終わっていなかった明日ママの強烈な問題提起

2014年02月22日 07:08

賛否の渦巻く日テレドラマ「明日、ママがいない」。結局、日テレ側が文書で謝罪し、内容の訂正を反映していくと表明したことで、これまで抗議をしてきた全国児童養護施設協議会や慈恵病院も様子見に入り、事態は収束したかに見えた。しかし、前回放送第6回では、ドラマ内で一連の抗議活動に乗じた動きに対する反論とも取れるシーンがあり、ネット上では「神回」だという賞賛と共に話題を呼んでいる。


ドラマは公式サイト上で観れるが、該当のシーンの台詞がこちらのサイトからも読める。このシーンは施設で暮らす一人がとある理由で暴力事件を起こしてしまったの対して、他の子どもたちが周囲から同様に偏見の目でみられることを恐れ、その仲間を追い出そうとする。それに対して、施設長が子どもたちに語った言葉だ。以下、長くなるがその一部を抜粋する。

お前達は何におびえている?お前達は世間から白い目で見られたくない、そういうふうにおびえているのか?だからそうなる原因になるかもしれないあいつを排除する、そういうことなんだな?
だがそれは表面的な考えじゃないのか?もう一度、この状況を胸に入れて、考えることをしなさい。お前たち自身が知るあいつは本当にそうなのか?乱暴ものでひどい人間か?そんな風にお前達はあいつから一度でもそういう行為や圧力を受けたことがあんのか?

ならばなぜかばおうとしない?世の中がそういう目で見るならば、世の中に向けて「あいつはそんな人間じゃない」ってなぜ戦おうとしない?「貴方達はあの人の事を知らないんだ」って、一人一人の目を見て伝えようと、そう戦おうとなぜ思わない?臭いものにふたをして自分とは関係ない、それで終わらせるつもりか?

大人ならばわかる。大人の中には価値観が固定され、自分が受け入れられないものを全て否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃してくるものもいる。それは胸にクッションを持たないからだ。わかるか?そんな大人になったらおしまいだぞ。話し合いすらできないモンスターになる。

だがお前達は子供だ。まだ間に合うんだ。一度心に受け止めるクッションを、情緒をもちなさい。残念だが目を背けたくなるようなひどい事件や、つらい出来事が実際に起こる。でも自分とは関係ない、かかわりたくないとシャッターをしめてはいけない。歯を食いしばって一度心に受けとめ、なにが酷いのか、なにが悲しいのか、なぜこんなことになってしまうのか、そう考える事が必要なんだ。

お前達はかわいそうか?本当にそうか?両親が居ても毎日のようにいい争いをしてる、その氷のような世界に居る子供達はどうだ?両親が揃っているくせにと、冷たく突き放すのか?もっとつらい子も沢山居る。誰かに話したくても言えない子だっている。それでもお前達は世界で自分が一番かわいそうだって思いたいのか?違うだろ?うんざりだろう?上から目線でかわいそうだなんて思われることに。なにがわかるってんだ?冗談じゃない。かわいそうだと思う奴こそがかわいそうなんだ。

つまらん偽善者になるな。つまらん大人になるな。つまらん人間になるな。お前たちが辛い境遇にあるというのなら、そのぶん人の痛みがわかるんじゃないのか?寂しい時、傍に寄り添ってほしい時、自分がそうしてほしいことをなぜそうしようとしない?
(中略)
最後にもう一度言うぞ。一度心に受け止めるクッションをその胸に持ちなさい。世界に存在するあらゆる汚れ、醜さから目を背けずに、一度受け止めてみなさい。それができる人間は、日本で、この世界の美しさ、愛しさを知る事ができるだろう。
お前達は傷つけられたんじゃない、磨かれたんだ。

「大人の中には価値観が固定され、自分が受け入れられないものを全て否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃してくるものもいる」という台詞は、見方によっては抗議者やCMを降ろしたスポンサー、抗議活動に便乗したクレーマーに対するメッセージと捉えられなくもない。もちろん、抗議があった後に加えられたのか、もともと決められていたシーンだったのかは知る由もないが。

その意図はさておいて、私は、もっと深く考えるべき問題提起が後半にあると思う。つまり、「お前たちが辛い境遇にあるというのなら、そのぶん人の痛みがわかるんじゃないのか」「お前達は傷つけられたんじゃない、磨かれたんだ」という台詞だ。

新約聖書中のイエスの言葉に「山上の垂訓」として有名な一説がある。
「心の貧しい者は幸いである。天国は彼らのためにある。」

心の貧しい者というのは、貪欲だったり、薄情だったりという意味ではなく、心に痛みや、己の罪に対する悔い改めを抱いていたりする人を指しているのだと理解している。そうだとすると、「辛い境遇にあるというのなら、そのぶん人の痛みがわかる」というドラマ内の台詞が重なる。そして、「お前達は傷つけられたんじゃない、磨かれたんだ」という厳しくも愛のあるメッセージを送っているのである。

施設で育った子を「かわいそう」とみるのは簡単だ。でも立ち止まって考えて、彼らが人の痛みの分かる磨かれた人だとみるとき、そこに発想の転換がある。

例に挙げたイエス自身、父親の分からない私生児として生まれ、厳格なユダヤ社会から偏見の目でみられていた。しかし、イエスは同じように偏見にさらされていたハンセン病などの病者や遊女、取税人らの心に寄り添い、新しい天国観、人生観を投げかけた。そして、最後は正義の番人とされた律法学者に批判され、群衆によって処刑された。

たかがドラマ一つをイエスの人生と比較するのも憚れるが、我々は今一度本当に何が大切なことなのかを自分の頭で考えることが必要なのではないかと思うのである。そんなことを考えさせられた回だった。少なくとも、放送が中止されなくて私はよかったと思う。

学びのエバンジェリスト
本山勝寛
http://d.hatena.ne.jp/theternal/
「学びの革命」をテーマに著作多数。国内外で社会変革を手掛けるアジア最大級のNGO日本財団で国際協力に従事、世界中を駆け回っている。ハーバード大学院国際教育政策専攻修士過程修了、東京大学工学部システム創成学科卒。1男2女のイクメン父として、独自の子育て論も展開。アゴラ/BLOGOSブロガー(月間20万PV)。著書『16倍速勉強法』『16倍速仕事術』(光文社)、『マンガ勉強法』(ソフトバンク)、『YouTube英語勉強法』(サンマーク出版)、『お金がなくても東大合格、英語がダメでもハーバード留学、僕の独学戦記』(ダイヤモンド社)など。

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