ビットコインは永遠のババ抜きか?

大石 哲之

ビットコインは、実態資産や、政府の裏付けが何もありません。

なんでそんなものが流通できるのか?

それは、受け取るひとが、価値をもつと考えてビットコインを受け取り、そしてそのビットコインがさらに、別の支払に使えると信じるからです。

つまり、ビットコインの許容と流動性が信頼のすべてだといえます。

これは、ある意味、終了条件の示されない永遠のババ抜きだといえましょう。

ババ抜きにおいては、ババをみんなでたらい回しにしています。ババ抜きゲームはいつかは終わることがわかっているので、みなはババをたらい回しにしますが、終了条件が示されないババ抜きゲームでは、ババをもっていることは別に問題はないので、ババは流通するかもしれません。

貨幣はこのようなババ抜きの性質を本質的に持っています。

誰かが受け取るから受け取る、受け取ったものが別の支払に使えるので、受け取る。鶏が先か、卵が先かみたいなものです。

貨幣の歴史:金の担保から徴税担保に

もともと今の貨幣にも実態がありました。金です。以前はドルを政府にもっていくと、同じ価値の金と交換してくれたのです。それが、ドルと金の交換停止を経て、ドル紙幣は金の担保がなくなり、その担保は、国の債務の履行能力に変わりました。

つまり、ドルが価値を持ち続けるのは、将来にわたってアメリカ国民がアメリカ国債を償還しつづけられるという予想が担保になります。日本円も、将来にわたって、日本国債が償還しつづけられるかというところにかかっています。逆のいいかたをすれば、日本国債は税金で返しますから、日本国民が国債を返し続けるだけの税金担保能力があるかということです。

その担保が健全な限り、みなは信用して、ドルや円を受け取ります。受けっとったドルが支払に使えるだろうと考えるからです。だから流通します。

しかし、国は繰り返し債務不履行に陥ることが歴史的には証明されており、この担保能力も永遠ではありません。

国の通貨が債務不履行をおこすことがあるとはいえ、貨幣としてビットコインをみた場合、債務不履行もなにも、その債務の担保すらありません。最初から何もない、純粋な交換手段だけのコインです。このコインを、うけとり、次に使える、ということを全員が受け入れる限り、貨幣として機能します。しかし、そのコインを受取次に使えるということ自体をどう信じればいいのでしょうか?それには担保がありません。

それを信じるかどうか、というトートロジーになり、宗教とおなじように信仰が担保といったことになりかねません。その点で、ビットコインは、果たして価値を持つのかどうか、というのは、極めて興味ふかい社会実験であるといえましょう。

供給上限という唯一の担保

では、そういうそもそも無価値のものを受け入れることがありえるのか?歴史を見ると、ありました。貝殻や、巨石など、かつては通貨として利用されていたものがあります。それらは、なにかの担保があったわけではなく、多くの人が受け入れ、支払につかえるという共同幻想がなりたっていたから貨幣として流通しました。

しかし、そういう純粋な共同幻想型の貨幣にも重要な点があります。巨石は容易には偽造できませんし、供給が制限されています。

本来価値がないものを貨幣にしているのですから、大量の貨幣が容易に供給されれば、あっというまにシステムは崩れてしまうでしょう。

ビットコインの場合も、同じです。ビットコインの供給には上限がもうけられています。

ビットコインは2100万ビットコインという発行上限がきまっています。将来にわたり、これ以上のコインは絶対に生成されません。絶対に生成されないというのは、文字通りで、そう信じるというあいまいな基準ではなく、アルゴリズムによって確約できる仕組みを作ったのです。人為的に誰かによって調整できない仕組みを課したのです。これは永遠の約束のように思われます*1

ビットコインを受け入れる根拠があるとすれば、この上限のみが、唯一の根拠になるでしょう。よって、ビットコインの最も重要なポイントは、供給量が予め決まっていること、この一点につきます。

巨石や貝殻と違い誰かが隠し技をもっていて後出しコインがでてくるという心配はありません。もしそれが起こればあっという間にビットコインの価値は崩壊するでしょう。

供給量が制限されているが、価値の担保のないものが共同幻想として、貨幣になりえるのか、これがビットコインの壮大な経済的な実験でしょう。

*1 ビットコインの供給上限は仕様であるので、ビットコイン保有者(ネットワーク参加者)の多数の合意があれば、ビットコインのソフトウェアを新しいものにして、この制限は取っ払えることは確かである。新しい約束を作ればいいのだ。ただし、それはビットコインの崩壊そのものであるので、ビットコインを使っているひとは、誰一人としてこの約束をうけいれないだろう。