度だと思う)。

もっと卑近な例えをしよう。貴方の取引先の会社が必要な資材の納期が大幅に間に合わず、大変な損害がでるかもしれないとなった。その時に、取引先にうちの部下が云々と言われて、私が悪いと言うのは貴方の誤解です、と言われて納得するだろうか。そんな事情は知ったことではないし、言い訳にもならない、と思うのが普通の反応だろう。

また極端なたとえ話になるが、先日、南アフリカで偽の手話通訳がいたが、仮にあの周りに本職の手話の南ア政府職員がいたとしよう。それで知りませんでした。彼が勝手にやったとことですという理屈が通るだろうか。通らない。

以上のように、通訳に責任を押し付けるのは、前後の文脈から嘘をついていると思われるか、間違った通訳を採用しその場で訂正もできない能力の首相とその側近というように思われてしまうのである。

2.その他の安倍総理の発言の問題点
(1)第一次大戦に触れるべきではなかった
先日も指摘したように、政治指導者が戦争が回避できないと受け止められるような発言を公にするのは問題である。可能性を心の中で思うのは自由だが、蓋然性として心の中で考えたり、当事者なのに評論家のように発言するのが問題なのである。

そも、これ以外にも、一万歩譲って総理が英独関係と日中関係が似ても似つかないと思っていたとしても、やはり外部の人間が第一次大戦、それも100周年に本場で触れたのは軽率のそしりを免れないだろう。比喩は効果的な表現だが、異文化の人間であれば慎重であるべきだ。

第一次大戦は、第二次大戦と違い、質量ともにまったく予想もしない形で欧州を襲い、約3700万人もの戦死者と負傷者を出した(戦死は1500万人)。1916年7月1日は最大の戦死者を出し、この日だけでソンムの英軍は5万7000人以上の戦死者を出し、ソンムの戦いだけで双方130万人が死傷した。

こうした結果は、まさしく欧州から若者がまるごと死亡するか、不具になるか、精神的な傷を負うかという結果を招き、社会全体に大きな傷となった。また、これまでの欧州の旧秩序が完全に崩壊し、他方で社会主義国家まで現れた。そういう話なのである。

要するに、イスラエル首相が2017年に日本での国際会議に参加して「シナ事変開戦から70年云々」「日中戦争時と今のイラン・イスラエル関係は同じ」と発言すれば、後者は誤訳だとしても、我々が、突っ込みたくなるか、無神経さを不快に思うか、危ないと思うかの三択になるのと同じである。つまり、英国メディアを中心に突っ込みがなされるのは当然の現象であって、通訳云々のレベルではない。我々はダボスでは、「お客さん」でしかないのだから、当事者と同じような発言はすべきではなかったのではないか。

(2)評論家のような立場はいかがなものか
学者や評論家と同じような発言を総理を含む政府高官がすべきではないは、鳩山氏の事例で我々は痛感している。であるならば、安倍総理ご自身もその教訓に倣うべきだ。

実際、元共同通信論説副委員長の春名幹男氏は総理ご自身の評論家的な立場を以下のように指弾している。


総理の突き放した態度は「中国との戦争の可能性を明確に否定しなかった」と言われても無理はない。相互のコミュニケーションを緊密にすることが必要だとは言うが、ある英紙も指摘していたが険悪な二人がコミュニケーションを増やしても逆効果なだけだと言われてしまうのがオチだ。

ここは、安倍総理は当事者として冒頭で「懸念があるのはわかるが、日中での戦争は私が任期中は全力で回避する。にもかかわらず、中国は毎日領海に軍事力を侵入させているし、日本がこれまで行ってきた謝罪を拒否している。どうか皆さんは中国に日本の謝罪を受けいれ、対話に応じるようお伝え願いたい。それが世界経済の発展の為である」等と「力強く」言うべきだったのだ。

(3)起承転結の話し方はどうなのか
自身も同時通訳者として活躍され、翻訳論が専門の鳥飼玖美子氏は著書の「歴史を変えた誤訳」で、日本人の起承転結の話し方は、英語話者にはわかりにくいと指摘する。

鳥飼氏は、「日本人は、いきなり結論から入るのではあまりにそっけない、という感じを持つ。外国人は、これを意味不明だと思い、イエスかノーかいらいらする。起承転結の代表例の「天声人語」を外国人に読ませると、なんのことかわからないという。最初の話は結論と関係ないじゃないかと。逆に日本人は、最初の話は「まくら」さ、起承転結の「起」さという」といった趣旨の指摘しているが、安倍総理のご発言も同様ではないか。

日本人は冒頭の第一次大戦から100年は「話のまくら」さ、というだろう。私もそう思う。むしろ美しい言い方だと思う。だが、BBCやFTの英国人が、わかりにくい話し方だなぁと思いつつ、これを本旨だと思うのは無理からぬことだろう。通訳が補足するのも総理の趣旨をよく補ったと言うべきだろう(実際、その場では誰も訂正してない)

また、これでは、ホットライン云々言っても伝わらないだろう。最初にイエスかノーか言ってないのだから。やはり、明確に不戦の意思を最初と最後でくどいほど明確に言うべきだったのだ。

(4)これまでの見解を補強してしまった
安倍総理に批判的な私だが、彼としてはたまのうっかり発言以外は、昔より我慢してきたと思う。戦後レジーム云々も第二期になってからは発言していないということも好例である。

しかしながら、英国のFT紙の論説(翻訳)だけをみても、そうした自制はまったく伝わらず、中国の宣伝攻勢が奏功し、今回の総理のご発言がトドメとなっていることがわかるだろう。末尾の「米政府は確かに、もしも中国が侵攻するようなことがあればアメリカは同盟国の側に立つと、中国に警告しなくてはならない。けれどもアメリカは安倍氏に対しても、ナショナリスト的な虚勢は控えるようにと、はっきり告げなくてはならない。」とあるように完全に日中は喧嘩両成敗扱いなのだ

少なくとも今までの「右翼と呼ばば呼べ」「侵略の定義の否定」を考えれば、ああやっぱりとなるのは無理からぬことではないし、自らが招いた因果というべきではないか。

3.終わりにかえて:安倍総理は中曽根総理を見習うべき
以上のことから、通訳のミスは言い訳にならないということが御理解いただけたと思う。しかも、今後は一度広がった印象は消えない。

幸いにもウクライナの東西での分裂危機によって、安倍総理に対する報道は消しとんだ。もともと日本通しかしれないとの指摘ももっともだと思う。しかし、日本は危ないんだな、という印象だけが英語圏のエリートや専門家の片隅に残ったままになったとも言える。

また、これまでに書いてきた理由からBBC等が訂正に応じる可能性は低いし、応じても広がらないだろう。実際、FTのMartin Wolf氏はダボス会議に参加した、北海道大学の鈴木一人教授に対して、以下のようにかなり意固地な態度を見せている。

(なお、念の為に書くと鈴木教授は、今回の騒動を国内が騒ぎすぎていると指摘されており、筆者の見解には否定的である。鈴木先生、貴重なご批判有難うございました)

では、どうするべきだったのだろうか。私は、総理ご自身や日本政府の為にも発言したと認め、率直に日本特有の話法で誤解を与えた、本意は日中戦争は断じて回避するという趣旨だったと釈明するべきだったと思う。

何故か。戦後の宰相では偉大と評価すべき中曽根総理の「不沈空母」の例を見てみよう。中曽根総理は、在任中にワシントンポストの朝食会に応じ、「日本を大きな空母」とすると発言し、これを通訳は「不沈空母」と翻訳し、後に報道されたことで大変な騒ぎとなった。しかし、中曽根総理は不沈空母と言っていない録音テープが出てきたにもかかわらず、最終的に「不沈空母」と言ったと認め、精神的な意味合いの形容詞に過ぎないと釈明に努めた。

おそらく、中曽根総理は今更訂正しても意味が無い、それよりも認めて、そこから反転攻勢に出た方が、報道されるし得策と考えたのではないか。私は、安倍総理がこの偉大な総理の先例に見習わなかったことを日本の為に残念に思う。

付記
欧州等どうでもいい、彼らの目を覚まさせた、という方もいるが、では彼らが眼をさまして、危険な日本を抑止する為にと対中武器輸出が解禁され、どんどん中国軍が強化されてもいいのだろうか。そもそも、欧州などどうでもいいと言うのは、多忙な中、ダボス会議に参加し、日本の経済政策をアピールしようとした安倍総理ご自身の判断を批判するものでしかないのだが……

站谷幸一(2014年1月24日)

twitter再開してみました(@sekigahara1958)

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