「自虐史観」の対義語に困惑する

北村 隆司

日中韓の緊張や靖国問題が論じられるたびに登場する「自虐史観」とは、自分の国の歴史をおとしめる歴史観を指しているのだとは思うが、その対義となる史観は自分の国の歴史を美しい物語としてだけ描きだす「皇国史観」のような物をさすのだろうか?


いわゆる「自虐史観」を否定する人々が、満州事変から太平洋戦争に至る一連の戦争は国際法理念で認められた国家の権利を行使した自衛戦争だとして正当化し、「自虐史観」は日本を侵略国家と規定し、戦争を起こした責任を特定の”独裁者”や”陰謀家”になすりつけたと非難するまでは兎も角、民主主義の是非の観点が欠落している為、その主張する「史観」の骨格が判らないで困っている。

それに加え、戦後日本の主流を成す歴史観を「極左思想の蔓延が生み出した、日本を絶対悪とみなす加害者史観」と批判する「新しい歴史を作る会」系の人々の主張には、極左思想の被害者だとか在日に食い物にされたなど加害者意識からの脱却と言うより被害者意識の方が目立ちすぎ、劣等感の裏返しでは? と思う事すらある。

勿論、戦後の日本には勝者におもねり、日本を貶めた事例は幾つもあるが、その典型がルメイ将軍に勲一等旭日大綬章を授与した一件である。

ルメイ将軍と言っても今や知る人は少ないと思うが、強風に見舞われた1945年3月10日に、木造家屋が多数密集する東京の下町の市街地を標的にして焼夷弾の「絨毯爆撃」を敢行し、広島、長崎の原爆被害者より多い10万人以上の非戦闘員の死者と50万人近くの負傷者、25万戸の家屋を焼失させた東京大空襲を計画、実行した人物が大佐当時のルメイ将軍であった。

後年ベトナム戦争の非を詫びたロバート・マクナマラ元国防長官は、ルメイ将軍について「私の多くの戦争経験の中でも、彼ほど優れた戦闘司令官には会った事がない。ただ、彼は残虐な性格の持ち主だと批判されるほど、異常に好戦的な人物でもあった。」と語っているが、延焼効果の高い風の強い日に爆撃を敢行した事に軍人としての優秀さと、人間としての残虐さが示されている。

この爆撃が非戦闘員の殺傷を禁じたジュネーブ条約に違反するとここで論じても意味ないが、これだけ多くの日本市民を殺傷したルメイ将軍に、必要もないのに勲一等旭日大綬章と言う日本最高位の勲章を与えて褒章した事こそ「自虐史観」の表れだと思う。

ところが、この褒章は「自虐史観」の持ち主が決めた事ではなく、田母神元航空幕僚長の古巣である自衛隊の航空幕僚部が推薦を決め、推薦を受けて総理大臣に褒章を進言したのが当時の防衛庁長官で小泉元首相の父親の小泉純也氏であり、安倍首相の大叔父に当たる佐藤栄作氏が首相として叙勲の最終決定を下した、何とも皮肉な経過を辿っている。

こうして考えて見ると、互いの歴史観でいつまでも揉めるより、歴史に謙虚に学びながら 未来志向で何が有効的、効果的であるかを見極めたほうが良い時代に入ったと思えてならない。

その点では、故マンデラ元南ア大統領が設置したアパルトヘイト調停委員会 – Truth and Reconciliation Commission (TRC)の経過が参考になるかもしれない。

紛争和解委員会(Reconciliation Commission)は南アの専売特許ではなく、多くの国でも設けられた和解方式であるが、卓越した指導者に恵まれない国で成功した例は稀で、南アのTRCがあれだけの成果を挙げたのも、ひとえにマンデラ元大統領の存在にあった。

委員会の聴聞会では、マンデラ元大統領を独房から解放しアパルトヘイトの終焉のきっかけを作った功績で、マンデラ氏と共にノーベル平和賞を受賞したデクラーク元大統領が、白人の支配者を代表して感涙迫る想いをこめて何度も陳謝の言葉を繰り返した。

しかし、黒人迫害政策の指導者たちが恩赦を受けた事に対する黒人の怒りは根強く、簡単には収まらず紛糾したが、マンデラ大統領を自虐史観の持ち主だと非難した人は無かった。

一方、アパルトヘイトを強力に推進してきたP・W・ボータ元大統領は、「TRCは茶番に過ぎない」と主張して最後まで聴聞会への召喚状を拒否し続け、最後まで証言すら拒み続けたが、最高裁はその処罰申請を却下している。

この例でも判る通り、アパルトヘイトのような国内人種対立も、日韓問題のような国際的な民族対立にも普遍的な共通性があり、その解決には何処かで妥協する必要がある。

南アが、激しいい人種対立を乗り越えて平和裏に困難を乗り切れたのは :
「和解と言う事は国民が一緒になって、過去の誤りとその遺物を正しながら、国の再建と発展の為の未来計画を成功させる事である。だからこそ私は、国民和解の日に当たるこの12月16日に全ての国民に、お互い手を携えて本当の南アフリカを築こうではないかと訴えたい」
と言うマンデラ大統領のメッセージに国民が従ったからだが、国民が従ったのはこの言葉と言うより、マンデラという偉大な指導者に従ったと言えよう。

対立を纏められる史観も指導者もない日本の現状では、国内や近隣諸国との緊張緩和には辛抱強く且冷静な対話を続けるしかない。

対話には相対立する主張の定義が必要である。そこで池田先生にはこの辺で「自虐史観とその対義の史観て何? 小学生版」をまとめて頂きたいと思うのだが、如何だろうか?

2014年1月28日
北村隆司