現代音楽って何?

池田 信夫

佐村河内守という耳の聞こえない(と自分ではいっている)人の曲が、別の「ゴーストライター」のつくった曲だったという騒ぎが話題になっています。でも耳の聞こえる人が「聞こえない」と嘘をついて障害者手帳をだまし取るのはよくあることだし、誰がつくろうといい曲ならいいじゃないですか。


――と思ってYouTubeに残っている「交響曲第1番」の終楽章の最後の部分を、マーラーの交響曲第3番の第6楽章の最初の部分と聞き比べてみました。びっくりするほど似ています。これはパクリというのではないでしょうか。

でもそんなことを言い出したら、みなさんのきいているイージーリスニングなんてみんなハイドンやモーツァルトのパクリだし、ビートルズだって自分ですべて編曲したわけではありません。楽譜の書けないメンバーが歌ったのを、プロが譜面に書いてオーケストラなどをつけたのです。そういう意味では、ポップスも歌謡曲も「ゴーストライター」だらけです。

作曲した新垣隆さんは現代音楽の世界では有名な人だそうですから、自分の作品でこんなことはしないでしょう。マーラーは100年前に死んだ作曲家で、現代音楽の否定したロマン派の巨匠です。こういう調性音楽(ドミソなどの和音のある曲)は19世紀までにやりつくされてしまい、現代の作曲家がそういう曲を書いても評価されないのです。

現代音楽と呼ばれるのは「無調」とか「前衛」とか、いかにもむずかしそうな音楽です。これは美術の世界も同じで、20世紀に入ってからの「現代美術」とか「抽象絵画」と呼ばれるものには、小学生の落書きと区別のつかないものもあります。

こういう「前衛芸術」が出てきたのは、20世紀初めの社会主義がはやっていたころでした。描いていたのもピカソとかカンディンスキーとか、左翼的な人が多かったのです。現代音楽を書いたシェーンベルクやバルトークなどの作曲家も、音楽の進歩を信じていました。

そういう意味では現代音楽も現代美術も、社会主義とともに生まれて社会主義とともに終わったのかもしれません。前衛という言葉は、もう政治の世界では誰も使いません。日本共産党の『前衛』という雑誌だけは続いていますが、党の綱領からは削除されました。

進歩というのは、疲れるものです。会社はイノベーションを続けていないともうからなくなりますが、音楽が進歩する必要はありません。今でも200年以上前のモーツァルトを世界中の人がきいています。よい子のみなさんはむずかしいことを考えないで、きいて楽しくなる音楽をきけばいいのです。