他人の損失で自己の利益を得るなかれ

2014年02月04日 16:30

資産運用の世界では、市場指数に勝つとか、負けるとか、そのようないい方をする。市場指数という平均値を基準に議論している以上、勝ちと負けの合計は理論的にゼロである。


もっとも、ゼロとはいっても、本当の意味でのゼロではない。勝ち負けは、あくまでも市場指数という平均との差だからだ。平均自体がゼロ以下でない限り、負けたといっても相対的な意味で、絶対的にはプラスの収益であり得る。平均値が十分に高ければ、ほぼ全員が絶対的なプラスの収益を得ているのだ。

ここでは、勝ち負けとはいっても、要は、上手に投資したものの相対的な利益が大きくて、下手に投資したものの利益が相対的に小さいという意味であって、その限りでは、能力と努力の差が所得格差につながるという健全で公正な競争社会のありようをいっているにすぎない。

では、市場の平均的収益がゼロになったらどうなるか。そのときは、自己の利益の裏には必ず他人の損失があるということになる。しかしながら、一方の利益と他方の損失には連関はない。市場の平均は結果に過ぎないので、一群の銘柄がプラスの収益で、他の一群の銘柄がマイナスの収益であることに、相互に何の因果関係もないのだ。故に、結果的に他人の損失の上に利益がでたように見えても、それは形の上だけのことだ。

実のところ、公開市場の中での投資であるかぎり、結果的に他人の損失の上に利益がでることがあっても、市場参加者が各自独自に行動した結果に過ぎないので、健全で公正な競争社会の秩序は維持される。そこに、公開市場の、あるいは市場原理の、貴重な価値がある。

ところが、世の中、全ての領域で、常時、市場原理が健全に働くわけではない。意図的に他人の損失の上に自己の利益を作ることは可能である。意図的に、といういい方が強すぎるのであれば、自己の利益を守る行動が、その帰結として他人に損失をもたらすことを承知のうえで、やむを得ず振舞うということはあり得るのだ。

そんな事例は、いくらでもあるわけだが、そのなかでも興味深いのが、債権者としての銀行と、債務者としての企業の関係である。この全く私的な相対(あいたい)の関係のなかで、銀行が債権者としてどう行動するかは、契約にのみ拘束される自由な行為である。そこで、もしも、突然に銀行が融資の継続を拒んだとしても、契約上、融資の回収が当然の権利であり、借換えに応じなければならない義務がないのであれば、法律上の問題は全くない。

しかし、この場合、銀行の自己の利益を守る行動は、企業の株主・従業員・取引先など、多くの関係者となる可能性がある。故に、銀行の貸し手としての責任が問われるわけで、まさに、銀行に対してこそ、
他人の損失で自己の利益を得るなかれといわれるのだが、さてさて、銀行も営利企業である。難しい問題である。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本紀行

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