震災3年、われわれは学んでいるのだろうか? --- 岡本 裕明

アゴラ

東日本大震災から3年目の今日、新聞の見出しは確かに記事として扱ってはいるものの年々扱いが小さくなってきたような気がします。

地震国、日本においては人生の間に何度か巨大地震に遭遇する運命にあります。それは東北に住んでいても新潟にいても兵庫県にいても起きました。この50年程度の比較的大きな地震の発生地を見ると北海道から鹿児島まで起きているのであります。つまり日本はある程度の大きさの震災には耐震という物理的対応、人々の普段からの防災への心がけ、さらには市町村から会社までいざという時の対応を考え、それを訓練や実践の中でより確かなものにしていくということを繰り返してきました。残念ながら東日本大震災はいくつかの面でその想定を大きく超えたことが被害を大きくした、ということであります。


これは地震がほとんどない外国では地震そのものに対する恐怖が先立って対応そのものができません。そして震災後の略奪なども当然、想定できてしまうのです。それを考えれば日本の防災に対する心構えは世界の中でも超一流であると思っています。私も小さい頃、両親から巨大震災が発生してはぐれたら○○で落ち合うという話を何度もしていました。3年前の教訓で携帯がつながらなくても安否確認できるバックアッププランを再構築している家庭も増えてきているのではないでしょうか?

さて、防災という前提からすれば都市の一極集中はやはりリスクが高いを言わざるを得ません。ところが東京あたりにいると本当に高層ビルが林立し、夜景の美しさを強調するシーンをよく見かけますが、本当はそうではなく、いかに分散化するするか、というのが防災の本質論ではないでしょうか?

びっくりするのは湾岸地区は液状化現象が起きやすい、だから不動産は山の手に買う、という動きが出ていたにもかかわらず、東京オリンピックの会場近くにできる湾岸の高層マンションは爆発的人気と化してしまうのはちょっとドライすぎやしないかと心配してしまいます。

分散化について考えると、企業ベースの場合、突然本社を大宮に移せば神奈川や千葉の人から反発を受けるでしょうし、横浜ならば埼玉や千葉の人から遠いとクレームされるでしょう。ですが、それは既存部門を移すという発想だからこそ無理があります。もう一歩踏み込んで例えば関東なら栃木、群馬、茨城、山梨あたりで新規事業の事務所を立ち上げるという動きの方が分散化という意味ではより現実的かもしれません。そしていざ、事業所のどこかが操業困難となった場合、分散した事務所や作業所で対応するということは可能であります。

最近、企業によっては業績の拡大とともに分散化していた事務所を集積し、一体化させる企業も増えています。確かに効率化という点では担当をすぐに呼び出せる、あるいは部門間のミーティングを設定しやすいといったメリットはあるでしょうが、震災大国日本では効率より企業の安定的存続性の方が優先されるべきであると思います。ましてや今や、テレビ会議もごく普通に行われる時代になったわけでそのあたりは企業の安全に対する発想を新たにしてもらいたいと思います。

震災の苦しさも風化させないことが大事ですが、どうしても人々は目先のことにとらわれがちになります。もっと気を引き締めてかからねばならないということではないでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年3月11日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。