危機に瀕した対ロ外交と安倍首相の無為無策

站谷 幸一

ウクライナ危機によって、安倍外交が危機に瀕している。
第二次大戦末期のように、米中双方と関係を悪化させた安倍総理の唯一の希望はロシアだった。だが、今やウクライナ情勢の急転を前にして、大戦末期のようにその希望が消えようとしている。これは日本外交を窮地に追い込む可能性が高く、また同胞たる邦人の今後が危ぶまれるが、安倍首相ご自身は首相動静を見るだけでもかなり呑気な様子であり、危機管理のキの字もない無為無策ぶりである。以下では、これらの点について議論したい。


1.何故、安倍政権はロシアに接近したのか
安倍首相とその取り巻きたちは、領土問題もなんのそので日露関係進展に走っている。実際、谷内NSC局長は、北方領土の日露での面積での折半に言及したと騒がれた過去があるし、麻生副総理も同様の主張を行ったことがある。

極めつけは、名文家で知られるスピーチライターの谷口智彦内閣審議官である。彼は、安倍総理のセキュリティ・ダイアモンド論文の元ネタとされる、「TPPと「同盟ダイヤモンド」」論文で以下のように述べている。

日本にとっての悪夢とは、「四島一括返還」の立場を譲れぬ日本がロシアとの間で北方領土を巡って膠着を続ける間、中国がくだんの四島いずれかに巨額のカネをつけ寄港地に、即ちもう一粒の真珠にしてしまうことだ。
今後中露の接近次第によって、あり得ない想定ではない。本稿が見た通り、北方領土は新たな戦略性を帯びつつある。この際、たとえ一島でも日本の手にあるとないとでは大違いになる。

つまり、北方領土のどこかが中国の海上拠点となれば、日本は戦略的な自由度がなくなり逼塞を余儀なくされる。であるならば、一島でもいいので返還してもらい、残りは中国に関与させないようロシアに認めさせるべきだと、谷口氏は言っているのである。極端なまでの中国への恐怖、そして、その緩和の為には一島返還でも構わないという割切が伝わってくる内容だと言えよう。

また、こうした姿勢を感じさせるのが安倍総理である。安倍首相は、合計五回もプーチン大統領との直接対話を敢行し、直近では「北方領土の日」に出席した直後に特別機の強行軍でソチに向かい、西側ほぼ唯一の出席者としてオリンピック開会式に出席した(韓国の朴槿恵大統領ですら欠席したにもかかわらず)。

このように、安倍政権は中国包囲網形成を目的とした、なりふりかまわぬ日露協調を試みているのである。

2.加速化するウクライナ危機は日本に二つの選択肢をつきつける
だが、こうした安倍政権の外交的努力が今や水泡に帰そうとしている。ウクライナ情勢が緊迫化している為である。まずは、この何日かの動きを簡単に振り返ってみよう。

2月27日
クリミア半島で武装勢力が地方政府庁舎と議会を占拠
ウクライナ近くでロシア軍が17万人を投入した大軍事演習を開始

2月28日
ウクライナ内務省、クリミアの二つの空港が武装勢力に占拠されたと発表
同時にこの武装勢力がクリミア半島各地の占拠を開始
電話局、テレビ・ラジオ局、幹線道路なども確保。
装甲部隊、Mi-24攻撃ヘリがロシアからクリミアへ多数侵入、バラクラバ湾をロシア海軍のミサイル艇が封鎖。
オバマ大統領、「いかなる軍事介入も代償が伴う」とロシアに警告

3月1日
プーチン大統領、ウクライナへのロシア軍投入の承認を上院に求め、上院はプーチン氏の要請を全会一致で承認。
国連安保理が緊急会合を開催
ウクライナ国防相、クリミアにロシア軍6千人展開と主張

3月2日
ウクライナ軍、予備役全員を招集
ウクライナ海軍のベレゾフスキー総司令官がロシアに寝返る
プーチン大統領はオバマ大統領と電話会談、ロシアは「自国権益とロシア語を話す住民を守る権利を留保する」と述べ、ウクライナへの軍事介入の可能性を警告
ケリー国務長官、ロシアに経済制裁を科す用意を表明、G8からの除外もあり得ると警告
岸田外相、ロシアに懸念を伝える
クリミア議長、30日の住民投票では、事実上の「クリミア独立」問うと発表
ウクライナ首相、ロシアが軍事介入方針を決めたことについて、「これは宣戦布告だ」と危機感を表明

ざっと以上のように纏めてみるだけでも、短期間で事態は一気にエスカレーションを続けており、以下のような事態が起こればウクライナ全土での戦争になる恐れすらできた。

(1)ウクライナ軍の防衛行動とそれへの報復、(2)ウクライナ東部での親露デモへのロシア軍の介入、(3)NATO諸国の経済制裁等への報復措置としてクリミア以外へのロシア軍の侵攻、(4)ウクライナ軍に囚われたロシア兵救出を名目とする侵攻、(5)ウクライナ軍とロシア軍のなんらかの不測事態の拡大

等などとロシア軍の大義名分には事欠かない状況である。
他方、これは私も可能性は低いとは思うが、どこかの段階でオバマ政権がカーター大統領がそうであったように、強硬策に転じる可能性も少しながらある。何故ならば、中間選挙を控えた中で弱腰批判をかわす必要があるし、これ以上、米国の拡大抑止の信頼性が低下すれば、中国や北朝鮮などがどう受け止めるかわかったものではないからだ。事実、マケイン等の共和党議員は、いますぐロシアに代償を支払わせるべきだとオバマ大統領に迫っている。

もし、危機が加速し、対ロ経済制裁が発動するなり、米軍の周辺への展開が起きれば、日本政府は二つの選択肢を前にして窮地に陥いる。

3.ウクライナの危機が加速した場合の日本外交のどうしようもない二択
その二つの選択肢とは、以下である。

A.日米関係はこれ以上悪化しないし、今までの対ロ外交投資を無為にしたくないとの一心で、ロシアに優しい中立的な態度をとる。

B.これ以上の西側の立場からの脱却は、悪化する日米関係をより窮地にさせるとの判断で、対ロ経済制裁や対ロ批判に参加する。

正直、どちらも悲惨な未来しかない。

もし、Aというロシアへの好意的な中立を選んだとしよう。表面的にはロシアとの関係が維持されるかもしれない。
だが、少なくとも欧米との関係はかなり危機になるだろう。何故ならば、日本と西側が価値観も利益も共有していないということになるからだ。

当然、オバマ政権は日本への関与を減らし、三沢基地等から撤退するだろう。実際、既に2015年度の予算案により三沢基地からは500名の米兵の撤収の動きが報道されているし、ブッシュ政権時代ですら度々三沢のF-16部隊の撤退が囁かれてきたことからありうるだろう。そうなれば、対中抑止力はますます低下し、そして、韓国をより日本に対して威圧的にさせてしまうだろう。

欧州だって、中国への武器禁輸緩和を実施するかもしれない。実際、中国は外務省報道局長というかなり下位の官僚ながらも、「ウクライナの主権を尊重すべし」と欧米に沿う姿勢を若干見せつつある。

しかも、ロシアとの関係とてわかったものではない。この場合、日本はアジア太平洋の大国ではロシアしか友人がいなくなるので、ロシアからすれば日本に対してどのような要求も可能であるし、いつでも切り捨てられるからだ。事実、70年前の我々は 米中と戦争をしている最中、総理がスターリンは西郷隆盛に似ていると言い、海軍大臣はソ連を通じて物資を得るべきだと発言し、ソ連に和平仲介を頼んだ挙句に裏切られたではないか。

では、Bというロシア包囲網への参加を選んだ場合はどうなるだろうか。ケリー国務長官は、主要国によるロシア包囲網を形成すると息巻いているが、これに参加した場合である。この場合、ロシアとしては対日交渉を継続することが難しくなるだろう。プーチン大統領としても、まさか自国への経済制裁なり、厳しく批判してくる相手に領土返還なぞできようもないからだ。

他方で、オバマ政権からは、安倍首相はこの間まで人権問題に目をつぶってロシアにすり寄っていたとは思われるだろうし、やって当たり前の行動をしただけと従来の日米関係の改善にもならない。要するに、更なる米国との関係悪化を食い止めるだけである。

勿論、これらは極端なシナリオである。ウクライナ情勢が、ロシア軍が静かにクリミア半島の奪取したまま、欧米が口先介入だけを行い、グダグダのままこう着状態に入る可能性もかなり高い。

だが、現在の状況は火を吹く可能性も大きいし、今回のロシア軍の動きの早さ自体が、多くの専門家の予想を既に超えている。もし火を噴けば、そこまで行かずとも米ロの緊張が高まれば、我が国は、上記のような二択しかない、外交的な隘路に追い込まれてしまうのである。そして、どちらの場合も安倍首相が現在進めている、対中包囲網作りが完全に破たんするのである。この危険は看過すべきではないだろう。

4.NSCすら開催しない、無為無策の安倍首相
しかし、こうした危機とは裏腹に安倍首相は呑気そのものである。彼の動きを28日午後からの首相動静から見てみよう。

2月28日午後
1323:故岩見隆夫氏のお別れ会出席。
1410:外務省の斎木事務次官、平松総合外交政策局長、上月欧州局長、松富国際情報統括官。
1512:北村内閣情報官
1623:国会へ。野田総務会長、岸田外相等と会い、その後本会議へ
1921:官邸、報道各社のインタビュー
1933:公邸、世耕官房副長官、自民党の石井副幹事長、吉田博美参院幹事長代行と食事。

内閣情報官、欧州局長、国際情報統括官等との議題はおそらくウクライナ情勢だろう。しかし、安倍首相があれだけ熱を入れていたNSCのNの字もない。岸田外相とも若干あっただけである。では、二日目と三日目を見てみよう

3月1日
【午前】公邸で過ごす。
【午後】2時52分、東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」。「NAGOMI スパ アンド フィットネス」で運動。6時34分、東京・富ケ谷の自宅。
3月2日
【午前】東京・富ケ谷の自宅で過ごす。
【午後】0時59分、東京・渋谷の美容室「HAIR GUEST」で散髪。3時2分、東京・谷中の全生庵で座禅。4時49分、自宅。

あきれるしかない。この渦中にあって、まったく情報を入れていないのである。勿論、電話なりメールなりでのやりとりはあったかもしれないし、そう願いたい。しかし、それでは済まないだろう。

クリミア半島、そしてウクライナには多くの邦人がいる。これを考えれば、防衛省・自衛隊関係者等と直接対応を協議する必要があるだろうし、28日のように複数の官僚からのブリーフィングを受けるべきだ。そもそも自宅からの電話で全て済むならば、首相官邸と公邸は不要で、全て内閣府か内閣官房のオフィスだけで十分ということになってしまう。

そもそも、各国首脳が積極的な電話外交を行っているのだから、電話の一本くらい、欧州諸国なりNATO事務総長にするべきだろう。これまでことさらに日NATO協力を推進するとしてきたのであればなおさらである。

NSCもそうだ。筆者はNSCを安倍政権の集団的自衛権、秘密保護法案とならぶ三大ハコモノ安保政策と見ており、あまり意味がないとは思っているが、あれだけの熱意で作ったのだから、3月1日なり、2日に緊急会合を実施するべきだろう。少なくとも、我が国の同胞が危機に瀕しているのだから、所管大臣とインテリジェンスの担当者を一堂に会して会議を主催すべきだ。

勿論、過去の自民党政権、特に福田政権時に多くみられた、官房長官、防衛、外務大臣の三大臣会合で十分との指摘もあるだろう。NSC事務局や各省庁で十分にやっているとの指摘もあるだろう。私は前者には全く同意見であり、そもそも今でも日本版NSC不要論者である。後者は検証が必要だがそうだろう。実際、岸田大臣は既に省内での検討を進めているとの報道があったし、他省庁も同様だろう。

しかし、しかしである。であるならば、何故NSCを作ったのかと言うことになる。もし必要だと思っているのならば、政治的なPRとしても、敢えて開催すべきだろう。少なくとも安倍総理ご自身の政治生命を考えれば、座禅したり、フィットネスをしたり、散髪をしているよりは、NSCを開催すべきだろう。そして、現地の邦人に向けて励ましのメッセージを送るなりするのが、正しい「政治家」の行動というべきなのではないか。

だいたい、韓国軍への銃弾供与のような些事でわざわざ閣議ではなく、NSCを使ったのだから、もっと緊急時であるウクライナ情勢を受けてNSCを使わないのか。これでは安倍首相ご自身の無為無策ぶりを指摘されても仕方がない。

なお、以下のtwitterにあるように官邸は総理番がブルートレインの引退式に行くほど静かなようだ。(なお、引用した一橋大学の秋山教授は、今後の検証が必要と言う立場であって、別に筆者のように安倍首相に批判的ではなく、中立的なスタンスであると念の為述べておく)

5.まとめ
このように、安倍首相は彼の対ロ外交の破たん、ひいては日本外交の危機にあるにもかかわらず、のんびりとした態度である。勿論、私はやれ散髪するな、天ぷら食うな等と言うつもりはない。政治家としてやることやってればいいだけであるし、

という秋山教授の意見も最もだろう。そもそも、リーダーという存在は決断が仕事である以上、意外と暇だからだ。

しかし、この三日間、ほとんど「ぬぼー」とし、NSCすら開催せず、欧州諸国との会談もせず、アルジェリア事件であれほど熱を挙げた邦人保護について総理は「万全の云々」すら言わないのはどういうことなのか。それが正しい指導者のあり方なのだろうか。特に、二日目には情勢がかなり悪化しているにもかかわらずである。未だ戦火を交えていないのは単なる僥倖でしかないのだが。

座禅をして名案が浮かぶのはアニメの一休さんだけである。
美容師と会話して解決するのは、おすすめの食事スポット探しである。
フィットネスのトレーナーと会話しても体重が減るだけである。

安倍総理は、美容師やお坊さんやトレーナーと直接会うより、内閣情報官や関係閣僚と直接会うべきなのだ。電話がそんなに好きなら各国首脳と意見交換すべきであるし、そもそもNSCを今日からでもいいので(既にかなり時期を逸しているが)、一刻も早く開催すべきだ。

付記
なお、この国難時に外部の情報をシャットアウトして、座禅をすること自体、彼の客観性のなさと主観性を示しているのではないだろうか。彼に必要なのは自己との対話ではなく、全てにおいて他者との対話による客観性の獲得なのだが。

参考資料
ロシア軍の動向については、小泉悠氏のクリミアで何が起こっているのか ロシアの「静かで曖昧な」軍事介入を主に参考にさせていただきました

站谷幸一(2014年3月3日)

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